赤信号に従ってブレーキを踏み込む。命令通り、愛車は白線の少し手前で停まった。
思わず舌打ち。ニュートラルに入れ、エンジンを小休止させる。
交差した道路の信号が青へと切り替わり、次々と前を通り過ぎていく。緑色のバックライトが点灯しているディジタル時計を見てから、表示されている時刻が正確でないことを思い出した。
腕時計を確認した。残り10分を切っていた。
駐車場へと車を滑り込ませ、入口付近をざっと見渡して空きを探す。
中に入っている殆どの店舗の閉店時刻間際だというのに、思いの外車は多かった。仕方なく、入口から離れる方向へハンドルを回す。バックをしている時間も惜しい。余裕のある場所へフロントから突っ込んだ。
修正したつもりだったが、車体は大きく斜めになっている。
一応白線内には収まっているし、この時間帯にこれから来る車もそうそうないだろう。そう予想して、ロックを確認してから店舗の入口へと走った。
目的の店は2階。こちらの入口からだと階段を上がった方が早い。
自動扉をくぐった時に、もう一度腕時計を確認した。残り5分。走れば1分かからない。大丈夫だ。
間に合った、という軽い安堵に胸を撫で下ろした。
その店は白い壁に囲まれている。この店が出来た時から変わっていない。それを自分は知っている。
眩しいな、と思う。夜道を運転していたからだろう。
ガラスのショーケースも、その中に並ぶ磨き上げられた石達も、きっと計算し尽くされた角度からの照明で、最大限の輝きを放っているのだろうな、とは思う。
美しさというのは、得てしてそうやって作られるものだろう。悪いとは思わない。
近場のショーケースを覗きながら、ひょっとすると既に買い取られたのでは、という懸念がちらりと過ぎったが、目当ての物は以前と同じ場所に置かれていた。値札を確認する。
そのすぐ横に別の値札があり、値段が一桁違った。実に紛らわしい。やや眉根を寄せる。
目当ての品の前に立ってから10秒と待たずに、店員を呼んだ。
「すいません」
奥のカウンタに居た店員が、こちらを見た。
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。それは当然の思考だと思う。
既に閉店時刻まで、残り3分を切っている。
「はい」
「この、オニキスのネックレスを下さい」
「はい、こちらxx円のものですね?」
「ええ」
「かしこまりました。今、お取り出し致しますので」
幸いにして、値段を訊く手間が省けた。少しだけ、後ろめたくはある行為だと思う。
ショーケースのロックが解除され、ガラス扉が横へとスライドされる。ネックレスを店員が取り出すと、意外に大きな輪だった。並べられていた時は折り畳まれていたらしい。そこまで確認していなかった。
「試着されなくてよろしいですか?」
「プレゼント用なんで」
もう一人の店員が持って来た鏡にちらりと視線を送ってから、答えた。
プレゼント用でしたか、と店員は頷いて、にこやかに笑った。日が日だからかもしれない。
他の店員よりやや歳を重ねている風だったけれど、綺麗な人だな、と思った。
「可愛いですよね、このネックレス」
「ああ…花のモチーフがついてるのが、友人に合ってるかなと思って」
答えながら、友人の顔を思い出そうとしていた。相変わらずはっきりとした輪郭までは思い出せない。
ただ、花柄が似合いそうな気がする。それだけだ。
百合や蘭のような上品な花でなく、子供っぽい、幼稚さのある花の方がいい。
彼女が身長的に小さいから、そういう風に感じるのかも知れない。
ネックレスがいいなぁ、と言っていた。
これでいいかな、と胸の内で尋ねておく。今はそれしか出来ない。
「ラッピング致しますので、少々お待ち下さい」
頷いて、店員の背を少しだけ視線で追ってから、ショーケースに目を戻した。
いつかもこんなことをしたな、と思い出している。
確か、高校生だった。学校からの帰りに自転車で寄った。
特別なその日に、同じ店に来て、目的の品が置いてあるショーケースの前まで来て、店員を呼んだ。あの時は5秒もかからなかったと思う。
高校生が石を買うとは思わなかったのか、あの時も店員は少し驚いた様子だった。
『もう、ずっと決められていたんですか?』
『ええ』
店に来て迷わず購入した自分に、店員が訊いてきたのを憶えている。
その日の前の週末にも、その前の週末にも、その他にもここへ来る度に店へ寄って、ショーケースを確認していた。一度、場所が移ったのも知っていた。
理由は憶えていないけれど、小さなクマの縫いぐるみが付いたキーホルダを一緒に貰ったと思う。
買ったネックレスと一緒に、母さんにあげた。
大変お待たせ致しました、という言葉と共に、店員が戻って来た。
会計を済ませると、レジが既に止まっているということで、レシートは発行されなかった。
閉店間際に申し訳ない、と一言詫びてから、店を後にした。
ありがとうございました、という店員の声を背に聴いた。
相変わらず、好きな店だ。
彼女は喜んでくれるかな。
店のロゴの入った袋を眺めながら、彼女にメールをしよう、と思った。