東日本大震災から一週間、自分の周りは日常を取り戻しつつあるようです。

とは言っても、休日で計画停電が行われていないだけですが。電気が止まるだけで、こんなにも生活に支障が出るものだとは思わなかった。想像力の低さだなぁ。

ちょっと落ち着いてきたし、この辺で地震があってからの動きを振り返ってみようかな。



・3/11 震災当日:

→兄上様が銀行へ行くのを見送り、実験も一息ついてデスクワークをしていた頃に揺れ出した。

最初は「お、地震か」てな感想だけだったのが、長いわ揺れがデカイわでなんじゃこりゃと立ち上がる。ヒーロー様、幹事様、可憐様と共に(女王様はお休み)お部屋の崩れそうな所を支えながら揺れが収まるのを待つ。先輩の机の脇にあったガチャピン、ムック、赤まむしその他の栄養ドリンクの空ビンは危なそうだったので、それを回収してから押さえに回る。

一旦揺れが収まり、部屋の扉を開けると廊下に見たことのない壁が出来ている。←非常扉が作動

その後、再び強い揺れが来る。後に聞いた話だと、免疫の無い外国人は抱き付いて「怖い、国に帰りたい」と叫ぶレベルだったそうな。

首領先生の机が酷いことになっているに違いない(←首領先生の机は常にファイルetcが山積みになっている)、ということでヒーロー様の携帯を片手に別の部屋へ(←写真を頼まれた)。見ると、確かに酷いことになっていた、が、写真を撮るだけでは何だかとても申し訳ないので片付けに協力。

2回目の揺れで、ヒーロー様は一時帰宅。

兄上様が無事に御帰還される。銀行では「すぐに建物から出された」とのこと。

ヒーロー様も戻られる。ご家族や家は無事とのこと。

暫くして、ネットで宮城や福島の状況を知る。母と兄貴が新潟に行っていたので、そっちがちょっと心配。

鉄道がマヒし、ヒーロー様(←Yラボ付近に在住)以外の全員がお泊りの危機に陥る。自分は偶然朝寝坊した所為で車で来ていた為、家のXboxや買ったばかりのトルネetcが不安な幹事様を送りましょうかと提案するが、254もマヒしていることを知る。その後、幹事様はチャリで帰宅された。

もう少し夜が更ければ渋滞も緩和されるだろうと、そのまま兄上様、ヒーロー様、可憐様と共にYラボに残る。

乾パンや防寒マットの配布があり、マットを貰ってきた。夕飯は、幹事様が白飯とラー油、シュークリームを買って下さったのでそれを食べた。

父、祖母と電話が繋がり、母と兄貴は無事だと知る。また、福島の父の実家も無事だと知る。東京の従妹の家とも連絡が取れた。

22:00頃、ヒーロー様帰宅。


・3/12 震災翌日:

→渋滞情報を見ていたが一向に緩和される様子が無いので、暇だし実験でもするかとタンパク質の精製を始める(am0:00頃)。別の部屋へソニケーションに行くが、真っ暗で誰も居なかった。独りでCOSMOSを鼻歌で歌いながらソニケーション。ロビーで兄上様が就寝されているのを見つつ、部屋に戻る。可憐様も就寝されていた。

精製が終わり、PAGEするかとゲル作り。濃縮ゲルを注いだ後で渋滞情報を見ると、流石に緩和されてきている。が、今度は居眠り運転が怖くなってきたので(この時点でam3:00頃)結局泊まることにする。

一旦机に戻った所で、どうにも眠気が我慢ならんので突っ伏して寝る。

am5:00頃、起きる。兄上様も可憐様も既に起きていた。

地下鉄が徐々に回復しつつあるものの、他は動く気配無く。渋滞は解消されているようなので、お2人を動けそうな所までお送りすることに。

まずは可憐様を浦和方面までお届け。戻ってから兄上様を池袋方面へお送りする筈が、可憐様をお送りする途中で兄上様は既に出立されたとの連絡が入る。(徒歩で地下鉄の駅まで行かれたらしい)

無事に可憐様を送り届け、Yラボへ戻る。兄上様が忘れたパンを朝食に頂いた。

PAGE開始。

CBB染色し、ディテクトまで終わらせる。タンパクが取れてて満足。

その他必要な諸々をやり、姐さん先輩から頼まれたお仕事も終わらせて、漸く帰宅。

家はデスクトップPCのディスプレイもテレビも倒れていなかったらしい。無傷。奇跡。

H先生から安否を問うメールが来る。とりあえず無事ですと返信。

母、兄貴も帰宅。なんだか久し振りに一家4人が揃った気がした。


・3/13

→記憶が無い。昼過ぎまで寝ていた気がする…


・3/14

→震災後、初の出勤。鉄道ダイヤが大幅に乱れ、朝の通勤ラッシュが大混乱に。

今日使わなければならない菌がいたので、何としても辿り着きたい願望←

新宿方面へ出る西武線が沈黙した為、別ルートでYラボへ向かうことに。本川越まで出て、川越駅へ辿り着いた所で東上線の終日運休を知る。Yラボ方面へ向かうバスを探すが、見つからず。仕方なく、公衆電話からYラボへ連絡し、行く手段が見当たらないことを伝える。

帰れる内にさっさと帰れと言われたので、大人しく帰宅することに。この時点で前培中の菌を諦める。

以降、自宅待機。


・3/15

→昨日の著しい混乱を反省し、西武線が大幅にダウン。遂に下り方面にも行けなくなる。

昨日以上に身動きが取れなくなったので、敢無く自宅待機。

今週のYラボでの実験が原則禁止となる。


・3/16

→どうしても世話せにゃイカン株があったのと、所用を済ませる為にYラボへ。

西武線、東上線共に時間制限付きで動いていたので、何とかYラボへ辿り着く。とりあえず株の世話をし(そして12日から振り続けていた前培の菌を92時間目で取り出し←涙目)、必要なことを済ませてトンボ返り。

東上線のam10:30リミットにギリギリで間に合う。が、次なる武蔵野線が大幅に遅延し、西武線のam11:30リミットに間に合わず、新所沢で降ろされる。

仕方なく、降ろされた先で時間を潰そうと思ったら丁度いい(?)タイミングで計画停電が開始され、どの店も一時休店に。駅に戻り、今日の担当授業が終わったので迎えに来てくれるという父を待つ。

その後、迎えに来てくれた父の車で何とか帰宅。


・3/17~19

→自宅待機期間。大学の卒業式中止を知る。

こんな時に何やってるんだか、と自分でも相当呆れたが、昔描いた漫画をもう一回描き直し始めた。

卒論発表のスライド作れよお前。

どうしてもヤル気が起きない。結果が無いからだとは思うが。身が入らない。

加えてある事件が勃発し、考え方が大きく変わる。



こんな所かな。やっぱり、震災当日~翌日にかけてはインパクト大だったなあ。

記憶がまざまざと残っている。あの規模の地震は、自分にとって生まれて初めてでした。

あんなに揺れたことは無かったからなあ…。

ただ、Yラボの人々は異常に冷静でした。その冷静さに感化されたか、自分も別段何とも感じなかったのは事実。だから、震源地付近の状況を後で知って、相当驚いた。


自分に出来ることは何か。今、殆どの日本人がこれを考えていると思います。

それって素晴らしいことなんでないか。

少しずつ。塵も積もれば山となる、っていうのは本当かなと。