Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第二章 神聖秘名 1-4 混沌を呑む

 「そうです」
 僧侶は満足げに頷いた。
 「わたしたちは仏教の枠もそこでは越えてみたいという野望を持っています。江戸の東洋魔法センターはそのための布石でもあります。北欧のルーン文字の体系や、それと文学の象徴学、それもウィリアム・ブレイク、ウィリアム・バトラー・イエイツ、ネルヴァル、ポオやラヴクラフトのような幻想文学者にとどまらず、ドストエフスキーとかニーチェといったもっと偉大な連中のものも含めたいと思っているのですよ。神道や道教も取り込んでしまいたい。」

 「道教を!」百目鬼は驚いた。「あれは全く巨大な渾沌そのものじゃないですか!」

 道教とはまさにすべてを飲み込む渾沌の子宮である。

 百目鬼は台湾に道教の取材に行った折り、殊勝にも、或いは寧ろ「愚かにも」というべきだろう、道教のせめて基礎だけでも勉強しようとして、忽ち気も狂わんばかりの脳髄の消化不良を起こし、目眩と吐気が止まらなくなった覚えがある。中国人はやっぱり凄いという以外の何ひとつとして、そして、道教というものについては何ひとつ、全くもって訳が分からなくなったのだ。

 台湾滞在中、連日連夜、次から次に現れる道教の覚え切れない程多い神々のオンパレードに魘され続け、強い朱色の道観(道教寺院)や道士のド派手な黄色い服などのどぎつい色彩の洪水に目は血走り、童乩〔タンキー〕や紅姨〔アンイイ〕の舌や体に傷をつけ血を流しながら行う凄惨で奇声を発する神憑りの儀式を見るに及んでは、強い酒に酔ったように頭がガンガンして止まらなくなってしまった。
 道教はもう懲り懲りだというのが百目鬼の偽らざる感想であった。
 とにかく理路整然としていないものが何より嫌いな百目鬼にとって、余りにも雑然渾沌としている上に、旺盛にして猥雑な生命力に溢れている道教は、殆ど生理的に受け付けられないゲテモノ、性に合わないことこの上なかった。
 
 道教は、その祀り上げる神々の数が夥しいことにかけて、宗教界に並ぶものがないとよく言われる。

 日本神話にはよく『八百万〔やおよろず〕の神々』という表現があるが、実際には八百万もの神が神道に数え祀られている訳ではない。
 『八百万』というのは『非常に多くの』ということを意味するごくごく単純素朴な誇張表現に過ぎないのだ。しかし、あの巨大な中国で長大な歴史的年月をかけて形成され、現在もまだその無気味な成長を続けている異様な民衆宗教の道教には、現実に既に八百万を数える神の戸籍台帳があるに違いない。

 人体に宿るとされる小さな神々の数にしてからが既に三万六千を数え、
 道教の開祖と仰がれる道家の老子(太上老君)、
 最高神・元始天尊、創造神である太古の巨人・盤古〔ばんこ〕元始天王、
 中国古代の伝説的な君主である三皇五帝、
 仙人の支配者で仙境に住むという崑崙山〔こんろんざん〕の西王母と
 東華〔とうか〕の東王公、霊宝天尊、道徳天尊、玉皇上帝、
 二十四雷神の支配者・雷帝・九天応元雷声普化天尊、
 北極星の化身・玄天上帝、北極紫微大帝、北斗星君、南斗星君、
 乙女座にあたる角宿と亢宿の化身で七福神の一人・寿老人ともいわれる南極老人星のような星神、
 天・地・水の三元の神々の監督・三官大帝、
 地獄に落ちた人々の魂を救うという太乙救苦天尊〔たいおつきゅうくてんそん〕、
 災厄を未然に警告するという落鼻祖〔らくびそ〕・清水祖師、
 死者を蘇らせ、病魔を退散させるという保生大帝、
 『三国志』の関羽を神格化した関聖帝君、
 竈神〔そうしん〕・門神のような家を守る神、
 妖魔を祓う武者の神・鐘馗〔しょうき〕、
 漢字の創造者・蒼頡〔そうけつ〕、
 学問の神・文昌帝君〔ぶんしょうていくん〕、
 芸術の神で唐の玄宗皇帝たる西秦王爺〔せいしんおうや〕、
 安産の神・臨水夫人、
 閻魔大王と同一視される死者の支配者・東岳大帝泰山府君と、
 その娘にして人生全般に御利益を与えるという人気者の女神・天仙娘々〔てんせんにゃんにゃん〕、
 航海の守護女神・媽祖〔まそ〕、
 土地を守る土地公・城隍爺〔じょうこうや〕・后土神〔こうどしん〕・虎爺〔ほーや〕、
 導引術の発明者で医療の神とされる華陀〔かだ〕、
 竜宮城の竜王、風の神・風伯、雨の神・雨師、雹を司る雹神〔はくしん〕、
 黄河の神・河伯〔かはく〕、
 工匠の神・巧聖先師魯班、
 イナゴを追い払って農地を守る駆蝗神〔くこうしん〕・劉猛将軍、
 泥棒の神・時遷〔じせん〕、
 予言の神・猫将軍、
 花の神・花神、
 治水の神・二郎真君、
 英雄の守護女神・九天玄女、
 そして、あの超能力をもった偉大な暴れ者の猿の神・斉天大聖孫悟空……等々、

 道教本来の神にしてからが少しその触りを数えただけでも既に頭痛がする程夥しいのに加えて、摩利支天のなりかわった斗母元君、毘舎門天と同一視される軍神・托塔天王をはじめとして、仏教起源の多くの存在をも道教は取り込み自家籠中の神に変容させ、果ては、釈迦、阿弥陀、観音菩薩などは勿論のこと、墨子、全真教の開祖である王重陽、キリストやマリア、マホメットまでが道観には組み込まれてしまう。

 例えば、玄壇趙元帥という黒虎に跨がった財福の神がいるが、この神はイスラム教徒の神ではないかと言われているのだ。これに別の崇拝の対象である仙人達も数えたらそれはもう膨大な数に上るだろう。

 それどころか最近では、聖ヴァレンティノスや故マザー・ダイアン、エジプトの古代神にヒンドゥー教の神々、更にラヴクラフトの創造した怪物であるクトゥルフやナイアルラトホテプまで数え込む巨大なカオスの狂える万神殿、すべての神々を味噌も糞も一緒に飲み下し、驚異的な消化吸収の永久運動を続けて止まない《遊星からの物体X》のごときゲテモノ喰いの胃袋、既に単に《多神教》というには余りに神の数が多すぎるバケモノじみた《夥神教》とでも言いたい代物、偉大なる超迷信宗教、それが、道教だ。
 否、それは既に一個の宗教ですらないだろう。

 道教は、老子の哲学、神仙思想、易の陰陽五行説、方術、民間信仰、土俗的な呪術、土着のアニミズム、シャーマニズム、病気治療の符術、練丹術のような不老長生術の外に、仏教起源の呪術や、輪廻思想、瞑想法、宿曜術等の星辰信仰・占星術、儒教的な皇帝崇拝などのゴッタ煮宗教であり、その巨大な宗教の中華料理の大鍋のなかを覗けば、恐らく人間の妄想しうるもののなかに見つからないものは何もないほどありとあらゆるものがぶち込まれていることに誰しも愕然とするのである。

 道教は多神教などという生易しいものではない。それ自体が《多宗教》なのだ。

 その恐るべき道教を、この男・鳳来は、密教の曼荼羅宇宙の大風呂敷にすっぽり包みこみ、あの巨大な混乱を、それ自体殆ど無限大といってもいい荒れ狂う海のようなカオスを、万物照応の象徴のコスモロジーによって治水潅漑し、見事に整頓統治してみせようというのだ。

 それはまさしく、現実の地球世界でローマ法皇に対峙することのできる唯一の政治権力である、
 かの最後の軍事超大国・中華大漢大皇帝国を軍事的に征服するというに等しい大言壮語だ。

 百目鬼は全く恐れ入ってしまった。