[承前]

 不可能性の作家・埴谷雄高の『死霊』に先駆して、日本最初の驚嘆すべき形而上小説『ドグラ・マグラ』を著し、実際、カントやドストエフスキー以上に深甚な影響の痕跡を『死霊』の上にまで刻んでいる夢野久作は、誰よりも早く、そして深く、この「現実」という「夢の呪縛」の悪魔的な必然性を洞察していた真に恐るべき意味での現実主義者であった。
 しかし、この彼もまた、己れを「現実主義者」と信じて疑わない全くお目出度い無自覚な神秘主義者(彼の父親)に「愚かな夢想家」として侮蔑的な嘲笑を受けた。この夢野久作の父親のように嘆かわしい父親は無論枚挙に暇がない。デカルトの父親もそういう男であったし、わたしもまた身に積まされることに全く同種の子供思いな良い父親に恵まれて、恐らく一生、全く親不孝な臥薪嘗胆の苦痛から逃れることはできないだろう。
 しかし、このような毒になる親に恵まれて人生を破壊されることは、夢野久作やデカルトがそうであったように、真の現実、真の愛、真の自由に通じる青白いきらめきに満ちた月光の小径を見出すための条件でもあるのだ。

 破壊された人生、不可能にされた人生、その他に何も残らなくなったときにしか、人は奇蹟を見出すことはない。
奇蹟というのは、これが現実であるということだ。
そして、この全き不可能性こそがわが運命なのだと決めて、敢えてそれを選び取るということである。

 すると、この奇蹟から魔法が始まる。
 ニーチェにとって、それは永劫回帰という魔法であり、それによって彼は超人に変わった。
 フィリップ・K・ディックにとって、それはVALISという超現実の神の創造であり、彼はこの自分が創造した神によって他ならぬ自分自身を創造するというメタフィクションの円環を結ぶことで、残酷な神が支配するこの恐怖の現実〈黒き鉄の牢獄〉から脱する。かの地球に落ちてきた男ジル・ドゥルーズが発見し、そして心から魅了されたスピノザもまたこの不可能性の不可思議な意味の反転の魔法を示した人であった。
 わたしはこれに失意と悲恋と夭折の悲劇の生涯を送ったと信じられている詩人哲学者ノヴァーリスの名前を付け加えねばならない。
というのはノヴァーリスにおいてこそこの不可能性の奇蹟の爆発は、その最も巨大な超新星の眩い光輝となって炸裂しているからだ。
ここに名前を羅列した人々の人生はいずれも外面的にはかなり深刻な様相で破綻している。ジル・ドゥルーズですらその喘息に苦しんだ人生の最後を衝撃的な投身自殺で閉じている。
 では、彼らの人生は単なる悲劇であったのだろうか。それは敗北、破滅、残酷な運命に無力に翻弄され、破壊されるだけの弱者の悲惨や、絶望の果ての狂気の虚しい幻影に過ぎなかったのだろうか。
 否。わたしは信じない。
 彼らはその凄惨な苦しみにもかかわらず、幸福だったのだ。それどころか、彼らだけが真の意味で幸福だったのだとわたしは信じる。
 わたしは信じる、ジル・ドゥルーズは飛降自殺のその瞬間、間違いなく笑っていた筈だ。
 そして、わたしは信じない。ドゥルーズのその幸福な微笑みが灰色の石畳に墜ちて砕けて死んだとは。
 否。彼は生きている。ノヴァーリスの恋人ゾフィーが永遠に生きているように、不可能性のこの強大な魔法のなかで、生き生きとまだ生きている。
 彼はそのとき彼を迎えに来たスピノザの魔法の風に誘われ、以前から言っていた「魔女の箒」にまたがって、エネルゲイアという奇蹟を起こす出来事の風に乗り、風に変じて、彼が本来それであったもの、すなわち歴史上の全ての人間をその仮面としてもつ唯一の実体、不可能性の超人に戻っていっただけである。間違いなく、彼はそれこそが、真の意味での彼に他ならぬその不可能性の実体であることを認識していた筈だからだ。

 Credo, quia impossibile est.

 他方、わたしは信じない。プラトニスト達のいう「哲学とは死の練習だ」という黒き鉄の牢獄のドグマを。
 そうではない。哲学とは、死に等しいこの灰色の人生に〈死者の復活〉という〈美しい現実〉の物語を描き出すことなのだ。
 哲学だけが、生命を創造する。哲学の真の意味の定義、そしてその使命とは〈生命の創造〉である。
 したがって、哲学の本質は魔法である。西欧中世においてそうであったように、哲学者と魔術師は同義語であり、更に言えば、哲学者だけが魔術師なのである。
 何故なら、神学者たちが何と言おうと、〈神〉は哲学によってしか創造されず、そしてまた、哲学によってしか人は〈神〉に遭遇することはできないからである。
 この意味において、「哲学は神学の婢女である」というのは完全なる誤りである。
 そうではない。カントがそうであることを要求したように、「万学の女王」である「形而上学」という至高の学をその根幹にもつ哲学、それこそがまことに神的な学としての神学の名に相応しいものなのである。
 逆に、神学が作り出せるものは、〈宗教〉という、秘められても隠されてもならない神を〈みにくい神秘〉によって見えなくし、〈信仰〉の美名の名において、〈神〉をその動けぬ十字架の上に呪縛する十字架の偶像崇拝でしかありえない。
 人間は、本当は〈神〉から逃亡するために〈宗教〉を作ったのである。
 そして〈神〉を弾圧し、抑圧し、その真の意味を政治的に抹殺するためにこそ〈宗教〉は機能するのである。
 キリストを信じれば、人は自らキリストを生きて、わが手で人を救うことを放棄する。また、仏陀を信ずれば、人は自ら悟ろうとすることも、慈悲の心を抱くこともなくなってしまう。
 そうではなく、人は自らを信じなければならない。
 そして、キリストや仏陀が何か全く特別な異例な存在であることを信じてはならない。
 何故なら彼らはあなたのなかに生きているからだ。
 愛も叡智も正義の怒りもすべてあなたのなかにある。
 だからこそ、あなたのなかにいる彼らをあなたは解放しなければならない。
 そのときあなたは認識する筈だ。難しい話ではない。〈神〉は全く実在するものである。
 単に、あなたがその峻厳なものを畏怖し、またその可憐なものの優美さを恥じて、それから顔を背けていただけのことなのである。
 〈神〉でないものを〈神〉と呼ぶことをやめるだけで、全く信仰を必要とせず、〈神〉はあなたの前に顕現する。
 したがって〈奇蹟〉は起きる。
 だが、それは哲学的認識によってしか起こりえないものなのである。
 出来事は出来する。それが〈奇蹟〉の起きる〈美しい現実〉、エネルゲイアを召喚するための不可能性の形而上学の魔法の言葉である。

[続き]





著者: 夢野 久作
タイトル: 夢野久作全集 全11巻セット



著者: 夢野 久作
タイトル: ドグラ・マグラ



著者: 鶴見 俊輔
タイトル: 夢野久作と埴谷雄高



著者: 多田 茂治
タイトル: 夢野久作読本



著者: 大滝 啓裕, Philip K Dick, フィリップ・K・ディック
タイトル: ヴァリス



著者: フィリップ K.ディック, 大瀧 啓裕
タイトル: ヴァリス



著者: 工藤 喜作, 小谷 晴勇, 小柴 康子, ジル・ドゥルーズ
タイトル: スピノザと表現の問題



著者: G.ドゥルーズ, 鈴木 雅大
タイトル: スピノザ―実践の哲学



著者: ジル ドゥルーズ, Gilles Deleuze, 鈴木 雅大
タイトル: スピノザ―実践の哲学



著者: ノヴァーリス, 青山 隆夫
タイトル: 青い花



著者: ノヴァーリス, 笹沢 美明
タイトル: 夜の讃歌―他3篇



著者: ノヴァーリス, 前田 敬作
タイトル: 日記,花粉



著者: ノヴァーリス, 薗田 宗人, 今泉 文子
タイトル: ドイツ・ロマン派全集 第2巻 (2)



著者: ノヴァーリス, Werke Novalis, 青木 誠之, 大友 進, 池田 信雄, 藤田 総平
タイトル: ノヴァーリス全集〈1〉



著者: 今泉 文子
タイトル: ノヴァーリスの彼方へ―ロマン主義と現代



著者: 今泉 文子
タイトル: ロマン主義の誕生―ノヴァーリスとイェーナの前衛たち