「…なんだ起きてんのか」

 

照明は枕元のテーブルランプだけで、柔らかな橙色の灯りも大分絞られている。寝ているのかと思ったが、ベッドに近付くと重そうな瞼がそっと持ち上げられた。寄せられた眉根に不機嫌と羞恥が見て取れる。大分泣いたらしい、褐色の肌でもそれと判るほど目元が赤く腫れていた。

 

「ったく、メロウにまで心配させてんじゃねえよ。…今日はどうした?最近多いそうじゃねえか」

 

ベッドの空いたスペースに遠慮なく腰掛けると、ギシリと批難めいた音が上がった。傍でブランケットに包まった女は僅かに身動ぎして、圧し掛かられたベッドの代わりとばかりにじろりとジェリーを睨む。もしくは単なる苛立ちからだろう。ジェリーは涼しい顔でその棘のある視線を受け流し、彼女の潤んだ目元に指を添えようとしたが、枕に顔を埋める形で拒否されそれは叶わなかった。何処の生娘だよ、と内心嘆息しつつ、ならばと頭まで被ったブランケットを引き剥がそうと試みる。

 

「あんたが酒に手ぇ出すのも珍しいな」

 

酔えねえ癖によ、と言いながらベッド脇に転がされた酒瓶にちらりと目をやり、またキツイの飲みやがって、と呆れ混じりの悪態を吐く。ブランケットのお化けは一度ふるりと肩を震わせただけで、だんまりを決め込んでいる。恥ずかしいのか情けないのか、とにかくささやかな意地を見せたいらしい。面倒なことこの上ない。

ジェリーはあからさまな溜息を吐いて、本気でブランケットを引っぺがしにかかった。

 

「オラ、どうしたんだっつうの。話聞いて欲しくて呼び出したンだろぉが」

 

攻防戦はものの数秒で終了し、ブランケットのお化けはあっけなく正体を現した。

褐色の肌色に、短く刈り上げられた白い髪。あまり見ないカナリアの瞳。左の目尻から耳にかけて、羽根を模した刺青があしらわれている。その先の耳にはきらりと光る金色のピアス。――ジェリーの母親にあたる人物で、名前はキャメル。

いつもはいっそ憎らしいほどに強気な態度を隠さない瞳が、今は不安げにジェリーを見上げていた。その眼差しを真っ直ぐに受け止めながら、今度は少し優しい声音で話し掛ける。

 

「…向こうが出てったってことは、向こうが悪いと思ってんだろ」

 

それは二人の間での、暗黙の了解のようなものだった。喧嘩をした時は、自分が悪いと思った方が頭を冷やしに外へ出る。それでお互い、どちらに非があるのかを認識するのだ。出て行った方は態度で反省を示したことになり、家に残った方も相手にその意識があることを理解する。二人ともやたらとプライドが高く、頭に血が上っている状態だと素直に「ごめんなさい」が出てこないので、いつからか行動で示すようになったらしい。

電話口でもろくに事情を話されなかったので何があったのかは知らないが、今回はもう片方の親が何かしら火種を蒔いたようだ。もしくは、彼女の地雷を踏み抜いたか。

いい加減一人で喋るのも飽きてきた。ジェリーは身体をぐっと傾けて露になった顔のすぐ脇に片手をつき、これ以上はくれてやらんぞ、と口を引き結んだままじっと見下ろしていれば、キャメルの唇がふるふると戦慄き、その双眸にはじわりと涙が溢れた。

ふと湧いて出た嗜虐心に目を細めながら、世の男なら劣情でも抱くのだろうか、とそんなことを思った。確かに母親は美しい。パーティーへ出るとほぼ毎回複数の男からそういった視線を向けられるくらいには、顔も身体も魅力的なそれだった。ほとんど作り物だが。

 

「…………わたし、が」

「ん?」

 

こっちが黙りこくっているのに、あちらもとうとう折れたらしい。

鼻を啜りながら、ぽつりぽつりと言葉を零す。ついでに涙もぼろぼろ零すので、今度こそ指で拭ってやりながら続きを促した。

 

「わたしが、…声帯、……かえよ、かな、って。…そしたら」

 

相手が急に怒り出して、それに言い返した。

売り言葉に買い言葉で、気が付いたら口論になって、全く関係無いことまで引っ張り出してきて更に熱が上がって、口角泡を飛ばし合った結果、最終的に向こうが飛び出ていった、と。

最後の方は嗚咽交じりでよく聞き取れなかったが、大体そんな顛末だったらしい。

話している間にまた枕に顔を埋めてしまったので、短く切られた後頭部の白髪をさりさりと撫でながら、ジェリーは盛大に溜息を吐いた。

 

「そりゃあ怒るわな。あいつがあんたの声をいっとう好きなの、あんたも知ってんだろ」

 

何を解りきったことを。さも呆れた、とばかりにそう言えば、キャメルは枕に突っ伏しながら「わかってる」とくぐもった鼻声で返してきた。

 

「わかってるわよ、…マリンは、わたしの、こえが好きなのよね。声だけで満足、なんだわ」

「何でそうなるんだよ。見た目も中身も全部好きだって言ってたろ、お互いに」

「ならいいじゃない、声帯くらい、取り替えたって。そもそも、替えようか考えてる、って言っただけよ。それなのに、『馬鹿なこと言わないで』って」

「言うだろうなぁ。だってよ、好きな相手の、その中でも一番好きな所が変わっちまったら、そりゃショックだろうが」

 

宥めるようにそう言いながら、成る程とジェリーは納得して頷いた。

確かに、これは今回は相手が出ていくわけだ。二人とも勝ち気で喧嘩っ早いから、咄嗟に批難が口をついて出てしまったのだろう。自分のことは綺麗さっぱりと棚に上げて。後で思い出しても、文字通り後の祭りだ。

やってくれたな、と今は何処かで頭を冷やしているであろう片親に胸の内で文句を言った。地雷を踏んだのはキャメルだが、相方にそれを責める権利は無いはずだった。何故ならば。

キャメルは枕から少し顔をずらして恨めしそうにこちらを睨み上げながら、声を荒げた。

 

「――でも、あの子だって、私が大好きだった目を変えたじゃない!」

 

全く予想通りの言葉をぶつけられて、ジェリーは苦笑いするしかなかった。

 

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八つ当たりされるイケメンの話(可哀想)。まだつづく

何気にラフ50作記念だった