今昔舞踊劇とは、僕の大好きな「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」、
「御伽草子」といった古典作品や伝承伝説を題材にした舞踊劇だ。
日本舞踊の面白さを演劇的に表現してみたくて、
小劇場の町、下北沢でスタートしたのが12年前。
そして舞台を山梨県の甲斐善光寺に移して今年で10周年。
同時に靖国神社で7周年を迎えた。
現在では、それなりに評価を頂戴し、
規模の大きいイベントなどでも披露させて頂くに至った。
しかし、まだまだメンバーの数も練度も足りない。
作品のクォリティーも上げてゆかねばならない。
課題は山積みだ。
実はこの「今昔舞踊劇」、
もともと僕が海外公演を目指し立ち上げたコンテンツなのだ。
海外でチャレンジする。日本人として、日本文化に根ざした芸で。
25年前のあの経験が、僕の頭の芯に灯を点し、
ずっと燻っている・・・
1989年、演劇系の大学に在籍し3年生だった僕は、
アメリカはニューヨークからノールカロライナ、ワシントン、
更にカナダはバンクーバーまでの、海外公演旅行を経験した。
演目は、日本各地の芸能、狂言、日本舞踊と和太鼓、そして舞踊劇。
オーディションを経て、稽古に半年。
踊りまくり、太鼓叩きまくりで相当な大作だったと記憶している。
最初、ニューヨークの大学で行なった公演は、
翌日にはニューヨークタイムズに大きく取り上げられたとか。
ニューヨーク市庁舎前で、プレ公演を行なったりして
それなりに話題を呼んでいた。
ところが、あくまで大学主催の公演であるため、
宿泊はホテルではなく学生寮。
これがスラム街近くの寮で、NY市警の警察官から
「金より、命を取られない様に用心しろ」
とレクチャーを受ける始末。
まあ、そういう街の方こそ冒険が一杯で、
それなりに楽しかったんだが・・・
設営~出演~撤去も全て自分たちでこなし、
NY以後はホームステイも経験。
劇場が一つなら良いのだが、
毎日、異なる場所であったりすると、
設営~出演~撤去を繰り返す事になり、
25時解散、7時集合が連日なんてのもざらだった。
送り迎えもしてくれていたホストファミリー
(ホームステイ先の家族)の方々にも申し訳なかったが、
僕たちに取ってもこれはかなり過酷だった。
取材も多く、現地でのワークショップやらなんやらで、
スケジュールはかなり厳しく、心休まる事は殆どなかった。
ニューヨークやワシントンといった大都市の劇場での公演もあったが、
中には果てしない国道をバスで長距離移動し、
砂漠の真ん中、西部劇に出てきそうな野外ステージも経験した。
豚が丸焼きになっていたり、ロデオをしていたり、
ピックアップトラックが爆走している傍ら、
燦々と降り注ぐ強い日差しの中、脱水症状と戦いながら、
着物で踊り太鼓演奏をするような事もあった。
今考えると大分シュールなロケーションだった気がする。
しかも1日に3~4ステージはやったかな。
砂漠の時は熱中症もあったが、ストレスや疲労も激しく
同じ出演者の友人が出番直後に吐いている様な事もまま有った。
食文化の違いも大きく影響していたと思う。
サンドウィッチ、ハンバーガー、ホットドック、
ピザ、ドーナッツ、コーラ・・・胃が休まる物が何もない。
早朝から高さ5cmくらい分のパンケーキや、
津波の様なコーンンフレーク。
ある家では二日間で5食、
ミートソーススパゲティとベーグルが続いたと思ったら、
「ランチは日本食だぜ!」と、
インスタント素ラーメンにベーグルを用意しくれたり、
「今日は日本食を食べに行こうぜ!」と言って、
韓国風BBQプレート料理店に連れて行ってくれたり、
それなりにネタになるような事も多々あった。
今思えば相当な笑い話ばかりだが、
当時は言葉も通じず、そりゃ大変でした。
ただでさえ連日の公演でへとへとでしたから。
こんな状況で商業レベルの本数こなしてました。
なぜかアメリカ人スタッフと、
お互いの母国語で会話が成り立つという不思議な経験もした。
帰国したらケチャップが嫌いになっていたなぁ・・・
痩せたか、締まったか、当時のウエストは68cmで、体重は62kg。
身長170cm、上半身は逆三角形で、太腿と脹脛は岩の様だった。
「ドラえもん」とか「トトロ」と呼ばれる現在とはあまりにも異なり、
当時の写真を見せても「誰?」と言われる始末。
まあ、体型の事はさて置き・・・
あの頃の経験が、今の僕の精神的体力に繋がっているような気がする。
作品と向き合い、ひたすらクウォリティーを高めるべく、
表現者として職人たらんと粘り続ける責任感。
人種も、文化も、宗教も、風俗も、価値観も異なるお客様の前に立ち、
稽古で積み重ねて来た事を、ただ愚直に表現し続ける緊張感と、
その空間で解放され生きる爽快感。
そして至らぬとは言え、お客様に楽しんで頂いたと実感出来た後の安堵感。
終演後のスタンディングオベーション・・・
あの時の感覚を、僕は確実に覚えている。
あの、脳が痺れる様な感動を・・・
近頃は株価も上昇、円安も進んで何気なく安定はしている様子だが、
まだまだ周囲は、景気の盛り上がりに欠けてる。
しかし!
「海外公演を企画、実現させるぞ!」
と、声を大にする僕はやはり道楽者であるようです。
友人の助力により、アメリカ公演は実現しましたが、
僕の羅針盤はヨーロッパを指しています!
目的地は、まずイタリア!
そしてフランスやドイツ、デンマーク、オーストリア、イギリス等々、
毎年とは行かない迄も、隔年で海外公演を行う様になりたい!
こんなこと言っていると
「儲かってるの?」
と聞かれますが、まったく儲かってはおりません。
宝くじも当りません。
しかし・・・
25年前、初めて海外公演に旅立った頃を、しきりに思い出すのです。
身体一つと情熱と、僅かな智慧と沢山の努力。
そこで得られる物は?
お客様の感動と、多分・・・自己満足!
「おもしろき、事の無き世を、おもしろく・・・」(高杉晋作 辞世の句)
とことん、面白く生きなければ!
人生において冒険家であり、探検家であり、道楽者で有り続ける為に!
と怪気炎を上げてみました。
その為にも、「今昔舞踊劇」をもっと育てなければ。
その為には、「東京幻堂」をもっと鍛えなければ。
日々精進!
もはや自虐ネタですが・・・

(1989年撮影)
