易術家のノウゼンです。こんにちは。


夏至から十二支一巡のころが半夏生です。

なんでこの頃タコを食べるんですかね?私は好物ですけど。冷酒と一緒にやると最高です。

だけど実際の雨より空中に詰まった水分が過剰になり、人体の湿の処理が必要な時期でもあります。


ここでたくさん「冷」を体内に入れると、きたる冬に何でだろうという不調を抱え込むことになります。


まして私たちが住んでいる国土は、まわりを水で囲まれていますので、大陸型の漢方ではしっくりしないことが多い筈です。


さて先日オンラインの受講生の方から、あるご質問をいただきました。


他の方にも役に立つ部分があると思い、一般的な話としてご紹介したいと思います。


家族間の人間関係で、ときに防ぎようもなく衝突するときがあります。ここまでは普通の話で誰でもあることです。

生きていれば手を取り合うことも、ぶつかることも生じる。


もしハッピーハッピーだけの家族関係だというのなら、それ確実にヤバいです。お互いがお互いに無関心で、自分のイメージだけで決めつけ合うというのですから、これがどういう結果になるのかは、銀行レースみたいなものです。オッズもつかない。


責任回避の人生は衝突すらない。繭の中。


通常 ばちばちの関係に入れば、双方とも相手から発せられる不快な気を正確にキャッチします。


自然に放っておいたら「卵が先か鶏が先か」どちらも相手に不快の責任を負わせて、自分の中に生じた「怒り」「悲しみ」を増大させて、ますます自分の「正義」にすがりつき、仕返しの暗い情熱に自身の身体と心を確実に傷めて行きます。


その底にあるのは自己愛と自分優先と意地です。自分を優先して自分を損なう。


災いの予兆はルーティンの欠けがサインです。


ここでチェックを入れるべきは、この自傷的感情の裏にあるのが、相手に対する過ぎた「期待」だという事と共通の目標意識が弱いという事です。


ここを新たな関係性への脱皮とすることが出来たら、そこが豊かな節目となります。


私が受講者に助言したのは、この家族の向かうべき未来に対して、皆が同じ方向を向いて共同作業する以上の最優先すべきことは何もないという事でした。


だとしたら、相手がいかにそっぽを向いて目を反らそうが、構わずこっちは家族としての「アイサツ」を無条件で繰り出すことです。


アイサツしても反応がない、それでも続けます。私のメンツが問題じゃなくなったからです。


意味があろうとなかろうと、相手を無視せず、日常のカタチを尊敬する。


怒りは相手が順当に同じ次元でキャッチしてくれて、不快な波動で投げ返してくれると、不快ながらもマゾ的に快感となります。自分の怒りの正当性が成立するからです。


ところが件のような肩透かしを食らい続けると、再生産されるべき力を段々失って行きます。


相手のことを思い過ぎて怒り、相手をどんどん傷つけるのですから、逆に無駄だろうが何だろうが、見返りを求めず、ひたすら布施し続ける。やりっ放し。下手の下手を行く。布施は無期限の努力です。


これは孤独ということを覚悟して初めて実行可能な技と言えるでしょう。理解されようなどと思うな。

受講者に私は大体このような話をさせていただきました。これが四柱推命の技術の応用編として語られている事を、お分かりになった方もあるかと思います。


人間の出会いは、逃げずにちゃんと向き合えば、そこが土用となる。



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