出来事は
 それが何処から出て来るのか
 出所はとりあえず不明である。

 出来事が出来するとき、それは何処からともなく
 事態がそこに起こってしまっている
 という仕方で出来しているのだ。

 出来事は、突発的に正体不明に
 「ただ何かが〈たった今〉起こった」
 というような突然性をもっている。

 そして〈たった今〉という風に〈今〉を切断し、
 或いは〈今〉を絶対的に切り離された
 近接しているがもはや決して戻り得ぬ過去へと
 略奪的に過ぎ去らせている。

 出来事の創造する近接過去には次元=広がりがない。
 現在が現在自身と非連続的にすれちがっている。

 確かに、出来事の創造する近接過去の〈たった今〉は
 近接しているが非連続的距離によって
 無限に〈この今〉から引き離されている。

 〈たった今〉は出来事の超越的過ぎ去りによって
 無時間的に〈この今〉から剥奪されている。

 しかしいま仮に〈この今〉とはいったが、
 そのような観測時点=トポスは
 多分その瞬間にはありえないのだ。

 そのときには〈たった今〉が
 〈今〉のすべてをその上に釘付けにしたまま
 恐ろしい速度でただ過ぎ去る。

 そしてこの過ぎ去りは超時間的であるだろう。
 何故ならそのとき時間は現在と同様に存立不可能で、
 石化したように凍りつき停止した瞬間があるのみだからだ。
 そのとき時間は死んでいるのである。

 しかし、それにも拘わらず、
 時間がないのにその瞬間は
 はっきりと刻印されるような時刻をもつだろう。
 否、決定的に時刻が時刻をもつのはそのときなのだ。

 時刻とは時を止めることである。
 或いは時間から追放された〈たった今〉の〈その時〉である。

 出来事の出来は、突然であり意外なのであって、
 それは偶然的でもなく偶発的なのでもない。
 出来事の出来は世界を横断的に切断的に引き裂く。
 そして出来事の起こり方はいつも爆発的で破壊的である。