Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 3-1 東方の三博士

[承前]

劫初〔はじめ〕に神々〔エロヒーム〕、天と地とを創りたまへり
地は定形〔かたち〕なく曠しくて、闇、深淵〔わだ〕のおもてにあり、
神々〔エロヒーム〕の霊気〔いき〕、水のおもてを覆ひ漂い回〔めぐ〕れり
                                
                                (『創世記』1章1-2)

ここに天つ神、諸〔もろもろ〕 の命〔みこと〕もちて、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の神に「この漂へる国を修め理〔つく〕り固め成せ」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまいき。かれ、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画〔か〕きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末〔さき〕より垂〔したた〕り落つる塩、累〔かさ〕なり積〔つも〕りて島となりき。これ淤能碁呂島なり。その島に天降〔あも〕りまして、天の御柱を見立て、八尋殿〔やひろどの〕を見立てたまいき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひせむ」とのりたまひき。かく期りてすなはち、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、約〔ちぎ〕り竟〔を〕へて廻る時、伊邪那美命先に「あにはやし、えをとこを」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あにはやし、えをとめを」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹〔いも〕に告げて、「女人〔をみな〕先に言へるは良からず」と曰りたまひき。然れどもくみどに興して、子水蛭子を生みき。この子は葦船に入れて流し去〔う〕てき。次に淡島を生みき。こも子の例〔かず〕には入らず。(『古事記』)

※民間伝承によれば《水蛭子》は七福神の恵比須神となり、コトシロヌシとも同一視された。一方、《淡島》は夢の神となり、その名を記した紙を枕の下に敷いて眠ると、夢枕に会いたい人が立つという呪〔まじな〕いが伝えられている。(引用者注記)

ファラオその凡ての民に命じて言ふ、男子の生るるあらば汝等これを悉くナイル河に投げ入れよ女子は皆生かしおくべしと。ここにレヴィの家の一箇〔ひとり〕の人往〔ゆき〕てレヴィの女を娶れり。女姙みて男子を生みその美〔うるわ〕しきを見て三月〔みつき〕の間これを祕〔かく〕せしが、すでにこれを秘すあたわざるにいたりければパピルスの方舟をこれが為に取りて、これに土瀝青〔アスファルト〕と樹脂〔チャン〕を塗り、子をその中〔うち〕に納〔いれ〕てナイルの河邊〔かわべ〕の葦の間〔なか〕に置けり。……茲〔ここ〕にファラオの息女〔むすめ〕、沐浴〔ゆあみ〕せんとて河に降り、侍女〔つかいめ〕ども岸邊に行き交う。息女、葦の間に方舟あるを見て、婢女〔はしため〕をつかはしこれを取りきたらしめ、これを啓きてその子のをるを見る。嬰兒〔みどりご〕すなわち啼けば、息女、憐憫〔あはれ〕みて言ふ、これヘブル人の子なりと。……斯〔かく〕てその子長ずるに及びてこれをファラオの息女のもとにたずさへゆきたればすなわちこれが養子となる。息女その名をモーセ(援出)と名けて言ふ、我これを水より援〔ひき〕いだせしに因ると。
『出エジプト記』1章22~2章10(日本聖書協会『舊新約聖書』の訳を基に訳語等を多少変更)


   *  *  *


 そのときあなたがどんなに優しい顔をしていたか、写真にでも撮っておけるものなら、撮っておいて見せてあげればよかった。それはとても高貴な一瞬。


 あなたに言っておきたい。その娘もまたそれが真実であることを感じとって、大きな感動に満たされていたということを。そのとき、その娘には初めて、あなたが誰であるのかが分かったのだ。


 娘の心の底にも暗い神秘の泉があった。
 ふたつの泉はふたつの水瓶のように並んで共鳴していた。
 ふたつは女神の優しい両の手で傾けられ、ひとすじの川の流れに溶け込んでゆかなければならなかった。その日、それが起こった。


 十七番目の神秘がふいに娘に明かされ、秘密のカードが解かれたとき、娘の頭上に《星》が生まれたのだ。やがて彼女がそれをめざし、孔雀の尾羽をもつ翡翆鳥〔ハルシオン〕のように飛翔〔とびた〕ってゆくことになる七芒角の明星が。


 タロットの《星》は、何よりも希望を、そして星の息吹による霊感の閃き、透徹する洞察の真直ぐな路、恵みの雨を告げる札。
 彼女は大地から飛び立つ流星のように、微かな銀の軌跡をえがきながら、夜の大いなる胸に耀くイシスの星の勲章〔メダリオン〕へと遲〔ためら〕いなくとびこんでいった。
 その星は死と再生を司る天狼星〔ソティス〕――オシリスの蘇りをことほぎ、東に明るくさしのぼっては、《東方の三人の賢者〔マゴス〕》と呼ばれるオリオンの神秘の帯の三ツ星を呼び招く。


 三人の名前は、《δ〔デルタ〕》・《ε〔イプシロン〕》・《ζ〔ゼータ〕》と、あなたの天文学知識〔プラネタリウム〕には記されている。
 この三人は夜天の闇のなかを黒い馬に乗って千百光年も彼方からやってくる。
 それは暗黒星雲でできた馬で、中国では《参宿》と呼ばれたこの三博士を乗せるその体は、西を守護する聖獣・白虎の体。《参宿》は東方三博士のうち極東の者、三人の三番目である《ζ》の中国名で、ちょうどその位置に神秘の馬頭観音がある。


 インド占星術で《参宿》に対応するのはオリオンの《α》つまり平家星のベテルギウス。赤く変光する巨大な星で、アラビア語のイブト・アル・ジャウザー、巨人オリオンの腋窩を意味する語にベテルギウスの名は由来する。インド名がアールドラー、赤い暴風神ルドラの星、やがて偉大なシヴァへと進化してゆく古代バラモン教の偉大な神で、その意味は《叫び》、インドに襲来する台風〔サイクロン〕の叫びだ。暴風雨を齎す恐るべきマルトの赤い神々の長で、インドの軍神マルスであった阿修羅神。シヴァの額に叡智のシンボルである第三の眼があるように、このルドラの星であるオリオンα星の象意は、ティラーカという額の徴。インド人の額の赤い小さな星はルドラの指先がつけたのだ。


 そこで、東方の三博士に因んで出てきたオリオン座の《参宿》に因む四つの星の文字から、ギリシャアルファベットで一つの聖四文字神名〔テトラグラマトン〕をでっちあげる。そう、例えば、ゼーダ(Ζεδα)なんてどうだろう。これをギリシャ文字の数値変換表で値をもとめると、おやおや、タロットの《星》の番号と同じ17になる。ヘブライ語のゲマトリアではヤハウェYHVHは、26の数値。1+7も2+6も8だから、わたしの《ゼーダ》も満更悪い出来映えではない神秘な名前だ。