色々なことに一年の節目ってのはあるもんですね。
東日本大震災から一年が経ちました。起こったことは変わらないのだから、それから一年でも二年でも、時間の概念なんてどーでもいいと思ってますが、確かに区切りとしてはいいかな。
Facebookの方で黙祷の企画へのお誘いを受けたので、参加させてもらいました。
3/11の14:46から11分間、黙祷を捧げようと。

自分はYラボに居たんですが、他に誰も居なかったし来ることも無いだろうと思ったので、部屋の電気を消して、若干暗い室内でひとり、黙祷しました。
11分間、思い出せるだけの記憶を読み返しました。

地震があった時、ラボで何が起こったか。
家族、親戚、友人の無事を知ったこと。
パソコンで見た地震、津波、火災の映像。戦慄した。
制御不能に陥った原発。
ラボで一晩明かしたこと。
翌朝になっても緊急地震速報を繰り返すカーラジオ。
国レベルでの混乱。
計画停電の開始。たった数時間、それでも夜は暗闇が恐怖だった。
ニュースで伝えられる惨事。テレビで見た被災地の映像と、新聞で読んだ人々の声。
各国が支援を表明したこと。とりわけ、台湾の人々が温かかったという漠然とした記憶。
放射能に対する人々の懸念。原発で戦い続けた人達の記録。

叔母さんの真っ青な絵。
新聞の記事で見た、嘆く一人の女性の写真。

あの日、あの場所で失われた命を想い、
失われていくその瞬間を想い、心からの祈りを捧げました。
自分としては、結局は祈ることくらいしか出来ないのではないか、と思うのですよ。
それが何故なのかは理由がうまく説明出来ませんが。
しかし、自分にとって祈る、という行為はそれ程に大きなことだと思ってます。
その人の意志までを支配下に置くからかな。そこまでの影響力を持つからか。


あれから、地震の夢を見る回数がダンチで増えました。
津波に関しては、多分震災があるまで見たこと無かったと思う。震災後、既に3回は見たかな。
地震か?と勘違いするのは今でも頻発する。その度に、反射的に近くの液体培地が入った瓶や電灯の紐を見て、自分の勘違いだと確認する。
少なからず、あれから自分にも変化があったのかなと感じる。

一年が経ち、また一年が経つ頃、
自分と、被災地と、日本はどうなっているのかな。
それらの全てが、今とはまた変わってると思うんだ。

未来のことにあまり興味は無いけれど、それを見てみたい気もするんだ。