1月17日の夕方。テレビやラジオ、インターネットは、驚くべきニュースを配信した。それは、「北海道日本ハムファイターズの小林繁投手コーチが57歳で急逝した」というものだった。



 現時点では、心不全(つまり、心臓が止まる状態)で他界したという情報しか流れていない。この場を借りて、心よりご冥福を申し上げる。




 筆者は昨年11月22日のファイターズ優勝パレードで、小林コーチの人生最期となるユニフォーム姿をカメラに収めていた。




ジ・オンライン・プレス北海道

最期のユニフォーム姿となった小林繁投手コーチ





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小林コーチが乗っていたバス。このバスの一番後ろに乗っていた。




 小林コーチと言えば、巨人軍時代の1979年の「江川事件」とも「空白の1日事件」とも表される騒動で波瀾万丈の野球人生を送ったが、筆者には「シャイで物静かな人」というイメージが強い。




 実際、北海道中が歓喜に沸いた優勝パレードでは、隊列最後尾のバスの後部席に座っていた。そして、窓を開けることもなく、カーテンに隠れるようにしながら恥ずかしそうに微笑んでいた。




 ファンの前では、最期の最期まで元気な姿を見せていただけに、「なぜ?」という気持ちが筆者には強く残る。






 ファイターズにおいて小林コーチの存在は、あまりにも大きい物があった。江尻慎太郎投手糸数敬作投手をサイドスローに転向させることで再生させた。ファームで小林コーチの指導を受けて1軍に上がった投手は必ず好投するなど、その手腕は球界で高く評価されていた。


 今季からは、横浜ベイスターズに在籍していたサイドスローの加藤武治投手が加入するなど、「小林コーチありき」の編成がされている。それだけに、残念としか言いようがない。




 選手やファン、北海道民には、小林コーチが北海道で見せていた笑顔と野球にかける情熱を忘れて欲しくない。その上で、今年はファイターズが日本一を奪還できるよう、私たちは力の限り応援しなければならないだろう。




 志半ばの57歳という若さで急逝した小林コーチに対し、重ね重ねではあるがご冥福を申し上げる。