「全く、お前には失望させられる」


扉の向こうの人物は、抑揚が無いながらも、何処か呆れが混じった声でそう言った。

銀縁の眼鏡の奥からこちらを見据える目は鋭く、そして機械的だ。珍しく感情を乗せているらしい。


「また為損ねたそうだな?7号といいお前といい、全く以て不出来なものだ」


少しは頭を冷やせ、という一言を残して、その人物は短い面会を終えた。

面会とは言いつつも、扉一枚隔てた部屋の中の様子は殆ど何も見えない。照明は無く、細長い隙間から僅かに洩れる光でかろうじて床が見えるだけだ。

その闇の奥に<BLUE>はいた。


<RED>が処分されたこと。

<GREEN>が“魂”を連れて脱走し、その際に人間を数名殺害したこと。

それらの知らせを、<BLUE>はただ聞いていた。


<BLUE>は壊れたかった。



『どうしました?』


名前の知らない彼は、いつもそう訊いてくる。

硝子玉のような透明な瞳から、それがグラス・アイだということはすぐに判る。彼は人間ではない。


「仲間をひとり、殺すように言われました」

『それで?』

「逃がしました。僕には、殺せません」

『どうして?』

「…仲間、ですから」


それもそうですね、と彼は少し笑った。寂しそうな微笑だった。


『貴方には本当に悪いことをしました』

「どうして?」

『それはきっと、僕の所為だから』


静謐を乱す雑音に、<BLUE>の思考は現実へと引き戻される。

顔を上げると、そこに<GREEN>が居た。



部屋への侵入には気付いていないらしかった。

俯いた顔からかろうじて見える目元には、何の意志も見られない。こんなことが以前にも何度かあった。

灯りは無かったが、<GREEN>の目には全てが鮮明に見てとれた。


「…こりゃまた、こっぴどくやられたもんだ」


狭い独房だった。床には赤黒い液体が撒き散らされている。

左脚の膝から下を失い、右腕を肩口から丸ごと失くした人形が、奥の壁に寄り掛かる格好で床に座っている。かろうじて原形を留めている左腕と右脚には頑健な拘束具が嵌められ、完全に固定されていた。

左膝の先は<GREEN>の足元に転がっていたが、右腕は見当たらない。恐らく簡易障壁を警戒されたのだろう、何処ぞへ捨てられたのかもしれない。


<GREEN>が更に近付くと、漸くその人形は侵入者に気が付いたようだった。

蒼い瞳が<GREEN>を捉え、一瞬の驚きの後に、それは軽蔑とも憎悪ともつかない色を帯びた。


「御機嫌ナナメのようだね」


そう言って拘束具に手をかけた<GREEN>に、鋭い声が突き刺さった。


「僕を自由にしたら、貴方を殺しますよ」


ぴた、と<GREEN>の手が止まる。

しかし彼は動じなかった。


「…強がりは嫌いだよ。出来もしないことを言うもんじゃない」

「貴方は僕には敵わない。御存じでしょう?」

「黙りな。tataも殺せなかったお前さんに何が出来るって?」


<BLUE>が沈黙した。<GREEN>は深い深い溜息を吐き出した。


「二研ってのは尋常じゃないとは聞いてたけど。…全く悪趣味だな。それが、お前さんが隊に居た理由か」


<BLUE>は答えなかった。やり場の無い感情を必死で抑え込んでいるようにも見えた。

二研にまつわる、そういう噂話があることは<GREEN>も知っていた。但し、飽く迄も噂は噂、二研の人形達が持つ段違いの性能の高さを妬んで言っているのだろうと、<GREEN>は考えていた。

それがまさか、現実のものだとは。


「仲間を殺すってのは、どんな気分なんだろうね」

「…僕には解りません。けど、殺した人形と殺さない人形の差は歴然であると」


仲間を殺すことによって得られる“何か”を得る。それが何なのかは未だ明らかになっていない。

『仲間殺し』は二研のhumanoidの義務であり、義務を果たした上で初めて所属humanoidとして正式に登録されるのだ。

イカレてる、と<GREEN>はつくづく思う。二研の人形が恐れられる所以だ。


「cyanは殺したこと無かったのか」

「過去に一度、命令を受けました。…僕には出来なかった」

「それで今回も失敗した訳か。大丈夫なのか?二研の研究者共は気が長そうじゃないけど」

「だからいいんです。もう、このまま不良品として処分してもらった方がいい」


そう言うと、<BLUE>は目を閉じた。これでもうお終い、というような、穏やかな表情だった。


「cyan」

「もう行って下さい。本当なら、貴方とはもう話したくもなかった。貴方が殺人を犯したと聞いてからは」

「―――」

「どうせ、ここの守衛も殺したんでしょう?貴方にとって、人の命がそんなに軽いものだとは思いませんでした」


―――<INDIGO>の死を分かち合った筈だった。

あの時、<GREEN>は確かに悲しんでいた。彼は<BLUE>の苦しみを理解していた。


それなのに。


「貴方は残酷な人だ。…それなら、僕にだって優しくなんかしないで下さい」

「……そりゃ、無理な話だ」


少し間があってから、<GREEN>はぽつりとこぼした。


「たとえ一時でも、俺等は仲間だったんだから」


出会ったばかりのあの頃、2人で握手を交わした時のことを思い出す。

一人、また一人と仲間は減っていき、今ではここに2人しか居ない。

ただ、こうなるであろうことを最初から分かってはいた。自分達はそれを知りながら結局止められなかった。それだけだ。


「…行って下さい」


僅かな沈黙の後に、<BLUE>が言った。

<GREEN>は頷いて、黙って部屋を出た。元通りに扉を閉めて鍵を掛け、守衛の死体の所へ置いておいた。

さよなら、くらい挨拶してから行こうかと思ったけれど、やめた。そのまま建物を出る。


静かな夜だった。星がよく見える。


「そら、星が綺麗だよ、Ion」


暗い夜空を見上げて、星の瞬きを少しばかり眺めて、そこで全ての記憶に蓋をした。

自身が亡霊であることを一時でも忘れさせてくれた記憶。まるで夢のような。


―――それは果たして、良い夢だったのか悪い夢だったのか。


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先を行く小柄な人物は、淀み無い足取りでさくさくと歩いていく。

既に夜はかなり冷える時期だ。吐く息は白く、闇に混ざってすぐに消える。


<VIOLET>はいつの間にか足を止め、空を見上げていた。

先行していた人物は少し進んだ先でそれに気付き、同じように足を止めて振り返った。<VIOLET>を見、また同じように空を見上げる。

一面、墨で塗り潰したような夜空。その中にいくつもの微小な輝きがひっそりと息衝いている。


<VIOLET>は黙ったまま、ただ夜空を眺めていた。


「Ielyでは、星は見えるのか?」

「…いいえ」


ややあって投げられた問いに、<VIOLET>は短く答えた。


「なら、よく見ておくといい。お前がもう二度と目にすることの無いものだ」


それだけ言って、黝良はまた歩き出した。

<VIOLET>はもう暫く空を見上げた後、小さく頷いた。


「―――そう、ですね」


頷いた彼の頬に、一筋の涙が伝っていた。


さようなら、と彼は呟いた。

誰にも聞かれることのない、誰とも交わすことの出来なかった、離別の言葉だった。



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朝です!僕は寝ます!!フラグを一本も回収しないまま寝ます!!!

ああ、一時間くらい眠れるんじゃないですか。うん。頑張って寝るよ。