僕は神よりも僕を愛していた。
 そして心虚しくして無我の境に成仏するには我執とやらが強すぎた。
 それ故に仏ですらも僕を救済しに来てはくれなかった。

 どれほど神の裁きに削られようと
 僕は僕に獅噛付き続けることしかできなかった。
 僕は神にどれ程哀願しても許してはもらえなかった。
 神は僕から顔を背け続け、
 かわりに憤怒の形相もあらわな閻魔大王の顔が現れ、
 その断じておまえを許さないという
 悪罵の雷鳴のような声にどやしつけられながら
 縮こみ続けるばかりなのだ。

 閻魔大王の永遠に続くガミガミいうお説教に
 少しでも口答えしようものなら
 甘ったれの嘘つきめおまえの舌をひっこぬいてやると
 ますます響く雷声の叱責に打ちすえられるのである。

 横合いにはニヤニヤ笑う小憎らしい顔をした
 物凄く厭味ったらしい皮肉な声で話す猫の頭が現れ、
 僕の隠していたどんなに小さな悪事ももらさずに大王様に報告する。

 それだけならまだいいのだ。

 この忌ま忌ましい猫の奴は悪事のみならず
 僕が恥ずかしくて隠していたことをみんな暴き立て
 それも面白おかしく尾鰭をつけて
 陪審員の皆さんにご報告するのだ。

 すると陪審員の皆さんが僕を指さしてケラケラ笑い
 僕の恥ずかしくて悔しい思いを更に逆撫でする。

 これは裁きというより
 それ自体最悪の拷問刑というのが相応しい。

 とても嫌なのはその陪審員さんたちときたら
 誰もが僕の知った人ばかりだったのである。

 勿論実体がある訳ではない。
 僕の自意識にこびりついていた記憶をもとに
 悪意のニヤニヤ猫の奴が合成した虚像に過ぎないのだ。

 けれどもそれが本物でなければないだけ
 却って灼けるような屈辱の痛みが吹き出すのである。

 自分でも忘れていたありとあらゆるトラウマが
 次々に蘇っては生傷が開いて皮膚が裂けるよりもひどい
 激痛と悲しみを感じるのである。

 すると母の顔と父の顔が
 もはや涙も出ない悲しみの鏡のなかに現れ、
 僕が裁かれるのを見てため息をつくのだ。

 母は僕を憐れんでくれない。
 ただ「可哀想にこの子がこんなひどい辛い目に合うのは
 みんなわたしの教育が悪くて
 甘やかして駄目な子供にしてしまったせいなのだ」と
 よよと泣き崩れて自分を責めるばかり。

 父も僕を守ってはくれない。
 ただ苦虫を噛み潰して
 自分の息子がこんな出来損ないの駄目人間の
 恥知らずだったという事実に
 物凄い渋面をつくって黙って暗い目で僕を見ているだけだ。

 でもその暗く寂しそうな目が何を物語るのかは分かっている。
 父は僕のことが恥ずかしいのである。
 世間様に顔向けできない恥をかかせられて
 僕以上に悔しい思いを噛み締めて
 我慢してその屈辱に耐えているのである。

 ああ本当に何と父は強く子は弱いのだろう。

 本当の被害者は父であって
 僕のせいで父はもっと苦しまずには
 いられなくなっているのである。

 するとニヤニヤ猫の奴が
 ふいに非常に神妙真面目な顔をして
 その父母と僕とを見比べながら伏目になって、
 こんな溜息交じりの感慨を漏らす声が聞こえるのだ。

 「ああ、お父さんやお母さんをこんなに悲しませるだなんて
 何と親不孝で心の冷たいわがままなエゴイストなのだろう。
 こんな悪魔のように罪深い心の穢い卑劣な子をもって
 さぞかし可哀想なお父さんお母さんは辛いことだろうに」と。

 しかもそれは生前僕が恩を受けた人や
 ひそかに尊敬していた人の声そっくりなのだ。

 すると陪審員席の奴らが
 お通夜のようにひっそりと静まり返って、
 僕の父母のためにハンカチで
 そのしかつめらしい渋面の目の辺りを拭うのが見える。

 この光景が一番いやな瞬間である。