未だ、この国は混乱にある。

自分にとっては、生まれて此の方、体験したことのない類の混乱だ。自分は阪神・淡路大震災を知らないし、関東大震災に至っては生まれてもいないし、どうにも自分の住んでいる土地は天災に強い、というか天災に見舞われることが極端に少ないらしい。


今回も、直接の被害を被った訳じゃない。

いつもそうだった。間接的な被害でさえ、これまで経験したことが無いのだ。少なくとも、意識下の範囲では。

それが、この度の震災で初めて、影響を受けている。

これは少なからず驚きだ。それ程の情況に陥っているという、漠然とした危機感と共に。


計画停電で各線が運休していた為、いつもと別ルートでYラボへ行こうとした。

普段と真逆の方向行きの電車へ乗り込み、隣町まで出た所で、東武線も終日運休していた。結局、Yラボへ連絡をして、今日はそのまま自宅へ引き返した。

この状態がいつまで続くのか、それも分からない。


何もかも手探りだ。

自分達も、鉄道会社も、東京電力も、政府も。


それは仕方のないことだと思う。誰も経験したことがない事態なのだから。

誰を責められる訳でもない。誰だって、最初は失敗する。

失敗があってはならない、なんてのは理想論だ。常に成功してるなら、この世界はこんなに貧しかない。

その失敗で人の命が失われるのは惜しい。

だから、二度と失敗しないように努力するんだ。それしか出来ないじゃないか。


前代未聞の事態に直面する中で、各々が正しいと思うことをやってみたらいい。

それだけで、後世には何かが残る筈だ。今の自分達が後々責められるか、称賛されるか、それは判らない。

けれど、それは後世の人々にとって、かけがえのない財産になると思う。

経験という名の。


そして、それは生きている人間にしかできない。

死ぬことで残せるものはある。けれど、その後自ら何かを変えていくことはできない。

だから、生きていることは結構大切なのかな、と思った。

生きていれば何とかなるか、と。


事態に怯えている場合じゃない。行動を起こしただけでも、東京電力は称賛に値すると考える。

未知の領域へ踏み出すのは、どうにも出足が鈍る。ましてや、国レベル。

全てを上手くコントロール出来る筈もない。まだ、今は。

それが成功する時代が来れば、今の自分達も何かを残せたと思えるんじゃないのかな。


情報が膨らみ過ぎて錯綜する時代。

過去と現代とは、また災害に対する在り方が違っている筈だ。

きっと、比べようもなく前進している筈なんだ。


そう信じていたい。



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2011年3月11日14:46

東日本(東北・関東)大震災発生