前兆は、あったように思う。
酒屋のような店だったのだと、ぼんやり憶えている。
自分もその内一本を購入していて、袋に入れてもらって、
レジの手前に置いてあったワイン2本に目移りしつつも、
店の人に礼を言って、次の客がレジに向かう気配を背中に感じながら、
店を後にしようと、扉へ足を向けた。
レジで袋を受け取った辺りから、
ちり、と違和感を感じていた。
頭に走るノイズと言うか、
視界の一部がじわりと、黒い煤のようなもので滲む。
ああ、これは、夢か。
いつものようにそう認識すると、
ああ、このままだと金縛りに遭いそうだな、と嫌な予感を覚える。
本当にこれを金縛りと言うのかどうかは知らないが、
頭ははっきりしているのに、体が動けなくなるのは確かだ。
最近は、そのパターンも大分掴めてきたように思う。
どうすればそれを回避できるのかも、何となくわかる。
けれど、そこは何に対して流石と言えばいいのかよくわからないが、
強いていうのならば、ご都合とやらか。
きっと、扉から出たところで完全に落ちるんだろう、という予感はあった。
だから店を出なければいいのだが、なぜだか、その場から早く離れたかった。
一刻も早く、店を出たかったのだ。
原因は後ろの客にあったような気もするが、それは思い出せない。
だから追われるように、逃げるように早足で扉へと向かった。
一歩、一歩と進むにつれて、ノイズが酷くなる。
視界が段々と黒で塗り潰され、頭が内側から殴られているようでぐらぐらする。
けれど、早く、と胸の内が急かす。
近い。
近い。もうすぐ、「落ちる」。
揺れる視界で、扉に手をかける。
本当は、
扉を開けたらどうなるのか、
「落ちた」らどうなるのかという、
好奇心もほんの少しあったというのは、否定できない。
扉を開けた。
扉の先にあったのは、何もない、真っ黒な空間で。
天井も、地面も、何もなかった。
その瞬間、辛うじて残っていた視界も、店内の灯りも全てが暗闇に消え、
バツン、とブレーカーが落ちるような音を最後に、
「落ちた」。
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好奇心のその先
全身が痺れているのか、強張っているのか、
無理やり起きようとしても、瞼が開かない。
もう大分この状態にも慣れたものだが、相変わらず良い解決策は得られておらず、
やれやれだ、と内心溜息を吐く。
寝床で仰向けになっている自分は判る。
この状態で声を出そうとしても、呻き声にしかならないから、
一人でいる時以外は、極力声は出さないようにしている。
面倒くせぇなあ、と思っている間にも、
さっきの夢の断片的な映像と、「個人的に怖いと感じるシチュエーション」が再生される。
きっとこういうのは、自分が持っている「金縛りに対するイメージ」なのだと思う。
金縛りの時は怖い目に遭うという話をよく聞いたり読んだりしたから、
そういうものだと頭が認識していて、わざわざそういうイメージを作ってくれるんだろう。
迷惑なことだ。
夢をよく見るお陰かどうなのかは知らないが、
そういう怖いイメージを、片っ端から黒で塗り潰してキャンセルしていく程度のことはできる。
そういう抵抗をすると大抵痺れが酷くなって苦痛ではあるけれど、見るよりマシだ。
ふと、今何時だろうかと気になって、寝る時に近くに放ったスマホを探った。
無事に探り当てて、顔の前まで持ってきて操作をしようとしたが、
どういうわけだか、スマホがない。
確かに手にスマホを持っている感覚はあるが、
「スマホを持っている感じの手」がそこにあるだけだ。
だめだ、こりゃ。
諦めて、またスマホを放った。
頭はまだじんじんと痺れている。
後から考えてみれば、
体を動かせないにも関わらず、手を動かせる筈もないわけで。
そもそも、瞼も開けられないと言っているのに、目が見える筈もないわけで。
結局は、そんなものなのだ。