ブログとは別にSNCのmixiをやっている。そこにはマイミクシイ(略称マイミク)といわれる制度あるいは機能というのがあって、要は単なるコメント欄つきの日記の相互リンクに過ぎないのだが、そういう近しい関係性を築くときに、礼儀として相手にマイミク申請のメッセージを送ることになっている。
 勿論、マイミクでなければ互いの日記にコメントを入れられないということはない。また、相互にメッセージをやりとりすることも可能だ。実際に僕はマイミクでない人たちからもメッセージをもらうし、そのメッセージに返信するなどするし、いわばミクシイ内でのメル友ともいうべき内密な仲になった相手もいる。
 マイミクという関係性は他のmixi会員にも公開されるのでオープンな分だけクールな関係となりやすい。僕は自分からはほとんど滅多にマイミク申請を人に出すことはないが、人からそれを貰うと、相手が余程嫌な人間であると思わない限り、断る事はない。
 下の文章は、そんな僕が例外的に或る人に対して出したマイミク申請のメッセージ文(一部改変)だ。コメントやメッセージでのやりとりから、相手に対して強い友情が芽生えることがある。この手紙はそうした言葉のやりとりから生まれた、いわば「友愛の恋文」ともいうべきものである。

 

  *  *  *

 

 仕事では、いつもながらですが、まあ我慢をしてやっております。
 僕にとって、既に断念した夢であるとはいえ、大学に籍を置く学究の徒である以外の如何なる職も受難以外の意味を持ち得ないということではどうせ同じなので、夢も希望も無くただ黙々と食い扶持を稼ぐために耐えていますが、いつものことです。天にも地にも僕の身の置ける場所は、もう当の昔に無くなっています。ただ妻の愛だけが僕をこの世に留め、そしてこうして、あなたと知り合うことができました。

 絶望しきった人間にも友愛はあります。或いはむしろ絶望し切った人間だからこそ友愛に飢えるのかもしれません。それは僕の生命を永らえさせるためではありません。僕という、世界や社会に既に殺されてしまった者の、殺されてしまっているからこそ言い残しておかねばならない死者の人格の尊厳のためです。僕の恨みは他者の魂の復活によってのみ癒され、そして購われます。このような底暗い情念の持ち主からの、むしろ一方的な友愛を受け容れていただけるなら幸いです。

 

 僕自身は、全く瞑想家ではありません。むしろ上に記したような、単に死んでも死に切れぬ怨念の権化のような人間です。また、僕は哲学者ですので、何かを信ずるというよりも実はどこまでも猜疑し懐疑するものであり、同時に(哲学者とちがって、これはなりたくてなった訳ではないですが)魔術師であり、それも恐らくは如何なる幸福な黒魔術師よりも黒く絶望的な黒魔術師です。それは全てを不可能にされてしまったが故に、最後に残った、そしてそれだけは虚無によっても消し去る事の出来ない全き不可能というものをただうべない続ることしかできなくされたものであるだけです。このことは本当に悲しいことですが、もう自分のために流す涙は残っていません。だからできるだけ笑っていようと思いますし、また、人の笑顔も見たいと思います。それは僕の目に見えるのが、本当に贖いも救いも無い全き悪の世界、そして世の終わりまで悲しみと苦しみばかりがただ荒涼と続くだけの暗黒の世界であるからです。だからこそ、僕は、神の様相、美の様相、奇蹟の綺麗な物語の様相が、その表にきらめいて描き出されねばならないと痛感しているのです。たといそれが虚妄であったとしても、単に全てを破滅させるだけの役にしかたたない忌まわしい真理という名の憎むべきものよりも好もしいのだと思っています。

 

 だから僕は命尽きるまで、いや命が尽きた後でも永遠に、この絶望的な宇宙を創造した神の蔑むべき全能性を呪い続ける声でありたいと思っています。それを翻っていえば、欺瞞の天地の創造を覆すような異なる天地の創造を要請するということです。自分を創った神と戦うためにその神を自ら異なる様相において創造してみせることで、この逃れられぬ不本意な破滅の宿命を自ら意志して招いた結果へと何処までもすりかえきるということです。僕はそれを〈運命=永劫回帰〉の創造と呼んでいます。僕のいう〈魔術〉とは、ただそれだけのものです。

 

 でも、ただそれだけのものに過ぎないとしても、僕はどんなに修行を積んだ精神世界の瞑想家にも、どんなに学識を積んだ現代思想の精通者にも負ける事はありません。何も全く出来なくなったものにだけしか出来ないことが僕には出来てしまうからです。ただ出来事が出来することを神の恐るべきヒューモアとして、ただ狂おしくうべないつづけるということです。この狂った世界に負けないくらい、大きく狂って途方もなく、狂い続けて狂い止むまいとすることです。すると、世界には感動が、驚異が、まことにありうべからざる出来事、すなわち〈奇蹟〉が、起こりに起こって起こり止まないということになりますね。

 

 レトリックを弄ぶなら、これはシンクロニシティを越えるダイアクロニシティとしての運命の創造であり、半端な心理学や超心理学を覆して、絶対にそれに敗れることのない虚妄の大作としての物語の創作であるといっていいでしょう。したがって、これはむしろ文学であり、そして文学の勝利であると言い換えてもよいのかもしれません。

 

 そして、あらゆる文学的なもののなかで、最も尊く美しいものは友愛です。友愛こそ、ことによれば恋愛にすらたち勝る、人間的な、最も人間的な、最強の奇蹟なのではないでしょうか。

 

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