ずっと書きたいと思っていたんだが、まとまった時間が取れないのでずっと書けずにいたことでも書いておこうかな。もうこの際、まとまった時間が訪れるのを待つのは諦めようと思う。このままの生活をしていると、多分永遠に来ない気がする。

そんな訳で大分適当になってしまうかも知れないが、一応書いておこうかなと。

恥ずかしながら、自分のことです。別段恥ずかしい訳でも無いが。

自分が何故そういう行動をするのか、その理由を忘れない為に。


まぁ書くに当たってのきっかけが2つ。なので、それに触れるいい機会を貰ったかなと。

1つ目は、自分の発言。


「他人のことを悪く言うのは好きではない」


自分がYラボへ来たばかりの頃、ヒーロー様は自分がこのスタンスをとっていることを非常に嫌っていたらしい。

かつてYラボに居た人物、自分とはほぼ関わりの無い人物の話をしていた時、自分がその人物を庇うような発言をしたことがある。それは自分も記憶がある。

それが、ヒーロー様には大層気に入らなかったらしい。まあ、道理ではあると思う。

「お前があいつの何を知っとるんじゃ」ってなことになるのは、理解出来るし、それが自然だろうな。


だから最近になって、ピンク先輩との会話の中で自分が上の発言をした時に、ヒーロー様は自分がそういう人間なんだと知ったらしい。まあ、その発言を受けて初期の頃の本音を明かして下さった訳だが。

自分からすれば、その人の何も知っていないからこそ、安易に批難することは出来ない。

勿論、擁護するのも矛盾している。だから自分は「○○かもしれないじゃないですか?」という可能性の形のみで示唆したと思ったんだが、記憶違いかなぁ。


他人のことを悪く言うのが好きじゃない、理由はいくつかある。自分的には。

だって実際を知らない、というのが今挙げたひとつ。知らない人を悪く言うことは出来ない。善く言うのも変だけども、悪く言うよりはマシだと思っている。

イヤ、違うな。善く考えたいんだな、多分。願望が混じってる。

よく分かんない例えだけど、昔から大っ嫌いだったことがある。中学時代の部活は運動部で結構厳しかったんだけれども、部活を休みがちな友人に対して、部活仲間が「あいつはズル休みをしている」とよく言っていたことがある。


それが嫌だった。

お前は、あいつが本当にズル休みしてるのかどうか、知ってんのかよ、と。

そりゃ、本当にそうかも知れない。でもお前はそれを確かめられるか?確かめたことがあるか?

よく憶測でそこまで断言できるもんだ、と誰にともなく憤ったことがある。


多分、その理由に似ている。と、思うんだ。自分が他人を悪く言わないのは。

勝手に判断されるのが嫌だ。人にはどんな理由があるか分からない。自分の経験上から、世の中結構奇想天外なことが起きたりするし、それを他人に想像させるのは難しい。

きっと、自分の想像を超えるような理由が他人にはあるんだと思っている。

それをズル休みだの何だの言われるのは、自分がその立場に立っていたら苦しい。


他人を悪く言わないもうひとつの理由はこの例え話に近くて、要するに当人の居ない所でその悪口を言うのが嫌いなのだ。

言いたいなら本人が居る所で言えよ。そう思ってしまう。

自分だって、自分が居ない所で悪口を言われているのは嫌な気持ちだ。

だから自分は、当人が居ない所でも、その人に対して面と向かって言えることしか言わないようにしている。

その人に対して言えない言葉なら、誰にも言わない。誰一人にも。

自分の中に仕舞っておけばいいだけだ。


更にもうひとつ、いつも考えてしまうのはその人物と自分の比較。

自分は果たして相手を悪く言えるだけの人間に値するのかどうか、という自身の反省。

相手の悪い所は自分にも当てはまるのではないか?という疑問。相手をはっきりと指差して、相手の悪い所を指摘出来る程の自信が本当に自分にはあるのか。


…うん、こんな所かな。

こういう理由に則って、恐らく自分は他人を悪く言わない。言うことが出来ない。んだと思う。



ああ、この時点で大分長いな。一体いつになったら眠れるんだろう。今日も出勤だが。

そんな訳で2つ目の議題は自分の行動。


「他人の為に散財する」


大学の友人約2名その他に疑問を持たれたのがきっかけ。

よく金が無いと嘆いていますが、大学へ行く時は大抵友人やHゼミへ手土産を持って行く自分。確かに矛盾してるよなぁ、これは自分でもその通りだと納得。

イヤ、何つーか、これは最早自分の性格と言うべきか性癖と言うべきか。


1つ目の議題に比べて大分大雑把な理由であるのは否めない。

が、簡単に言えば、他人に喜んで貰いたいから。そんだけ。

もし、自分がそうされたら嬉しい。だから相手も、そうしたら喜んでくれるかな、っていう単純な理由です。


最近、この行為を考えるきっかけを与えられて初めて、これが一方的な押し付けに過ぎないことを理解しましたがね。冷静になって考えてみると、自分は自分がされて嬉しいことをしてるから相手もきっと嬉しいかなと考えているけれど、そんなのこっち側の勝手な判断であって、本当に相手が喜んでいるかは判らない。相手からすると寧ろ迷惑かもしれない。

本当に、最近になって漸くその思考に至りました。遅過ぎだろ自分。どんだけ自己中心的なんだよ。


あともうひとつ、理由を挙げるとしたら、気持ちを形にしたいからかな。

感謝の気持ちは「ありがとう」っていう言葉一つで終わるけど、それだけじゃ何となく不安なのかも知れない。

自分は感謝しているんだよ、っていう気持ちを判り易く形にして相手に贈りたいのかも。



2つ目の議題の中で出て来たからついでに書きますが、自分は相当に自己中心的な考え方をしてる人間です。

これまで相手の迷惑だと考えなかったという点も然り、いつでも自分を中心に据え置いて考えているからこうなる。何かにつけても比較する対象は飽く迄自分です。

自分がされたら嬉しいから、そうする。

自分がされたら嫌だから、やらない。


よく自分は誰に対しても「可愛い」「格好良い」と言うので多数の友人知人から信用ならないと言われますが、自分にとっては至極当然のことなんですよ。自分より可愛くない人間は居ないだろうし、自分より格好良くない人間も居ないと思う。だから誰彼構わずそういう感想を口にするのは自分の中では筋が通っている。

自分が誰かを「可愛くない」と評価した瞬間、その人物は自分よりも可愛くない人間である、という評価を下したと自分では理解してるんです。

正直、容姿なんてどーでもいいつまらないことですが、自分は一応そういうスタンスをとっている。



…うん、書いておきたかったのはこんな所かな。

人に訊かれた時に、ちゃんと答えられるようにしておきたいんだ。でもいつもそれが咄嗟に出て来なくて、その度に一から思い出さないといけないから、どこかでこんな風にまとめておきたかったんだ。

はァ、書いてて思ったけども、やっぱ何処までも理屈人間だよなぁ、自分。

こういう理由付けが無いと動けない。あるがままじゃどうにも不安で、何かにつけて理由を付けたがる。


まあ、また何かのきっかけがあればこんな感じで自分のことを書こうかなと。

完璧なまでのメモだな。流石だよMy notebook#005。