〈壁〉の下では空間は鋏で切るように
 切り離されて殺戮されている。
 ベルグソンは時間が空間化されるとき、
 生きた時間が殺されるということを語って、
 空間を非難しているが、
 それ以前に空間が殺戮されているということを
 見落としてはいけない。

 空間は〈壁〉によって切断されることによって
 平面化されている。
 平面とは立体に反するものである。
 平面のなかで立体について思考すること程
 愚劣なことはない。
 立体は端的に平面には入らない。
 立体はただ空間においてのみ受容される。

 〈壁〉は立体ではない。それは平面である。
 平面は空間に反するものである。
 〈壁〉は空間を、立体的なものを、平面に置き換える。
 それは閉め出すことによって
 自分の中にすべてを幽閉する。

 〈壁〉の別の形態は〈大地〉である。
 〈大地〉とは
 それを乗り越えてゆくことのできない平面として
 わたしたちの前に立ち塞がり、重力によって呪縛する。

 ウィトゲンシュタインほどひどいものではないが、
 ハイデガーの哲学もまた愚かしく
 〈壁=大地〉に立ち塞がれ、
 身動きのとれなくなった貧相な精神を
 わたしたちに晒け出している。

 〈大地〉は
 根拠としてわたしたちを確かさにもたらすのではなく、
 むしろ、呪縛された愚かさへともたらす。
 それは足元を支えるのではなく
 頭を押さえ付ける抑圧的な思考である。

 〈大地〉の真の意味とは閉塞であり、
 それを越えてものが考えられないという地平の内側である。
 〈大地〉は〈外〉を一番悪い意味での不可能性として
 わたしたちから閉ざしてしまう。
 〈外〉はありえざるものとしてわたしたちから奪われ、
 体験不能の名のもとに体験されなくされてしまう。

 ところが〈大地〉は、その不可能にした〈外〉を
 〈大地〉自身の隠蔽性の〈内〉へと
 嫌らしく吸い取ってしまっている。

 わたしたちは〈大地〉の上にいると思っている。
 しかし実は〈大地〉の作り出した
 巨大な内面空間=凹んだ平面に、
 もう一つの〈内〉に幽閉されているのである。
 それは実は〈大地〉の下に埋葬されている
 というのと同じことである。

 例えばハイデガーは〈壷〉について語る。
 〈壷〉の内なる空間=空虚について語る
 ハイデガーの言葉は一見美しく感動的である。
 また彼は〈壷〉について語るとき、
 それを優れた意味での〈物〉として考えている。
 しかし、そのとき彼は〈物〉を見失っている。
 同時に〈空間=空虚〉をも見失っている。

 〈壷〉は、わたしにいわせれば
 〈大地=壁〉であるに過ぎない。

 〈壷〉とは凹んだ平面でしかないし、
 それは〈物〉の意味を明かしているのではなく、
 単に〈大地〉についての
 優れた譬えになっているに過ぎないのだ。

 〈壷〉のなかには四つのものが到来すると彼は語る。
 すなわち、蒼天と大地と神々と死すべきものという
 四つの意味が来る。
 それをハイデガーは存在の真理からの
 人間への贈物=運命であると言う。

 だがわたしはそれを拒絶する。

 そのような〈壷〉は打ち壊されねばならない。
 容器は破砕されねばならない。
 さもなければ真の世界は始まらないし、
 真の運命は誕生しない。

 ハイデガーの四つのものは欺瞞だ。
 そんなものは物の真の意味ではない。
 何故なら、大地は蒼天を切り離しつつ
 自分のなかから生み出しており、
 また人間を神々から切り離すことによって
 死すべきものにしているからである。

 実際にはそこには大地と
 それによって拒まれつつ呪縛された人間しかいない。

 わたしたちは大地という壷=子宮のなかに
 永遠に包まれて眠っている、ただそれだけなのである。

 しかし〈大地〉は〈壁〉であり、
 実はそれこそ〈物〉であるに過ぎないのだ。
 この〈物〉とは〈ありもしない物〉という意味で
 〈物〉と言っているのである。

 わたしたちは〈壷〉を
 それこそ壁にぶち当てて破壊することができるように、
 〈壁〉をも拳や鶴嘴によって打ち砕くことができる。

 わたしたちは〈ありもしない物〉に、
 〈嘘〉に惑わされるべきではない。
 破壊してしまえば
 〈ありもしない物〉になってしまうのであれば、
 〈壷〉とはそれ程重宝がるほどの〈物〉ではあるまい。

 そのようなものは単なる薄汚れた〈無〉である。
 そのようなものに呪縛されねばならないいわれはない。

 もし真に〈壷〉が〈物〉であるとしたら、
 それは破壊されても薄汚れた〈無〉を吐き出すことはない。
 むしろ〈壷〉の破壊、容器の破砕、バブルの崩壊、
 〈壁〉の破壊は、希望のきらめきを発散させる。
 アフロディテを、美を解放する。

 ハイデガーはむしろパンドラの偉大な壷のことを
 もっと深く考えるべきだったのだ。
 〈壷〉そして〈物〉の本質とは希望である。
 希望は決して破壊されないのだから、
 希望でできているパンドラの壷も
 また決して破壊されない。

 いつもわたしたちには明日があり、
 そして〈頁〉はめくられるのだ。
 このとき〈壁〉は破壊される。

 わたしはベルリンの壁のことを言っているのである。
 そしてまた別のより深い意味での
 このベルリンの壁にも似た
 より重苦しい〈壁〉のことをも言っているのである。

 この〈壁〉は〈沈黙の壁〉と呼ばれるべきものである。
 それはベルリンの壁の崩壊後も
 なおも残存するより重苦しい壁として
 他ならぬドイツにおいて発見された壁の名前である。

 しかしそれは全人類の頭上にのしかかっている壁である。
 わたしはそれを〈みにくいもの〉と名付ける。
 だが〈沈黙の壁〉という名称には
 重要な意味がこもっている。
 これこそが真のベルリンの壁である。

 この真のベルリンの壁を名指した
 偉大なポーランド女性の意味深い響きのあるその名に
 わたしは触れておかねばならない。
 その人の名はアリス・ミラーという。

 鏡の国のアリスを想起させる名前だが、
 勿論、ミラーというその姓は
 直接的には鏡を意味するものではなく、
 粉を挽く人を意味する。

 しかし、だからこそ尚のこと意味深長なのだ。
 そのことこそがより本質的な意味で
 この人を鏡の国のアリスたらしめている。
 鏡はまさにアリスによって粉砕されるべきもの、
 わたしが〈壁〉と呼ぶ
 邪悪に立ちはだかるものの典型であり、
 その最も本質的なものだからである。

 そして、わたしは不思議の国のアリスを想起させる
 別の意味深長な人物にも言及しなければならない。
 映画監督のヴィム・ヴェンダースである。
 その姓はワンダー(不思議)に響き合うものである。

 あの忘れることのできない予言的な映画
 『ベルリン天使の詩』が本当に戦っていたのは
 あの薄汚れた石の物理的な壁ではない。
 むしろ『パリ・テキサス』に現れるような
 ガラスの壁に対してこそ
 戦いは向けられていたとみるべきである。

 愛し合うものの間を引き裂き、
 それぞれを孤独な内面に閉じ込めてゆく
 抑圧的なガラスの壁は至るところにあり、
 それは現在もなくなってはいない。

 そしてヴェンダースが戦っている壁と
 アリス・ミラーが戦っている壁は全く同じものである。
 両者の思想的拠点も全く同じものに定位している。
 それは子供の魂である。

 子供の魂は大人の思想という抑圧的な鏡の、
 ガラスの壁によって窒息させられかけている。
 子供の瞳からワンダーを奪い、
 管理の檻に入れる偽りの愛はいつも鏡からやってくる。
 みにくいもの、それは例えば鏡張りの
 インテリジェントビルに象徴されている。

 子供の心はワンダーによって生き、
 胸に子供の心が生きていなければ、人間は生きていない。
 偉大な哲学者エルンスト・ブロッホは
 終生この子供の瞳を失わなかった人である。
 さもなければ希望の哲学はありえない。

 ヴェンダースのなかにも同じ魂がある。
 そして彼は意味深長にも
 『都会のアリス』という美しい映画を
 わたしたちにプレゼントしてくれた。

 アリス。不思議の国のアリスそして鏡の国のアリス。
 偉大な人生の教師ルイス・キャロルが
 わたしたちに啓示してくれた
 永遠のそして真実の子供の生けるイメージ。
 それはあらゆる偽りの教育、偽りの愛、偽りの知、
 偽りの世界に、そしてもちろん偽りの童話にも
 毅然たる〈NO!〉を突き付け、
 それを打ち砕く勇気を
 わたしたちに取り戻させてくれる象徴的な少女である。

 彼女はあらゆる大人のみにくい嘘を見抜く。
 偽りを引き裂き、真の人生を、
 真の運命を切り開くために、
 通り抜けることのできない鏡の壁を通り抜け、
 世界の頁をめくる
 アナーキーな真に革命的な精神である。

 そして勿論、エルンスト・ブロッホと同様、
 真の哲学者でありつづけたジル・ドゥルーズのことを
 わたしたちは忘れてはいけない。

 『禁じられた知』において
 抑圧的なフロイトの精神分析の
 エディプス・コンプレックス論を批判した
 アリス・ミラーと同様、
 ドゥルーズもまた朋友フェリックス・ガタリとともに
 過激な名著『アンチ・オイディプス』を書き、
 抑圧的な資本主義と精神分析を手厳しく攻撃している。
 そして『意味の論理学』は
 ルイス・キャロルとアリスについての
 素晴らしい哲学的考察を巡らせた本である。

 アリスとは単なる少女の幻影ではない。
 むしろアリスとは一つの偉大な力強い思想の名前なのである。

 アリス、それはニーチェの予言した〈超人〉である。
 そしてアルトーが〈器官なき身体〉の名で予告した
 〈神の審判とけりをつける〉者である。

 アリスとは偉大なるアンチクリストの名前なのである。