恐怖のなかで、収縮が始まる。それは、ひとつの神性・白銀の宝冠を賭けた〈内部〉への亡命である。しかしまた、それは追放である。排除である。そのようにして、わたしは逃走する。しかし、不可能な逃走を。わたしはわたしになるためにわたしを違おうとする。だが、この亡命・逃走は、何か自己実現を目指すような能動的な決意によるものではありえない。わたしにはどうすることもできない崩壊のなかで、わたしは始まる。わたしになるために? いいや、そうではない。創造の意志とは無関係に、根拠もなく、崩壊は始まった。その創造主じしんを全き後の祭りに産出する、主体なき創造として。存在が壊滅する否定的なゼロの自己触発の挙句に、このブラックホールの収縮、核崩壊のカタストロフの不可逆・非対称の崖崩れとして。分娩の苦痛へと存在が雪崩をうって殺到するようにして。ひとつの王国が滅び去り、わたしが生まれる。創造しえぬものの創造主として。

 この、後からの起源の引受けは、起源の場処を空疎にしつつ、そこへと見向く。ふたたび、見ることが見られることへの融即であるような振り返り、不安な顧みとして。このオルフェウスの背視は呟く、〈あなたは誰?〉と。まるで〈わたしは誰?〉と尋ねかけるように(だが一体誰に向かって?)。この不安定な問い。今し方穿たれたばかりの句読点の風穴のパンクチュエートのうえに、この、存在と非在とが引き裂かれつつまた融け合ってゆく始源の陰唇に、ひとつの曖昧さとして覆い被さってゆく疑問符――この空虚な充溢。この、殆ど無きに等しい幽かな遷移(ズレ)のなかで、ひとつの由々しい黙した恐怖が叫ばれるとき。

 神の死が煌(きら)めく。生まれつつ死にゆく神の奇妙な永遠、きらめく、始まりへと終わり続けていく神の無限の撤退。さようなら――さようなら。いなくなり、去りゆきながら、遺棄のなかに残留し、生き残る死者に、最初の孤独の寒さが告げられるとき。

 少年は、自分が神であることを知って泣く。


*********************************************************
この作品は下の本を読んで思った事を書いたものです。




著者: E. レヴィナス, Emmanuel L´evinas, 西谷 修
タイトル: 実存から実存者へ