最近は朝飯を食べながら新聞の1面を読み、夕飯を食べながらその他の面を読むという生活を送っているんだが(就活を意識しているとかではなく、単にテレビに対して(朝のニュース以外)ほぼ完全に興味が無くなったのと、読んでみたら結構面白い記事もあるのと、一応時事問題くらい目を通しておくかという理由から)、少し前の1面に特別気になる記事があった。
要は福島の米も食える、という記事だ。安全性は制限基準を下回ったらしい。

1面なのでまず目に入ったその記事に、叔母のことを思い出した。
先日従妹の家に遊びに行った時に、叔母が描いた一枚の絵を見た。

従妹が美大に通う絵描きの卵なもんで、それに触発されたのか、叔母も最近本格的に絵を始めたらしい。
カンバスには、とある部屋の一部が描かれていた。
椅子、テーブル、テーブルクロス、観葉植物、カーテン。始めたばかりとは思えない上手さに、思わず目を見張ったのをよく覚えている。

ただ、その部屋は真っ青だった。

最初見た時は、意図的にそういう色使いをしているんだと思った。
部屋全体が青いことで夜のようにも見えるし、夏だったので自分としては涼しさ、そして、不気味さの感じられる色だな、と思った。きっと、冬に見たら寒くなるんだろうな、と。
けども、自分が絵を眺めていることに気が付いた叔母はこう言った。
「色が塗れないのだ」と。

「どうしても、そんな色にしかならないんだよね」
あの言葉を、よく覚えている。
カンバスの傍にはモデルとなった部屋の同じアングルの写真が置いてあって、成る程その写真は昼間の、陽光が差し込む明るい部屋だった。

あの地震があってから、塗れなくなったと叔母は話した。
自分の親父殿は福島出身であり、父の兄妹である叔母も当然そうなる訳で、叔母が地震のことにショックを受けたのはよく分かる。
ただ、親父殿はそういう感情を表に出さないし、叔母は常に気丈な人だった。
だから叔母からこの話をされた時は、正直に驚いた。叔母の声がいつになく気弱だった。

「福島の人と他の人達の間には温度差がある。それは仕方無いのさ。私らとうちの子供達だって温度差はあるんだから。あんた達はこっちで生まれて育ったんだから、別に気にしなくていいのよ。ただ、福島に生まれた私らはやっぱり、悲しいんだ」

父は福島出身であり、母はこちらの出身だ。両親の温度差は自分も感じている。
悲しんでいる人を見つけた。
真摯に悼んでいる人が、ここに居る。
そう感じた時、真っ先に脳内に映ったのは、あの時の光景だった。

帰れなくなったYラボで観た、津波の映像。
あの時と同じように、自分は呆然とカンバスの前に立ち尽くした。
あの恐怖を。
人間の無力さを、
自然の恐ろしさを、
文明の脆さを、
脳ミソに焼き付けられたあの日に、一瞬で立ち戻ることが出来た。

色が、塗れない?
心理的な要因が、こうも明確に表出されるものか。
心なんて、目に見えるものか。
それが目の前に置かれている。
悲しみの青に染まったカンバスがある。
そうか、青は悲しさも顕しそうな色だもんな、
少なくとも自分は、


今、他人の心をこの目で眺めている。


そう思った。
それを、思い出した。


…なんか、米の話題から大分逸れたな。
ただ、メディアの言うことを誰が信じるんだと思っただけなんだけどな。基準をクリアしたからって、散々嘘を吐いてきた政府やテレビや新聞を誰が信じると?

安全性が確かめられたからと言って、人々は果たして福島の米を買うんだろうか?
信用出来なくしたのは、他でもない上の連中だろうに。
その所為で、どんどん福島が信用を失っていく気がしてならない。

だから、叔母さんのことを思い出したんだろうな。
叔母さんや親父殿のように、悲しんでいる人達のことを思い出したんだろうな。