ここんとこ梅雨が全力で梅雨を主張していて、ぐずついた天気が続いている。
まあ、それでも去年の梅雨は尋常じゃなかったけれども。
去年に比べればまだマシだと思う。この雨模様がいつまで続くかは知らんけど。
今日は結構雨足が強くて、この時期にしてはやたらと寒かった。
外が寒くて、仕事帰りに寄ったスーパーも寒かった。
いやさー、アレ狙ってるとは思うんだけど。
寒い日の焼き芋ってさ、アレ完全に罠ですよね。(俺はそう思う)
うう寒い、とか言いながら中へ入って、中も結構冷房が効いてて寒い寒い、と言いながら、
焼き芋コーナーの前を通りすがる訳だよ。
そりゃ買うよ。(即堕ち
そんでうきうきしながら帰って来て、まだ温かい焼き芋にホクホクするわけ。
あー焼き芋久し振りだなー、嬉しいなー、甘くて旨くて温かいの最高だなーって。
もそもそ食べて、幸せに浸る訳ですよ。
すると、ふと思い出す。
自分は、なぜ焼き芋が好きだったか。
小さい頃から好きだった。可愛がってくれた祖母ちゃんが、焼き芋がとても好きな人で。
冬になると、いつも石焼き芋売りの車が家の前の道に停まって、
祖母ちゃんが買いに行って、それを分けてくれた。
ぶち、とそこで記憶を断つ。
これ以上を思い出すと、泣いてしまう。
折角幸せな気分で食べているのに。ただ美味しそうだったから買っただけで、
自分は美味しく食べたいだけだ。感傷に浸りたい訳ではない。
ああ、自分は、この先焼き芋も食えなくなるのかと、少し不安になった。
こうして思い出さないようにしていると、きっといつか、思い出せないようになる。
自分の頭はそれが得意だとよく知っているから。
思い出す度に涙を流して、見れるものや食べられるものを減らすのと、
思い出さないように蓋をして、いつしか思い出せないようになるのと、
どちらが幸せかなんて、そんな下らないことに悩んでいる方が馬鹿らしい。
だから、最初から要らないんだ。
こうして思い出す度に涙を流すなら、思い出なんて要らないのだ。
大切な人なんてこれ以上欲しくない。
いつまで経っても子供のままで、女々しいことこの上無い自分は、
いつまでも大事な思い出を忘れることができないから。
とっくにいなくなってしまった人を、その人との記憶を諦め悪く思い出しては、
意味も無く、意味も解らず泣いている。
可愛がってくれた身内の人達、
職場でいつも笑顔を向けてくれた、あの時の一言。
自分を呼んでくれる声ひとつ。何気ない日常の、会話ひとつ仕草ひとつ。
捨ててしまえば楽になれるのに、どれもこれも捨てられずに抱え続けている。
両手一杯に抱えたそれを手放してしまいたいといつも思うけれど、
結局大事に抱きかかえて、どうしようもなくて、困り果てて泣いている。
精神の安寧の為に、いなくなった人を想う人は多いだろうけど、
自分の場合は精神を掻き乱されるばかりだ。
これ以上大切が増える前にさっさと死んでしまいたい、と願うのは昔から変わらないけれど、
大人になってそれは難しいことだと理解したから、だからせめて、
なるべく大切を増やさずに生きていたいのだ。