いとしい人に会えるんだ。

 

 

一体なんだって、自分はこういう夢を見るんだろう。

記憶にない人の夢。声も憶えてない。写真しか顔を見たこともない。どんな性格で、どんな表情で、どんな話し方をするのか。ちっとも知らない。

それでも小さい頃からずっと好きで、会いたいと思ったことも数知れず。

なんで生きててくれなかったのかと勝手に恨んだことも数知れず。

 

だから、きっと自分の願望が詰まってるんだなって。

いつものことながら、起きた後でほとほと自分に呆れる。

 

でも、実は初めてなんだな、これが。

ありそうでこれまで無かった、と思う。これまでの人生で、ただの一度も。

夢の中で、じいちゃんと話したことは。

 

 

買い物に行く、みたいなことを言おうとして。

母さんが外に出てて、居間の方へ行こうとしてた所だ。

家具の配置は、知らない家。実家じゃない。

そこに自然と、じいちゃんがいた。

 

母さんと一緒に買い物行こうよ、と自然に声を掛ける自分がいて。

ああ行こうか、と自然に返事をくれるじいちゃんがいた。

 

ああ。これが、自分のじいちゃんなのだと。

現実には有り得ない世界。じいちゃんが死んだのは自分が1歳にもならない時だった。

自分が頭の中で創り出したじいちゃんの姿、声、表情。

酷く安心できる存在。

声を掛ければ、声を返してくれる。

何でもないことだけれど、決して起こり得ない。

 

そう、決して有り得ないんだ、この情況は。

 

それが酷く悔しくて、それが甚く悲しくて。

自分の頭の中にしかいないけれど、それを忘れてしまいたくないんだ。

記憶でも何でもない、幻に縋ってるだけなのは知ってる。けど、自分にはそれしか残してもらえなかった。

だから兄貴はずるいといつも心の中で詰るのだ。2年早く生まれたばっかりに、じいちゃんとの時間を2年と少しも貰えたのだから。

 

貰えなかった自分には、写真と人から聞く話しか材料が無いのだ。

その材料をこねくり回して、自分の願望と理想を押し付けて、創り上げたその人。

他の人からしたら、明らかにじいちゃんでは無いだろう。

でも、それは間違いなく、自分のじいちゃんだ。

 

 

夢の中なら、いとしい人に会えるんだ。

だから、夢はとても好きだよ。

怖い時もあるけれど、優しい時もあるから。

 

逝ってしまったいとしい人達を、思い出させてくれるから。