1977年、宇宙のかなたに向けて2隻の無人宇宙船が放たれた。

名はvoyager。フランス語で「旅」を意味するこの飛行船は、探査船としての役割とは別に、もう一つの役割を担っている。

「手紙」だ。

 

これは小さな、遠い世界からのプレゼントです。私たちはいつの日にか、現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを願っています。このレコードは、広大で荘厳な宇宙で、私たちの希望、決意、友好の念を象徴するものです

 

遥か彼方、あるかもわからない銀河の果ての、いるかもわからない彼らに向けて、

地球に生きる私たちの姿と声を載せて今もなお飛び続けている。

 

夢と希望に満ちた計画である。

いつかこの声が届く日を誰もが待ち望んでいる。

 

だがvoyagerの気持ちはどうだろうか。

 

目をつむるまでもなく襲い来る暗闇の中、すでに40年の時を駆けている。

与えられた重荷は、無重力の中どれだけの負担になるだろうか。

体感する時の長さは、すでに私たちとは異なっているかもしれない。

 

彼らは、今、どこで、何を思っているだろうか。

 

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今回紹介する漫画は今井哲也 著 「ぼくらのよあけ」

小さな小さなこの地球に生きる少年たちと、そんな宇宙のかなたから来た「友達」の物語だ。

 

あらすじ

時は2038年。日本の小さな団地に暮らす小学生、沢渡ユウマは来る夏休みに胸を躍らせている。

巨大なSHⅢ・アールヴィル彗星が、30年ぶりに地球に接近するのだ。

宇宙にあこがれを抱くユウマは、この彗星の観察に行く日を待ち焦がれている。

そんなある日、沢渡家の「オートポッド」・ナナコが不審なデバイスからハッキングを受ける。

「私は無人探査機『二月の黎明豪』。1万2000年かけてこの星にやってきた。

どうかわたしを、宇宙に帰らせてくれないか」

夏休み、宇宙、跳ねる水しぶき、秘密の約束。

少年たちの忘れられない夏がやってくる。

 

 

確立された未来観

この作品の大きな魅力の一つは、作者・今井氏が描く未来の世界のイメージがとても丁寧に練りこまれていることだ。

 

空中に浮かび上がるチャットパネル、授業に使われる3Dモデリング。

そして何より、人々の生活に少しずつ馴染み始めた「オートポッド」の存在。

搭載される人工知能は、SHⅢ・アールヴィル彗星を見つけた衛星、SHⅢの人工知能のコピー。

2009年の打ち上げから進化を続けたこの人工知能は、もはや「心」と言っても遜色ないものすら持ち合わせている。

 

便利であるがゆえに、私たちの存在価値すら揺るがす彼らとの未来は、どんなものになるのか。

漫画家藤子・F・不二夫や手塚治虫は、その代表作の中で「ロボットと人間の共存」という夢のある未来を描いた。

一方フィリップ・K・ディックが「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で描いた未来は、およそ望みたくはないものである。

例えが両極端かもしれないが、この狭間に向けて進みつつあるのが現状である。

 

ではその世界がやってくるのはいつ?

100年後?200年後?

いきなり変わるの?少しずつ変わるの?

 

この問いに対して、

「今から20年後」という地続きの未来を描くこの作品を通して、今井氏はこう警鐘を鳴らすのだ。

 

「ひょっとしたら、もうターニングポイントは過ぎてるかもよ?」

 

この「ターニングポイント」は作中で「技術的特異点」として表現されている。

現実に議論されているトピックだ。

2010年の時点で、作中の衛星SHⅢは「地球外生命体・『二月の黎明号』」の存在を秘匿するという「嘘」をついていた。

これは現実に起きていたら恐ろしいことだ。

 

今、我々の周りには数えきれない「情報」が溢れている。

それらは皆、何らかの形で「機械による修飾」を受けた結果である。

株価の値、気象や災害の予測、医療現場のシステム---

どれも「人間のプログラムのもと、機会が忠実に仕事(計算)をした」ことを前提に情報を受け取っている。

では、いずれこれらの計算プログラムを人工知能が自律的に組み立てられる日が来たら、あるいは既にそのようにして得られた情報があったとして、

私たちはどこまでその情報を信じられるのだろうか?

 

「人工知能は嘘をつかない」-

この常識は、すでに私たちが気づかない場所で、もろく崩れ去っているかもしれない。

 

 

 

 

誰もが体験したことのある「多感な小学生時代」

そんな危機感を抱かせる未来を描く一方で、この作品は「変わらない世界」を対称的に、かつ包括的に描く。

物語は、主人公沢渡ユウマと、気弱な同級生岸シンゴ、2つ年上でしっかり者の田所ギンの3人を中心に繰り広げられる。

彼らの日常はあまりにもありふれていて、それ故に「自分もこんな時期があったなぁ」という不思議な既視感を与えるシーンが随所にみられる。

その最たるシーンが、ナナコが宇宙船「二月の黎明号」の人工知能にハッキングされたときのやり取りと約束だ。

宇宙に明るいユウマは、事態をすぐに把握、「こいつを宇宙に返そう!」と2人に持ち込む。

それに対し、事態がよく呑み込めないシンゴは流されるまま、しっかり者のギンは「大丈夫なのか?」と異を唱える。

「オートポッドの人格が乗っ取られるなど普通でない。誰か大人に伝えるべきだ」と。

それでも、どうしても『二月の黎明号』の願いを叶えたいユウマは、二人を押し切り、こう言う。

 

「今日のことは、ぜったいここにいる俺たちだけの秘密にしよう」

 

誰もが一つは交わしたことがあるのではないだろうか。

大人にばれたら怒られるかも。

でも、わくわくが止まらない。

そんな、いつまでも色褪せない約束を。

 

この物語は20年先の未来の話。

それなのに、こんなにも懐かしい香りで胸が満たされるのはどうしたことだろう。

 

 

もちろん、変わらないのはいい面ばかりではない。

作中、この作戦に途中参加する河合ほのかは、クラスの女子に「敵」認定されている。

無邪気で多感な小学生という時期。

その無邪気さは、時にいとも容易く他人の心に生爪を立てる。

 

技術の発展は、さらにそれを容易にさせた。

チャット版における仲間外れ、裏アカウントでの影口。

河合ほのかの日常は、明るく照り注ぐ夏の日差しとは裏腹に、黒く、暗く、深く、沈み込んでいる。

嫌なことに、本当に嫌なことに、この景色もまた、どこかで見たことがある。

 

驚くべきは、この漫画が、2011年、すなわちスマホやLINEが普及し始めて間もない時期に連載されていたことである。

悲しきかな、今やLINEによるいじめは、やはりどこのコミュニティにも簡単に起こりうることのようだ。

この現実をいち早く予見していた作者の先見には辟易せざるを得ない。

 

どれだけ時がたとうとも、変わらない何かがあると信じている。

だが、変えなければいけないものもあるはずだ。

 

「このままではいけない」

と、モスキート音で鳴り響いていたこの警告は、

いつの間に聞こえなくなっていたのだろうか。

 

 

 

生きるということ、変わるということ

 

変わりゆく技術・倫理観

変わらない思い出

変えなければならない何か

 

この物語は、前へ前へと転がりだす私たちに問いかける。

「私たちは、変わるべきなのか?」

と。

 

変わらない方が、幸せなのかもしれない。

今まで積み上げてきたものがある。

自分たちが通ってきた道なのだから、ある程度歩き方もわかるだろう。

なるべく変えずに、今まで通りに、、、

 

そうすれば、問題は簡単なのだ。

ロボットが如何に人間に似ようと関係ない。

「生命の定義」は高校の教科書に載っているし、少し医学をかじれば「死」は数個の言葉で説明できる。

あとはそれに沿って機械的に分別するだけ。

 

嘘をつく人工知能?

そんなの、とんでもない。プログラムの規定を超えるならば直ちに廃棄しよう。

 

政治も宗教も道徳も教育も、まぁある程度満足できるものに仕上がってきた。

いじめとかそういうのはもちろん、なにか解決策を考えなければいけないとは思うけど、変えるべきところはそれくらい?

あとは、きれいな思い出の写真で世界を埋め尽くして、、、

 

 

・・・あぁ、だけど、わかっている

わかっているのだ

「私たちは、変わらなくてはならない」

 

勇気ある一歩を。

未来のために。そして何より、未来に生きる子供たちのために。

 

この物語の中で、「変わったもの」を象徴するものは3つ。

 

1つは、「二月の黎明号」と出会い、「嘘」を付けるようになったSHⅢ。

「彼」は変わった。本来できるはずのないこと、するべきでないことをやってのけた。

だが、その変化は、必ずしも恐れ、忌避するべきものではないものだった。

だって、「彼」が変わった理由はたった一つ、

「友達の願いを叶えてあげたい」

ただ、それだけだ。

 

もう1つはかつて少年少女だった3人の大人たち。

彼らもまた変わった。28年という時を経て、かつての「約束」の当事者は、

次の世代にバトンを渡した。

変わっても大丈夫だと、変わっていいんだと、彼らは知っているから。

「お前は変わらないなぁ」

「ほんとにね」

「そうかな?」

言葉と裏腹に、変わってしまった事実を一つ一つ確認するように交わされるこの会話が好きだ。

「あぁ、こうやって変わっていけばいいんだ」と、教えてくれる。

 

そして最後に、オートポッドのナナコ。

-気付いていた秘密

-忘れたくないと、願う

-「言えマセンデシタ」

嬉しいことばかりではなかった。

電子回路の裏側で表を上げるデータにない何かが、これほど痛みを伴うなんて。

それでも、彼女は笑った。

変われてよかったと。

笑って、旅に出た--

 

 

「生命の本質は変化することそれ自体だ」

 

1万2千年の時を超えてやってきた「二月の黎明号」は、そう確信し、帰っていった。

変わることはいいことばかりではない。苦労する場面や、予想外の出来事も起こるだろう。

では、その時にはどうするのか?

「この道は間違っていた」と引き返すのか?

-否。そうではない。その時は「また新しく変わればいい」のだ。

変わって、変わって、、変わり続けて。

そうすればいつか宇宙人とだって「友達」になれるかもしれない。

 

これが、答えなのだろう。

これが、答えであってほしいと思わせてくれたこの作品に、

ただ、感謝したい。

 

 

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2020年が幕を開けた。

私たちは今なお変化の途上にいる。

たどり着くことはない道だ。それでも止まるわけにはいかない。

今なお暗闇をかけるvoyagerが、いつか宇宙の果ての「友達」を紹介してくれる。

その時に、笑顔で彼らの手を取れるように。

彼らの「友達」に、なれるように。