Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 4-4 悪魔の名は虚無

 「実にイカした話じゃないか。え? 
 オカルト気違いで有名だったヒトラーは、
 優生学にも狂っていたって話を聞いたことがある。
 彼が健全なドイツの青年男子から精子を集めて冷凍保存し、
 人工的に優れたアーリア人兵士を作ろうとしただの、
 また、世界で最初に自分のクローンを密かに作ろうとしただのというのは、
 わが黒き第三帝国時代の数ある怪談・伝説のなかでは
 ごく凡庸な部類の話に過ぎない。空飛ぶ円盤も作ったというからね。

 古来からドイツはファウスト=カリガリ博士的な
 マッドサイエンティストの国だ。
 イギリスのシェリー夫人もこのことに敬意を表して、
 最初の人造人間の創造者をフランケンシュタイン博士と命名している。

 この国の人間は一旦科学技術に熱中すると、
 人間的な道徳神経とか倫理感情なんか吹っ飛んで、
 信じられないことも平気でするんだ。
 それがドイツのデーモンさ。

 われわれは古来から神をなみする
 ゴーレム創造に悪魔的な情熱を持っている。
 逆に現に生きている神の被造物にすぎぬ自然の人間に対しては、
 愛すべき同朋というより物質的な資材としてしか見ないでも
 平気でいられる合理主義的無神経さも潜在的に持っている。

 何もガス室で殺したユダヤ人の皮膚を鞣してランプの笠にしたとかいう
 ネクロノミコン的所業だけを言いたいんじゃない。
 この無神経さはただの人種差別より根深いものだ。
 
 ユンガーという我が国の哲学者は、
 戦争を存在の全体性を成就するための死の工場と考え、
 そこに死を生産するために備給される国民を
 歯車のような部品や原料であるという風に把える
 非常に卓抜な見解を示すことができた。

 こういったグロテスクな認識にも容赦なく耐えてみせられるのは、
 わが強靭なドイツ精神あっての賜物だよ」

 「ぼくはきみの話こそ全くドイツゴシックロマン風な無気味趣味だと思うね」
 百目鬼は苦笑いした。
 「ホフマン流のダーク・ヒューモアだよ」

 「ふん、本気にしてないな」
 エックハルトは肩を竦めた。
 「でもこの国の連中なら、世界に黙って、
 その位の恐ろしいことなんか軽くやってのけかねないとは思わないかね。
 人間についての根本的な感性が違うんだよ。
 そして頭脳もね。

 きみらは単に考え、認識するだけだ。
 でもわれわれは《思惟〔デンケン〕》する。
 ドイツ的な思惟にはね、
 黒魔術的な暗黒の半ば狂えるパワーが帯電されているのだ。

 いいかい、世界の民族で、〈虚無〉について
 深遠に思考する優れた感性と能力を持っていたのは、
 インド人とユダヤ人とドイツ人だ。
 そのうちでドイツが最も暗黒の虚無について
 呪術的に目をギラギラさせて考えた。

 無はインドでもユダヤでも健全な神秘だったが、
 ドイツでは神秘ではなく無気味にして親密なもの、
 そして悪魔的なものだった。

 ギリシャのソクラテスに囁きかけたダイオニモンは
 人間の理性が行き過ぎを働きそうになると
 やめろと不安な胸騒ぎによって良心的に警告する存在だった。

 だが、ドイツにおいてはダイモーンは決して良心ではなく、
 理性が暴走を始めるとますますやれやれと扇動する悪魔的な奴だ。
 不安な胸騒ぎは熱狂の興奮となり、
 人間をしてその限度を越えさせ、
 神や超人の境位へと黒々と高めてゆくのだ。

 われわれは常に根拠や根源や根底について思考する。
 きみらはだいたい自明の前提からしか考えない。
 きみらの想像力は非常に慎ましく前提の奴隷となり、
 前提に振り返るのを恐れる。

 だがわれわれには前提を掘り返すように思考する習性がある。
 大地に根付く思考というより、大地を掘り返す思考といってもいい。
 われわれは《われわれが何処から来たか》をこそ
 最も徹底的に思考してきた。

 そして、ヤーコプ・ベーメにせよ、カントにせよ、
 ヘーゲルにせよ、ハイデガーにせよ、
 根源に振り返った者たちは皆、
 確固たる根底ではなく恐るべき無底を、
 暗黒の深淵を見いだしてきた。

 この虚無は黒く生き生きしていて恐ろしいがとても魅力的だ。
 虚無はわれわれにとって親しい者、
 それは時として存在以上に馴染み深い実感なのだ。

 われわれは虚無の美しさをよく知っている。
 そしてその正体も知っている。
 虚無とはたんに無いという状態を意味しない。
 それは寧ろ積極的な存在者のようで、
 生き生きとした生命すら持っている。
 それは人間の影であり、二重身でもある。

 いいかい、百目鬼。
 ユダヤ人フロイトがもし同時にドイツ人でなければ
 どうして精神分析学なるものを創造しえただろうか、
 とぼくはよく考えるんだ。
 無は無意識であり、巨大にして偉大な暗黒、無気味なパワーだった。
 他国ではこうはいくまい。

 ドイツにおいて、無とは直ちに闇の力を意味する。
 そう、われわれは、無の正体を誰よりもよく知っているのだ。
 それは何を隠そう、《悪魔》のことなのだ。

 われわれにとって《無》《闇》《影》と呼ばれているのは
 全部《悪魔》の婉曲表現なのさ。」

 エックハルトはにやりと笑った。

 「百目鬼、《悪魔》は存在する。
 われわれは《悪魔》こそが世界を支配している
 本当の力であることを誰よりもよく理解している。
 《悪魔》こそが《人間》の真の創造者であることを、
 そして真の《主》であることを知っている。
 これこそがドイツの叡智だ。
 われわれはね、骨身に染みて知ってるんだよ。
 真理は必ずや悪魔的なものであるに違いないということを」

 「きみの話はなかなか面白いがね……だからといってそんな……」

 「ぼくたちは常に真摯だ」
 エックハルトは言った。
 「アメリカ人もフランス人も日本人も軽い笑いがお好きだが、
 笑いとは軽薄さの欺瞞だ。
 ぼくに言わせれば、常軌を逸することを笑うのは
 恐れていることをごまかすために過ぎないのだ。

 きみらは理性と狂気を合い隔たったものと浅薄に考えている。
 愚かとしかいいようがない。
 それは真の思考である想像力が貧困だからだ。
 想像力の乏しい連中が、感性だの知性だの言うのは片腹痛い。

 われわれにとって理性と狂気は常に底を通じ、非常に近しいものだ。
 想像力とは狂気と理性の錬金術的な息子であり、それ自体が霊魂だ。
 それは闇のなかで働く。
 だから、《悪魔》が存在することを知ることができる。

 《悪魔》が存在することを笑うのは愚かだ。
 そういった無知な連中こそ《悪魔》に食い物にされるのだ。

 きみたちは、《悪魔》の怖さを知らなすぎる。
 それは《人間》のなかに隠された最も大きな秘密だというのに。
 そして、人間というものは、そのやることなすことの殆どに於いて、
 非常に悪魔に取り憑かれやすい生物なのだ。

 ……そしてその《悪魔》はまた動き出している」

 「どういうことだ?」

 「知らない訳じゃあるまい。人種差別だよ……」
 エックハルトは厳しい顔で言った。