麗江を歩く
ビザの延長に失敗した僕は、公安局をあとにしトボトボと、そしてヨロボテヨロボテと、重い荷物を前後横に抱えながら歩いた。
どこへ? バスターミナルへ・・・。 もうこの街に用は無い。また9時間かけて昆明まで戻らなきゃならない。
公安の連中の笑い声が頭の中にこびりついていた。
あいつらクソッタレだけど俺はもっとクソッタレだ。
僕の旅の目的はチベットを見ること。許された中国滞在期間は残り一ヶ月もありゃしない。急がなきゃ。
うしろからさっきの女の子たちが歩いてくるのがわかった。別に僕に用があるんじゃなくて、向かう方向が一緒のようだ。当たり前か。。。
彼女らが僕を追い越そうというときにも僕は話かけなかった。
公安で赤っ恥を晒したせいもあるが、童貞よろしく女の子と接するのは恥ずかしいのが主な理由。
やはり交差点の信号待ちではち合ってしまった。僕はその瞬間コケて赤信号に飛び出てしまい、慌てて戻ったところ笑ってる二人を見て、、、
ホッとして笑った。ついでに「いや~危なかった、フゥ~」をジェスチャーした。年上の方がもう一人に何か喋った。推測するに、たぶん「こいつアホだ」だと思われ。。。
そうだとしても!、、
故中島らもさん言うところの、今日の天使に謝謝!! おれは本当に馬鹿だ(泣)
麗江で
面に公安なんとかと書いた看板があった。古くて小さい建物だ。田舎にある昔ながらのといった感じ。で、ここが麗江の目的地。
入ってみると先客がいた。女の子二人が受付の男と楽しそうに話をしていた。見た感じ三十路前と二十歳前後。驚いたことに
日本語の「ありがとう」を言い合っている。彼女らは受付のカウンターに日本語の教科書を広げていて、三十路前が男の発音
が悪いのに憤っている。僕は彼女らが中国人なのか日本人なのかわからず混乱して突っ立っていた。
男が僕を見て急に話しかけて来た。僕も急に話しかけられてテンパった。返答に窮していると、三十路が日本語で話しかけてき
た。よく見ると高木美保似の美人だ。
「あなたは日本人ですかときいてる」
発音の感じで彼女が中国人だとわかった。そうだと答え、彼女が訳すと一同が笑った。男がまた話しかけてきた。とにかく用件を伝
えないと。急いで会話ガイドブックを取り出して捲りながらなんとか伝えた。
男が何か言っている。三十路の通訳に従いパスポートを見せると、笑いながら首を横に振ってやがる。
「まだできないと言っている。ビザがなくなる一週間前になればできる。」
まじかよ。。。このためだけにはるばる昆明から9時間かけてきたのに。飛行機も昆明着にしたのに。インターネットや本で情報を集
めた結果ここだったらできると聞いてたのに。
僕はチベット入りする前にビザの延長を目論んでいた。チベット入りしてからだと難しくなるので、本土で済ましていこうと思ってい
た。でもだめだった。目的地チベットでの長期滞在はこれで絶望的になったわけだ。
旅の三日目にして途方に暮れた。
麗江へ
驚いたことに、乗ったバスは偽皮張りのDXバスで、まがりなりにも洋式の水洗便所がついていた。途中休憩があるのはもちろんのこと、食堂で昼食まで摂ることができた(昼食はチケット代に含まれている)。更に、車内では一人一本ミネラルウォーターが配られたり、香港のアクション映画(ジャッキーチェン主演「神話」)まで上映するサービス付き。バスの中に一人、30歳くらいの女が車掌で居て、日本人の僕にずっと気を配って世話を焼いてくれた。これには感動してしまった。
だけど、一昨日泊まった高級ホテルといい、このDXバスといい、バックパッカーの格好していながらなんだかなぁと思ってしまった。
まあ、旅はまだ序盤だからこんなもんか。
これだけ長い時間バスに乗っていると、ふと、バスはどこに向かっているのだろう、実は目的地など無くて、このままずっとこんな風景を見せながら走り続けて時間という枠から外れてしまうんじゃないだろうか、このバスは時を離れ、世界はそれを気づかずに廻り続けるんじゃないだろうか、のような錯覚を覚える。そうなってしまえば良かったのに。そんな夢を見させてくれるからバスが好きだ。 余談だけど、日本にそんな感じの唄があって驚いた。みんなそうなんだと思って安心した。羅針盤「せいか」。
麗江のバスターミナルには午後3時まえぐらいに到着した。南に来たはずなのに、昆明よりもまた標高が上がったため涼しい。むしろ肌寒いくらいだ。
北の方角に、この街のシンボルとも言える玉龍雪山(約5500m)がいかにもボスのような面をして、僕ら下界の者どもを見下ろしていた。
ここは麗江古城という世界遺産に登録されている旧市街と、新市街とに別れている。バックパッカーは旧市街のなかで安宿を見つけ、麗江周辺に点在する美しい山や湖、または珍しい部族の村を訪れる為の拠点にする。この麗江周辺の地域は漢族以外のいろんな部族が遥か昔から住んでいて、その伝統は今も色濃く残っているという。だから、日本人が一般的にイメージする中国文化と比較すれば少し変わった一面が見れる地域だ。麗江自体、ナシ族自治県の県府になってるくらいで、ナシ族と呼ばれる人々がこの街の大半を占める。
ただ、僕がここに来た目的はそうしたことではなかった。
この街で、僕は一人の女の子と出会う。
昆明でもう一泊
さすが雲南省の省都。だけど、と言うのも変だけど、すでにここの標高は2000m近くもある。そのせいで気温も暑すぎず寒すぎず、僕にはちょうど良かった。でも埃とせわしなく動く人々の雑踏がこの街を殺風景に感じさせる。さらに「出発3」で書いたように荷物が多いわ重いわで、歩いてたらいつの間にか汗だくになっていた。このとき僕は、ガイドブックの地図を頼りに宿を探していたのだ。
ここは都市だけあって、人々は僕のことなど見向きもしないが逆に少し安心した。勝手な偏見で、アジアに行く旅行者はみんな現地の貧しい人々に取り囲まれてるイメージがあったからだ。もしかしたらそれも旅の楽しみなのかもしれないが、今そんなの来られてもかまってる余裕は無い。
何度か立ち止まって、方位磁石で向かう方角を確認しながら歩いた。昨日泊まったのは昆明飯店。今日泊まる予定なのは昆湖飯店、バックパッカーに有名な安宿だ。地図で見るとその距離2キロ程度なのに、やたら遠く感じた。行き交う人々の数が多く歩道が混んでてイライラしたけど、いつスリやら強盗にやられるかもしれないと意識を緊張させて突き進んだ。
その途中、足のない小さな男性が、歩道に墨で何か書いているのを見た。達筆だ。しかもかなり長い文章になっていた。文章が書かれている面積は縦3m×横1.5mくらい。当然全て中国語の漢字なので内容はわからなかったが、ときどき彼に向かって小銭を投げる人がいるのを見ると、彼のことをいろいろ想像できた。彼はどこから来てどこへ行くのか。
あと、盲目のボロボロの老人が歩道の隅じゃなく真ん中に座って、もう何十年使ってるか分からないボロボロの弦楽器を演奏している姿も見かけた。
なぜか彼らが自分の師に感じて歩く足に力を籠めた。
やっと着いたその宿は、自分の話す発音がまずいせいでなかなかチェックインできなかった。
築25年くらいか。もっと経ってるかもしれない。雰囲気だけは日本でいうところのビジネスホテルのようだ。一泊シングル40元。
1元を15円で計算すると600円。だいぶあとで分かったけど、ここは特別高いわけじゃないが安くはない。
あるだけましだろ!と言わんばかりの頼りなさげなエレベーターで5階まで行くと、門番の役目らしい中年の女が部屋まで先導してくれた。日本の昭和初期の病棟の個室のようだ。シャワーとトイレは共同。
中国のこうした共同トイレはそのほとんどが扉は無い。一応隣りとのしきりがあるがやけに低かったりする。ここはまさにそれだった。もっとひどいところは縦長に溝があるだけ。想像すると嫌な予感がすると思うがまさにその通りで、皆その溝に並んでしゃがむのだ。
最後に女が少しひっかかることを言ったような気がしたが、流して部屋に入って菓子やみかんで昼食にした。
部屋を出て外出しようとすると、女が「ヤオス!ヤオス!」と叫んでいる。ヤオスは日本語に直すと鍵。え?鍵を預けて外出しなきゃいけないのか!?さっきもなんかそんな事言ってんじゃないかなぁと思ったんだよ。
やっぱりそうらしい。そのせいで旅の二日目にして荷物盗まれたくないから極力部屋にいた。んだよここ!!(怒)
明日麗江に行くバスチケットを買うため、ターミナルに足を運んだ。
ターミナルの外で客引き二人に話しかけられた。彼らはこの公営バスの人間じゃなくて、旅行会社が兼ねてやってる私営バスの人間だ。二人ともそれぞれ別々の会社の名刺を差し出しながらしきりに話しかけてくる。僕の連呼する「プーヤオ(要らない)!」は当然無視だ。結局ターミナル内の建物にまでついてきてしまった。ごった返している窓口で一緒に並んだ。逃がさないぞってジェスチャーか。10人くらいに横はいりされてからやっと番が来た。こういうとき、中国人なんかみんな死ねばいいって、本気で思う。
失敗した!あらかじめ紙に書いておけば良かった。全然言葉が通じない。急いでガイドブックと紙とペンを取り出してページを捲ってなんてしてる間に、客引きの連中が僕の周りで人だかりをつくっていた。なんかみんなあーだこーだ言ってきてうるさい。うるせーんだよ。黙れ。死ね。 黙れと言われて黙るような人種じゃないのが余計癪に障る。テンパりすぎて「麗」の中国文字ド忘れしちゃったじゃねーかよ!
窓口のおばさんが意外にもうまく取り計らってくれて、なんとかチケットを手に入れることができた。180元。たぶん僕を取り囲んでた客引きのやつらはみんな、俺のバスのほうが安いと言ってたと思う。実際そうらしいけど、安全と確実をまず第一に考えたので高いとは思わなかった。
しっかし改めて見ると汚ねーとこだな。もう僕疲れたよ。ああそうだ、金も両替してつくらなきゃならなかった。
両替は中国銀行でしかできない。ここの窓口の小姐が応対よくて笑顔がかわいかった。故中島らもさん言うとこの、今日の天使だな。
明日はやっと麗江だ。
出発3
・US$T/C(トラベラーズチェック)・・・25万円
・日本円T/C・・・15万円
・日本円現金・・・約8万円
(だと思った。もしかしたらこれより少ないかも。バックバックの旅行経験のある人は分かると思うけど、3ヶ月で考えた場合この額は多すぎる。行くつもりだったのは中国、チベット、ネパール、タイ。物価が安い国ばかり。このうち少なくとも日本円現金は使わずに帰るつもりでいた。なぜ日本円のT/Cをつくったかというと、現金を持ち歩くのが怖かったし、使わずに帰国してもレートの心配をする必要がないから。当初はほんとにかなり早めに旅を切り上げるつもりでいたのだ。)
一人旅初心者らしく、首から提げて服の中に入れるタイプの財布兼パスポート入れ。T/Cの入った腹巻タイプの貴重品入れ。
足首に巻くタイプの紙幣入れ。うしろにポッケのついたトランクス。内側にポッケのついた靴下。さらに、ベルトに通してズボンの内側に収納できる貴重品入れ。普通の財布は新宿のアウトドアショップで一番使いやすくて収納しやすい、んでチェーンのつけれるものを選んだ。
服装に関しては、ズボンは基本ジーパンにした。なぜならチベットの自然に耐えられる素材で、財布など比較的安全に収納しやすいから。
うえはTシャツのうえにロングTシャツとトレーナー。チベットの寒さ対策として、フリース、ダウンジャケット、ダウンのズボン、ウィンドストップのジャンパー上下セット、-20℃に耐えられる肌着上下セット、、マフラーは邪魔になるので頭から被って収まるタイプの首巻き、ニット帽、作業用の中敷(完全に足の指先から足首まで、足全体を覆ってしまう特殊な中敷)。寝袋。チベットの砂塵や乾燥した空気対策に医薬品各種。靴もチベット用に登山靴。
おわかりの通りチベットのために荷物がはじめかなり多くて参った。そのせいで40リットルのバックパック、25リットルのサブバックが荷物でいっぱいになっていて、さらに大きなビニール製の肩掛けリュックに荷物を詰め込んでいた。
「明日からどうすりゃいいんだ。旅の目的ってなんなんだよ。」などと思いめぐりながら答えを求めず待たず、ようやく眠りに着いた。
南アルプスの山小屋で季節バイト2
このバイトを紹介してくれたクリスチャンの彼が、
「山をなめるな」
とよく言っていた。
うん、山はすごい。
晴れの日の夜は満点の星空で、流れ星が流星群さながらに飛び交う。振り向けば天の川が見えた。僕は一度とても大きな流れ星が、ゆっくりと右から左へ移動して消えるのを見た。時間にして10秒くらいだから、そうとう長い時間だ。あんな大きなの生まれて初めて見た。
しかもそれを森に囲まれた環境で見ている生の感覚は何ものにも代えられない喜びがあり、
仕事の疲れなど消えていくようだった。
台風の影響で大雨が降った次の日は快晴だった。
真上の太陽の周りを虹がぐるりと取り囲んでいた。さらに向こうの山際からどでかい虹がにょきっと出ていた。ここで今レイブパーティーなどしてたら皆大盛り上がりでハッピーな瞬間だったに違いない。
交替で早番の仕事があるのだが、晴れていれば朝の五時前に見事な御来光が拝めた。
特に僕らのいる山小屋からだと、向こうに山岳信仰で有名な霊山があって、そのすぐ右下の雲海から日出る姿を拝めた。
一度山頂まで登らせてもらった。その途中先輩の知っているお花畑に連れて行ってもらったんだけど、僕今キマってるのかな~と自分を疑った。本物の萌え~な風景。
で、すみません。今回カメラを持っていくのを忘れたので、これらの写真が一枚もありません。
だので、是非、一度実際に登って見てください。うちの山小屋は標高2600m以上ありますが、泊まるのは9割が高齢者と呼ばれる年齢の人でした。だからみんな登ってみて下さい。
山ってすごかったです。でも、なめると痛い目に会うで気~つけや。
南アルプスの山小屋で季節バイト
サダルストリートの安宿で一人のクリスチャンに出会った。
彼は名古屋在住の24歳。このコルカタにあるマザーハウスにボランティアをするためインドに来ているという。
高校卒業後、単身アメリカの大学に通い、その街の教会にふと足を踏み入れたのがきっかけだったそうだ。とてもまじめな人で、朝早く起きてボランティア、午後はまた別のボランティア。くそ暑いなかで精力的に動き回っていた。
なぜ今彼のことを出すかというと、彼に住み込みの季節バイトなるものを教わったのだ。
彼は、南アルプスの山小屋に住み込み、2ヶ月とちょっとで約60万円ものお金を貯めて、
今回もそのお金でここに来たというのだ。
さらに山小屋ではお金をまったく使わないため、貯まるだけなのだそうだ。
その話を聞き、帰国後その山小屋の方にメールをした。
すると、今年は人が集まらないので是非来てくれとのお返事。
というわけで、7月の初旬から8月の下旬まで行って参りました。
帰ってきたら、頭がハゲたことに気づきました。
最後の2週間は、これまでの人生で最も長い2週間でした。
えー、こんな使えない馬鹿を辛抱強く置いていただいて本当にありがとうございました。お世話になりました。いろいろと勉強になりました。
下山しても頑張ります。
出発2
雲南省昆明の空港についた。当然のように周りは皆チャイニーズだ。
右も左もわからない。僕、どうなっちゃうんだろう。
あ、みんなあっちに行くから着いてこーっと。
パスポートのチェックを無事すませ、自由の身になった。独りぼっちだ。
トイレに入った。ああ、この汚さ、中国だ。
気合をいれて開き直った。
大学時代、少しばかり齧った中国語で「タクシー乗り場はどこだ」と空港で働いているっぽい
若い女性に尋ねた。返ってきた返事は、
「ああっ!?」
・・・・。とてもムカツイた表情をしておられる。日本では考えられない応対、ああ、中国だ。
この娘、セックスのときはどんななんだろう。表情豊かでいいのかもしれない。ごめん。
仕切りなおしてもう一度、タクシーと中国語を吐いたが通じない。
英語でTAXIと言ったら通じて凹んだ。
空港を出ると中国語があちらこちらで叫びあっている。少し肌寒い。
その中でタクシーが列をつくっているのを見つけて、先頭のおやじにホテルの名を告げた。
「嗚呼、対~」(おお、わかったぜ~)
おやじの愛想のよさに少し怖いものを感じ紙に書いて念を押した。ガイドブックによれば15分程で着くはずだ。どっか暗いところに連れて行かれたらどうしよう~。
タクシーに乗っている間、恐怖を感ずかれないよう腕を組み、大股開きで不機嫌そうな顔をしていた。 頼むから無事に着いてくれますようにと祈っていた。
おやじが聞いてきた。
「おまえは日本人か?」
僕は答えた。
「そうだ。」
おやじは笑みを作りながら
「お~日本人~そうかそうか~」
僕は、こいつやばいかもと思いますます不機嫌なふりをしておし黙った。
タクシーは高速道路のような道路を出たり入ったりしてるうちに、市街へ出た。あまり街をよく
観察する余裕はなかったけど、さすが昆明。街の規模がかなりのものだとすぐわかった。
街の乾いた感じが中国らしかった。すでに11時をまわっているのに街はまだまだ眠ろうとしない。
約25分でホテルに着いた。古いけど高級ホテルの老舗らしく、とても立派なロビーが見える。
タクシーのおやじは25元の会計に対し、僕が30元支払うとニコニコしながらドアを開けてくれ、
ニコニコしながら去っていった。なめられてる。でも、無事着いて本当に良かった。ただそれだけ!
ロビーでデポジットとして200元もとられた。無事に戻ってくるのかなあ。
部屋に入ると汗をかいていることに気づき、風呂にはいることにした。なんといっても高級ホテル。バスルームはユニットだがそれなりに広い。まわせばお湯もちゃんと出る。
つまり、たいしたことなかった。日本のビジネスホテルの少しいい部屋くらい。
はじめに湯船に浸かって、一度栓を抜いてシャワーを浴びようとしたら、どんなにやっても栓がとれない。仕方がないのでそのままシャワーを浴びた。掃除のおばちゃん困るだろうなあ。
一息ついてから実家に電話をかけた。この旅の間中、親と連絡をとることにとても消極的だった。必ずや旅のテンションが下がると確信していた。出ないので姉に電話して、明日親に無事を伝えるよう頼んで寝た。
翌朝早起きすれば一気にバスで麗江へ向かうこともできたが、今日はゆっくり寝て、明日は昆明にもう一泊して、明後日麗江に向かうことにした。
幼馴染の結婚
彼とは小学一年生からの付き合いになる。いつから遊ぶようになったのかは知らない。親同士知り合いだったわけでもない。とにかく気がついたらいつも一緒にいた。今は会う数こそ減ったがお互い特に付き合い方の変化はない。
変化ないといったら嘘かな。僕は彼の子分みたいなもんだった。高校三年の後半あたりから、わりと対等に付き合えるようになったかも。
彼は間違いなく冴えてる人間だ。それは決して井の中の蛙ではないと思う。そしてかなりの毒舌家だ。容赦ない。そしてアナーキーな性格だ。今までいろんな人を見てきたが中でもトップクラスに毒舌家でアナーキーで高飛車でシャイだと思う。そのくせいろんな意味でものすごく器用だ。
その点からして僕と接点はないはずだ。 優れたサラブレッドとまったく優れてないチンカスとの組み合わせ。
彼は小学生のころからパンクロックに走っていた。小学生でブルーハーツを愛聴してたのは他にいなかった。そしてなぜか高級なものが好きだった。ブランドに走ることもあったが、それよりも単純に高級品が好きだった。
小学生のとき、よく近所の川にボラを釣りに行った。
釣り竿と一緒に空気銃を持っていって、釣ったボラを空気銃で撃って殺す奴がすげえみたいに見られてたけど、あれやだったなあ。まあそれはいいや。
川へ行く途中、小さい釣具屋で浮きだの錘だのつり糸だのを買ってくんだけど、彼は袋に「最高級」と書かれてるものしか買わなかった。最高級といっても何十円の世界なんだけど。どうも品質に拘っているのではなく、それが「最高級」であることに拘っていたようだ。
高校二年生のとき、彼は21歳で自殺するんだと言っていた。彼は当時メガネの奥に半端なく鋭い眼
を携えていた。彼は当時僕のなかで最高のベーシストだった。「最高級」じゃなくて最高。うん、今でもそうだな。高校二年のときから僕らはバンド組んでたんだけど、そん時のメンバー全員が僕にとって最高だった。
もっとうまい連中なら探せばいたかもしれないけど、そんなの全然惹かれなかった。大事なのはそこじゃないのさ。彼らのおかげでいいバンド人生を過ごせたよ。
話が飛んだり跳ねたりしちゃったかな、、、
僕が旅に出る3,4ヶ月前、彼が住む東京のアパートに呼び出された。彼は電話で僕を呼ぶとき、なんだか変だった。まあいつも通りちょっとえばった感じなんだけど、なんというか、いつもの歯切れのよさがなくて、とにかく来いって感じだった。僕はそん時住んでた高円寺から1時間弱で彼の賃貸マンションの一室に着いた。玄関前のネームプレートには二人の名前が横に並んで書いてある。
リビングの赤いソファに腰を落ち着けてタバコを吸いつつ、
「今日彼女さんは?」
「今仕事行ってる。」
「ああ、そうなんだ。」
「おまえにこれを聴かせてやろう」
「なに?」
「こんくらい歌えるようになれや」
「無理だよ。こんな美しい声オレのどこから出るのさ。 これはモテそうだな。こいつら絶対モテまくってるよ」
「練習しろや。おれがこのカンペキなハモリではいってやるから、さ。
今全米のチャートで7位になってる。まだ日本盤出てない。だーれも知らん。」
「へ~」
はっきり言って今や音楽の好みは全然違う。 でも彼は遊びに行くと必ず自分のコレクションを聴かせて自慢気に語り悦に入る。 僕はその音楽に惹かれることはまず無いんだけど、彼の話に合いの手を打つのが楽しいのでこの時間が好きだ。
しばらくこんな会話をしたあと、なんとなく間が空いた。二人とも二本目か三本目のタバコを吸っていた。
ベランダに通じるリビングの窓は一間で、座ってるソファの右側そばにある。そっちに目をやると彼が窓に対して横向きに立って煙を吐き出す姿と、秋の曇った空と風に揺れる電線が確認できた。そして再び正面のオーディオに目をやった。エモバンドの美声のハモリをなんとなく不快に思った。
「おれ結婚するで。」
「へ?まじで!!!?……………… お、オメデトウだね。」
そう返すのがやっとだった。
フっとろうそくの火が消えるのを見た感じだった。秋の曇天になんかが風に吹かれて飛んでって視界、つまり
窓枠の外側に消えた。もうそれは二度と見ることができないような寂しさであっけにとられた。
そんな現実を良い状態で受け止めることができない自分はほんとダメだと思った。
エモバンドへの不快感がなぜか憤りに変わっていた。
「い、いつごろ?」
「一月くらい。まだ予定だけどね。」
「す…すげえな」
「これ歌えるようにしとけよ。おれがこのピアノの部分完ぺきに弾くからさ。」
「いやこれは無理だよ。歌えないって。」
「歌えるわ!練習しろや。」
「いや、もうこれは生まれつきの声の問題だって!」
それから月日が流れ、旅に出る一ヶ月前、披露宴の時期が予定よりずれこんで来年の5月になりそうだということ、ギターのKと何か一曲とその後の友人代表の言葉を任された。
まいったな。生きて帰らないといけなくなった。 そん時はそう思った。
帰国後Kと選んだのは「関白宣言」。
披露宴本番、足が生まれたての小鹿のように震えながらも爆唱した。黒い競泳用のゴーグルを装着したおかげでふっきれた。
その前の友人代表の言葉はスベった。緊張で声が震えすぎて言葉になってなかった。
彼は凛々しかった。奥さんはこの世で一番きれいだった。
親族だけでやった教会での結婚式の映像を流す時間があった。それは今まで見たどんな映像作品よりも感動した。
繰り返すけど、ウエディングドレスの奥さんはこの世で一番きれいだった。そんな彼女と彼のキスシーンはいろんな意味でショックだった。だってシャイで高飛車な彼がでかいスクリーンの中でキスしてんだもん。みんなの見てる前で堂々と。
タブーに触れた気がしたよ。でもどうしようもなく神聖だった。
僕と彼の命よりも彼女の命は大事だ。
なぜなら彼女は彼がこの世で一番愛する女だからだ。
いい披露宴だった。
結婚したくなった。
ああ、教会で式挙げたい。ほんとにすごいんだから。式やるなら絶対教会。
お見合い結婚したい。
誰か僕とお見合いしてください。
祖国童貞だけど。
おわりのはじまりのおわり 2
前回書いた内容を、どうやら母親に読まれた。うちは一台しかパソコンがない。
母親もときどきインターネットをする。「お気に入り」に新しく「アジア旅行・・」とかいてあるのが気になって開いてみたのだろう。
先日弁明をされた内容で気づいた。
失業保険の件と、通帳を確認したことに対してだ。別に僕はそれに対して
怒る権利もなきゃあ湧き上がることもなかったんだけど。弁明以外にも、
書いた言葉が幾つかキーワードのように出てきた。
とにかく僕のせいで家族の雰囲気は最悪の状態で、特に母親は精神的
に飽和に向かっていた。そして前の日のバイト宣言で到達し、先日の運びとなった。バイトの内容も土木関係や、南アルプスの標高が高い山小屋などで、ろくでもない仕事に見えたかもしれない。
母親にすれば加えて、バイトを一度始めると就職への意識がどんどん下がる
ことをひどく危惧しているのだ。
なるほど。現実に周りを見ればそんな友人が何人も思い当たる。
彼らがまともに就職する意識が低いのは確かだと思う。
僕にしても今そうだ。
ところが、母は飽和に達してから180度言うことが変わってしまった。
その先日のとき「とにかくこの家を出たいんでしょ?」「任せる」と言ったきり、
その類の話題を口にしなくなってしまった。
それが辛くてしかたがない。納得してるはずはないのに。
一見今は落ち着いてもとの状態に戻ったように見えるけど、むしろ
事態はより複雑になってしまった。
できるかぎり、家族の不安を取り除く義務が僕にはある。
帰国した当初抱いていた前向きな気持ちは、どうやら常識から見たら
まったく通用しないらしい。やっとこの歳になって自分で動けるよに
なったと思ったら、帰国した途端足を切断された気分だ。でも、ほんとに切断
されたほうが、あきらめがついていいような気さえする。家族にしても、ずっと
そばにいるから安心してくれそうだ。生活で迷惑はかけるけど、きっとその
方が家族にとってもいいんだろう。僕は家族に愛されている幸せ者だ。
もの心ついたときから、求められてるはずないのに求められることに困惑している。
家族だけに限らず友人などにしてもそうだ。
いないほうがいいのかと思い離れようとすると、いろと言われる。
どちらか
であれば、いないほうがいいに決まってる。
だから僕はできるかぎり一人を選ぶ。でも周りは放っておいてくれない。
なんか、やな話だ。この「帰国後の日々」シリーズはおしまい。
旅をするのはとても楽しいけど、いいことばかりじゃない。
僕なりにいろんな部分を見てもらおうとしたけど、まあ、
日本ならどこもこんな感じだろ。今さら聞きたくねーよって話だ。
僕はこういう告白めいた個人のページがあるとついつい読んでしまう。
だから、数は少ないだろうけど、僕みたいな人はいるのではと思い書きました。
でも、今読んでくれてるのは友だちの一人だけだし。
写真貼れ貼れ言ってるし。
こんなん気が滅入るし。
また書かなきゃなと思ったら書きます。
次回やっと旅の内容に移ります。写真を交えて、な。
今夜11時頃、気分直しに映画でもと選んだ一本、山下敦弘監督の
「その男狂棒に突き」のラストシーンで部屋に母親が入ってきて、
いやな緊張が5分ほど続いた。気になる方はTUTAYA など へ GO!!!
僕はこの監督のファンで、出てる作品は全部見てます。
「バカの箱舟」からはいられるのが宜しいかと思います。
一番有名なのは「リンダリンダ」ですが、それは後回しでいいです。
それよりも、「リアリズムの宿」「どんてん生活」あたりのほうが、
監督の世界がより楽しめるのではないかと。この人はイかす!
