同じような光景を、2年前に見た。vermillionはその時の記憶を引き出した。

明かりの灯っていない暗い部屋。床には窓の形に切り取られた薄い月光が射し込み、こちらの足元近くまで伸びている。その朧な光の中で椅子に腰掛け、顔を手で覆い、俯く人影。逆光でよく見えない。


―――master、


あの時と同じように、小さく声を掛けてみた。

そうすれば、2年前と同じようにこちらを向いて、いつもの微笑みを返してくれるかと期待したからだ。

しかし眼前にある光景は、2年前とは明らかに違っていた。


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その人影は、顔を覆っていた手を下げると、ゆら、と緩慢に身体を起こした。

夜の黒と漆黒の髪、身に着けている簡素な黒の上下が相まって、宛ら闇から浮かび上がった影のように見えた。指先から何かがぽた、ぽた、と滴り落ちている。滴る液体もまた黒い。

その影の足元に、もう一つの影がある。横たわった人間だ。淡い月光に照らし出されたその顔を、vermillionはよく知っていた。

そして気が付いた。

もう、かつて微笑みを返してくれた人間はこの世に存在しないことに。


「…お前は、…」


影の口から、呪詛のような低い声が漏れ出した。

憎しみを滾らせたような、それでいて何の感情も宿さない無機質な双眸が、闇の中からじっとvermillionを凝視している。その異様な気迫に、vermillionは怯んだ。


「…お前は…誰だ?何故、おれがそこに居る。なぜ、お前がおれの身体を持っている…?」


何故?解らない。訊いたことは無い。

vermillionはその場から動けずに立ち尽くした。主人が殺されたという混乱が、彼の動きを封じていた。

影はもう目と鼻の先まで迫って来ている。


「かえせ」


既に振り上げられた影の右腕から、vermillionの頬に亡き主の血がこぼれ落ちた。まだ生温い。

vermillionは目を瞑り、反射的に腕で頭を庇った。

腕が振り下ろされる気配がした。

それとほぼ同時に、彼の名前を呼ぶ声があった。力強い腕が、彼を押し退けた。


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硬いものが砕けるような。

けれど鈍い(多分、皮膚と空気を通していたからだろう)、嫌な音がした。

何故それを不快に思ったのか、わからない。

それを考える暇も無く、vermillionは床の上に叩き付けられていた。


ひやり、と冷たい床の温度を全身で感じた。

感覚の研ぎ澄まされた冷床を通じて、誰かが身動ぎする振動、荒い息遣いが伝わってくる。

vermillionはふと疑問を抱く。


(…誰だろう。master?否、masterは死んでしまった。さっき確認したばかりだ)


どうして自分は倒れているんだろう?

混乱していた為か、vermillionは暫し呆然として沈黙していた。疑問の答えを探す気にもならなかった。

しかし一瞬、僅かに歯の隙間から漏れ出たような、低く押し殺した呻き声に、彼は飛び上がらんばかりの勢いで跳ね起きた。


「sigiriさん!?」


sigiriがすぐ傍に倒れていた。何とか起き上がろうとしている。

vermillionが上半身を支えて起こそうとすると、sigiriは酷く顔を顰めて左の肩口を押さえた。押さえるその右手の下から、鮮血が流れて白いシャツを赤く染めている。先程の音といい肩の形といい、骨が折れたのは明らかだった。

彼に危害が及んでいる。助けないといけない。

vermillionはsigiriの前に出たが、彼は右手でvermillionを押し退けようとした。


「…いいから、逃げろ、早く…!」

「危険です。貴方を守らないと」

「頼む」


sigiriは顔を歪ませて首を左右に振った。


「二度も悲しませないでくれ……頼むから」


vermillionの肩を掴むsigiriの右手が震えている。その意味を量りかねて、vermillionは押し黙った。

自分の行為は、sigiriに苦痛を与えているのか―――vermillionは逡巡した。

三原則のジレンマがvermillionの脳をチリチリと焼く。だが、優先事項は明確だ。今、sigiriには命の危険が迫っている。それを回避しなければならない。

だが、その意外な声は唐突に2人の間に降って来た。



「……sigiri?」


振り返ると、すぐ後ろに立ち尽くす影。首を僅かに傾げている。

深いブルーの瞳が、2人をじい、と見下ろしていた。否、sigiri1人だけを見つめていた。

何かを訴えるような眼差しだった。


「…は、づき…?」

「おかえりなさい…sigiri」


瞬間、ぷつりと糸が切れたように、影はその場に膝をつき、力を失った上半身はそのまま崩れ落ちた。

前に居たvermillionがsigiriを庇う為に咄嗟に受け止めたが、その影はぴくりとも動く気配が無かった。

sigiriが思わず、といった様子で不自由ながら身を乗り出す。


「葉月…!」


黒髪の男は、今はその深い青色の瞳を瞼の下に仕舞い込んでいた。

sigiriは男の項辺りに耳を当て、神経を研ぎ澄ませた。…僅かな震動と、動作音。活動は維持されている。

それらを確認した後でsigiriはゆっくりと身体を離し、背中をすぐ近くの壁に預けて目を閉じた。

痛みの所為だろう、額には汗が滲んでいた。


深い溜息を吐いた後で、sigiriはうっすらと目を開き、視線を部屋の奥へと向けた。

月明かりの下に、もう一つの影がある。それは先程からずっと動かなかった。

sigiriはただ、それを眺めていた。

底の無い哀しみと、諦めと、虚しさを織り交ぜたような目の色で。


かつて息子と呼んだ、三月の死体を眺めていた。



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超超超久し振りのラフ。実に5ヶ月振り。って、確認したら前回の更新は1年振りだった。どんだけ。

久し振りにラフ書くかー、どこ書くかなー、と思っていたら前回の後書きに指定があったのでそのscene。イヤ、基本こういうの無視するからあまり意味は無いが。

まあ正直どこでも良かったし、そろそろ書いてみるかなと思っていた場面だったのでその通りに。


sigiri(医者)の自己診断→左鎖骨開放骨折

全治何ヶ月かしら。彼はスーパーな男だから2ヶ月くらいで完治しそうだな。