俺には二人の母親がいる。

一人はキャメル・イエロー。もう一人はマリン・ブルー。どちらも偽名で(サイプレス社内では割と普通のことだ)本名は俺も知らない。もうとっくに捨てたのかもしれない。

キャメルは共和国のハロハロ州出身で、マリンは諸島連邦に属する小さな島の生まれらしい。まあ、簡単に言ってしまえば、どちらもド田舎の生まれというわけだ。キャメルは父親の仕事の関係でアナナスの端っこ辺りまで来る機会は何度かあったそうだが、それでも砂漠しかないド田舎から山中の片田舎へ出た程度に過ぎない。マリンにとってはそれこそ、16歳の時に家出同然に島を飛び出すまで、島数9,000を越える大諸島の中の豆粒のような小さな小さな島が自身の知る世界の全てだった。

 

そんな二人が出会ったのは、まあよくある話で、サイプレス社の新人歓迎会だった。歳が近くてお互い田舎の出身で、帝国に憧れて大陸へやってきて、女が一人で生きていくには想像に難くない苦労をして、どうにかここまでやってきた。同性ということもあって何の気兼ねもなく話せる相手だったんだろう、二人はすぐに意気投合し、話が盛り上がり過ぎて結果的にその晩はキャメルの家で明け方まで飲んだらしい。

そんな二人が、家賃が浮くからと早い段階でルームシェアを始めたのは不思議ではないし、そうして普段の生活も一緒に過ごす時間が増えれば、友人から恋人になるのも(お互いにどちらもイケるクチだったらしいので)そう不思議ではない。二人とも別々の副業をしていて、家でも会社でも常に一緒、というわけではなかったのも二人にとっては良かったのかもしれない。それまで一人で生きてきた所為か、相手を独占したいという欲は強めでも、それと相反してお互いの時間も大事にする主義の二人だった。

ある程度貯金に余裕ができて今の生活にも慣れた頃、それまで住んでいたノンゼロ南区から西区の端っこにあるマンションへ引っ越し、それを節目として婚姻関係を結んだ。式は挙げなかったが指輪を交換し、二人が前々から欲しがっていたメロウ(サイプレスの同僚が作製したものだ)を結婚祝いにと割安で買い取り、二人+一匹の生活を始めた。それが3年前のこと。

 

俺はそれよりも大分前に二人のモノになっていた。

サイプレスは殆どが個人向けの商売をやっているので、あまり知られていないが"お得意様"相手には割と柔軟な対応をしてくれる。その一環として、条件付きで請け負っているのが他メーカーの中古品回収と修理・再生、所謂リファビッシュとかいうやつだ。俺は元々ヒューキット型のノイドだったが、ガタがきて手放された所をサイプレスのノイド部門の奴が引き取って、片手間に修理していたらしい。家か部門の小間使いにでもしようかと考えていたらしいが、そこへ「それなら私達にちょうだい」と言ってきたのが通りすがりに話を聞いたデザイン部門のマリンだった。

サイプレスの人間はどいつもこいつも趣味に生きていてそれを仕事にしてるような連中なので、そいつもあっさり了承した。ノリも気もいいそいつは何ならリクエストも承るが、と言った所、デザイン担当がメインの二人はあれやこれやと細かい注文をつけ、結局二人好みの今の俺の身体が完成した。らしい。

リファビッシュされる前の記録は綺麗さっぱり消されていたから、今の俺の記憶が始まるのはここからだ。サイプレスで過ごす間に、二人を含め部門の連中は色々なことを教えてくれた。副業がジャズ・ボーカルのキャメルからは音楽と歌い手の話。副業が雑誌編集のマリンからは主にデザイン関係の話。教授とあだ名されるシオドアは望めば幾らでも歴史の話をしてくれたし、大抵死んだ魚のような目をしているフレデリックとは真っ昼間から猥談で盛り上がった。

アカデミーへ入る切っ掛けとなったのもシオドアの薦めで、そのお陰で今の生活を得ることができた。彼らには本当に感謝しているし、今でも親しい付き合いを続けている。

 

直されてから少し後、アカデミーに入る前はサイプレスと二人の家を行ったり来たりのような生活をしていた。二人と一緒に会社へ行って帰ることもあれば、会社へは行かず留守番をしたり、逆に会社に残ることもあった。後者は大抵、部門の誰かしらが泊まるのに付き合って手伝いをしていたのだが。

元々一人暮らしをしていたこともあり、二人共家事一般はそつなくこなしていた。料理の腕も悪くない。片方が忙しければ片方が補う、相手が疲れていれば存分に甘やかす。どちらかと言えばキャメルが若干神経質で、マリンは大雑把。周囲曰く、俺が来る前は年上のキャメルが少し我慢をしていた、とのこと。二人の歳は一つしか違わないが、キャメルは長女でマリンは末っ子。それだから、キャメルは姉という意識が強いのだろう。俺が来てからは遠慮なく俺に当たれるので、捌け口が出来てすっきりできるようになったらしい。それはまあ、いいことだ。

俺を欲しがったのは男性型だったから、という理由も納得できた。パートナー同伴参加のパーティーでは同性だと微妙な目を向けられることもあるらしく、男の俺は都合が良い。そういう頭の固い連中の集まりでなくとも、目立つ容姿の二人は大抵どこへ行っても好奇の視線を集めたし、加えて男にとっては目の毒、もとい目の保養と言えるような身体つきときている。不躾な視線や声掛けが鬱陶しいなら義体交換すればいいじゃねえかと言ったこともあるが、お互いまな板じゃ夜がつまらない、と口を揃える始末。勝手にしてくれ、と早々に説得は諦めて、言われるままに隣に立って虫除け役をするのももう慣れた。全くいいように使われていると周囲からは笑われるが、飼い主に求められるのであれば仕方ない。

 

その俺という便利な緩衝材兼虫除けがいる間は、派手に喧嘩して片方が家を飛び出すということもなかった。マリンがわんわん泣きながら電話を寄越したのは俺がアカデミーへ入った後のことだ。俺にとってはその時が初めての「呼び出し」で、二人が喧嘩すると片方が超短期の家出をする、ということもその時初めて知った。

一体何が起こったとすっ飛んで行けば、久々の相手の家出にかなり動揺したらしいマリンはぐちゃぐちゃの泣き顔でキャメルと喧嘩した、とこの世の終わりのような悲壮感を漂わせながらそう言って、俺はそれを聞いた瞬間に拍子抜けのあまり(精神的に)膝から崩れ落ちた。何だそんなことかよ、と呟いてしまったがために、更に泣き喚く彼女を宥めるのに二時間費やした。あれは自分が馬鹿だった。

その時の喧嘩は、キャメルが出先で引き留められてしまって、マリンと約束していた映画の時間に間に合わなかったことが原因だった。マリンがとても楽しみにしていたのはキャメルもよく解っていたし、案の定仕事先の面倒な男に引っ掛かっていたらしい――これは戻ってきた後で俺にだけ話したことだが――ので、自分に非があるとキャメルは判断したらしい。

キャメルの副業先には何度か一緒に行ったことがあるから、俺が一緒にいれば間違いなくそんな男には近寄らせなかったし、家にいればキャメルの代わりにマリンと一緒に映画を観に行ってやれただろう。マリンは不満がるだろうが、一応俺は二人の息子である。母性本能というやつなのか、少しばかり甘えを見せれば割とあっさり絆されてくれるものだ。

それを思うと、家に戻るべきかとも考えた。アカデミーの寮生活は信じられないくらい楽しくて後ろ髪を引かれるものがあるが、距離的には実家からの通いでも全く問題はない。

しかし意外なことに、それを却下したのは当の二人だった。久し振りで驚いたというのはあったものの、落ち着いてみれば何となく「しっくりきた」らしい。以前の二人はこれが普通で、お互いぶつかり合っては元鞘に収まるというサイクルが生活に組み込まれていたのだと。何も縁を断つような喧嘩をするわけでもない。喧嘩ができる仲だということを実感して、少しばかり一人の時間を作って、相手のことを考えながら過ごし、そうして互いの気持ちを再認識する。確かに、情熱的な二人はその程度の鍔迫り合いがあった方が刺激的で良いのかもしれない。二人にとっては痴話喧嘩も愛情の確認みたいなもんなのだろう。多分。

 

それならと安心して、諸手を挙げて寮へと戻り、再び学生生活を満喫していた矢先のこと。

あれは確か、最初の呼び出しから二ヶ月半くらい後だった。またいきなり、今度はキャメルから電話がかかってきたのだ。

鼻声の彼女曰く、「マリンと喧嘩した」と。

 

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いいように扱われるイケメンの話になりつつある。