今週頭に、ゼミの担当があった。

そこで、もう完璧、見事としか言いようがない、これ以上ないだろうと言って差し支えない、

そのくらい、完膚なきまでに、ボッコボコにぶちのめされた。

もちろん、物理的でなく、精神的な意味で。

 

あ、もうそろそろいいです?そろそろ満足しました??

って所に、追い打ちで二回三回と殴られて、

サンドバッグよろしくボコボコにされて、

漸く終わってから珍しく、というか今の職場に来て初めてだけど、

ああ、辞めてえなあ、と声高に同僚に愚痴ったのが、

今週の月曜日。

 

もちろん、全て自分が悪い。それは解っているつもり、だ。多分。

何でこんな研究してんの?っていうのは99%くらいの人が思ってるだろうし、

自分でもそう思う。ただ、好きだから、としか言いようがない。

前提がソレだから、そもそも受け入れられるのも難しい。

あとは、自分のプレゼン能力の無さと、知識の無さと、情熱の無さだ。きっと。多分。

 

いつになったら最後の齟齬を理解して貰えるんだろうと思いつつ、

今の職場にいる間は理解されない約束をしている以上、そんな日が来ることは無いことを知りつつ、願わずにはいられない。

理解してくれるごく一部の人に愚痴りながら、首を切って貰える日まで続けるだけなのだ。

 

理解されなくていいと、その立場を受け入れたのは自分だ。

身分を拒絶しながらも、首を縦に振ったのは間違いなく自分なのだ。

所詮期限付きなのだ。早ければ一年。嘘を吐いて生きると決めたのだ。

短ければ、あと五ヵ月。長くて、あと一年半。その間、耐えるだけだ。

 

基本的に、一晩寝れば忘れる自分が、今回のは存外堪えたようで。

それでも火曜の朝には大分いつもの調子に近付いて、徐々に痣は消えていった。

それで今週末は死ぬほど癒されようと、今日はお気に入りのカフェで寛ぐ計画を立てている。

 

その、今。五日目。

あれほど(精神的に)殴られた痣はほとんど消えていて、

「(精神的に)殴られた事実」すら消え始めている。

これが、自分が思う自分の素晴らしく、一方で恐ろしい所だ。

 

いつからか、割とそういうことが得意なのだと自覚した。

思い出したくないことを、思い出さないようにしていられる。蓋をキュッと閉めて、二度と蓋を開けないようにすることができる。

蓋を開けようとした瞬間に、同じ脳内の何処かでやめろと、強く抑制をかけることができる。

すると、それがあった事実を思い出さなくなって、その内に、思い出せなくなってしまうのだ。

 

もう何年も前だけど、Yラボにいた頃、心底死んでしまいたいくらい、恥ずかしい思いをした。

その時も、記憶に蓋をした。絶対に思い出したくない、もう忘れてしまえ、と。

思い出さないようにしていたら、気が付いたら、思い出せなくなっていた。

死ぬほど恥ずかしい思いをした、という事実は忘れていない。どうしてそうなったかもきちんと覚えている。けれど、本質的な所、具体的にやらかした所の記憶がない。

本当はあるのかもしれないけれど、蓋をする癖がついてしまったからか、思い出そうとすると今でも電光石火の如く別の思考が飛んできて、見るなと蓋を閉じられてしまう。

 

お前は、見るな。それを見るな。見るんじゃない。見てはいけない。

 

それで閉じられてしまうから、結局思い出せないのだ。

その意思を邪魔して、無理やり見ようとすると気分が悪くなるから、敢えて見ようとは思わないけれど。まあ、一種の防衛本能なんだろう。

そうして蓋をして、その内に中身が風化して、その事実さえ無かったことになる。

きっと、今回のこともそうなるんだろう。

今の職場にいる間は何かある度に思い出されるんだろうけど、職場を離れたら、確実に忘れていく。事実、五日目の今ですら、ピシャリとシャッターが降ろされている状態だ。

思い出そうとしても、その思考をシャットアウトしようとする意思がある。

お陰で、もう特に気にしていない。精神的には何の支障もない。

 

何を言われたか、どうボコボコにされたか、まだ思い出せるはずだ。

けれども、頭の中でその映像を再生する前に、映像をプツリと切られる。

よしよし、もうしっかりと癖が付いたらしい。

 

自分は立ち直りが早いと言われる人間だけど、それは、こうして無理くり忘れているからだ。

嫌なことを忘れて、それを思い出さないようにできる。

それは、決して良いことだとは思わない。もちろん、良い面もあるけれど、反面、それは反省をしないということだ。それでは、意味がない。人は成長しない。

更に自分の悪い所は、自分の都合のいいように記憶を改竄する所だ。

記憶に蓋ができる分、こういう編集も得意なようで、人と話す時は割と気を付けるようにしている。自分の記憶を信じないようにしている。

 

殴っている側からすると、どんな気持ちなのだろう。

殴っても殴ってもケロっとしているから、こいつはどんだけ殴っても大丈夫そうだと安心するだろうか。

それとも、殴っても殴っても反省する気配が無いから、殴るだけ無駄だと思うだろうか。

まあ、それはどちらでも構わない。

 

自分の心をへし折ろうなんて、どんだけやっても無駄なんだと思わせることができれば、それで御の字だ。

心に傷が残るなんて、その傷を見る度にそれを思い出すなんて、真っ平御免だ。

自分で傷付けたなら甘んじて受け入れるが、他人にやられた傷が残るなんて冗談じゃない。

だから記憶を消してしまって、つるつるすべらかな状態にしておきたいのだ。

それが正しいとは言わないし、思わない。

その一連の行為の間に、きっと他人を酷く傷付けているから。

尤も、それすらも忘れるんだけど。

 

ほらね。

思い出そうとしても、他人から傷付けられた記憶が無い。

本当に忘れてしまったのか、見ないように蓋を閉じられているのかは知らないが。

このブログを見返せば、どこかで見つかるのかもしれない。

まあ、見ないけど。