サイガーの『明日に架ける橋』を聴いてると、必ずある子供のイメージが出て来るんです。
歌詞を知って、すごく献身的な詩だなと思った。
そしてこの詩と同じくらい、献身的な子供のことを考えるんです。

“君が涙を浮かべているなら、僕が乾かしてあげる
夕暮れが辛いなら、僕が慰めてあげる
君が苦痛に晒されているのなら、
もしも友と呼べる人がいないのなら、
僕がこの身を捧げよう
激流に架かる橋のように”

尤も、その子供に限らず、自分の子供達はどいつもこいつも献身的ですけどね。
自分がそれを美学だと思ってるからなあ。
あっちの世界は自分の理想の世界だから、嗜好が偏るのは仕方無い。

後一つ、この歌を聴いてると、自分を納得させられるんです。
自分はこの生き方でいいんだと。
とてもじゃないですがこの詩ほどではないけれど、可能な限り献身的であるようにはしている。

誰かの架け橋に。
全く、子供達には敵わないな。
文字通り、架け橋になれたらいいのに。
聖人でもなけりゃ、ムリか。
じゃあ、ウチの子はどこまで足掻くんだろう。



涙を乾かしてあげる、
傍にいて慰めてあげる、
いつでも君の味方だよ、
たとえ世界中が君の敵に回っても、
僕らだけは君の味方だ。

君が歩み出す架け橋になろう、
その橋を渡り終えたなら、
振り向かずに進んでほしい。
僕らのことは忘れてくれたって構わない。
ただ、君がどこへ進もうと、
僕らはいつだって君の味方だ。

どうかそれを忘れないで。