いよいよOG誌編集も大詰めになりまして、本日印刷して来る予定。

いやー、現役時代は部長に任せっ放しだったから、慣れない作業は骨が折れるね。

今更ながら部長の苦労を思い知りました。遊んでてすいません会長!


さて、印刷決行日な訳ですがまだ届いていない原稿があるので、それを待つ間に更新。

こんな時に書かなくてもいいだろってな話ですが、今を逃すと多分またタイミングを失う気がする。

だってさ、書こうと思ったの一年以上前じゃなかったっけ?←

それ以来、書こう書こうと思いつつ書いてないんだぜ。どんだけ怠け者だ自分。


という訳で、徒然とじいちゃんの話をします。

湿っぽい話です。特にストーリーはありません。

何故いきなり書こうと思い立ったかというと、先日じいちゃんの23回忌を迎えたからです。

んで、初めて法事というものに参加したからです。

なかなか礼服は似合ったらしいよ。



じいちゃんは、自分が0歳の時に死にました。


自分があと1ヶ月くらいで1歳になる頃、夏の終わりに死んだらしい。

だから、自分にじいちゃんの記憶は全く無い。


顔は写真の角度のものしか知らないし、声も知らない。性格も知らない。そういや、身長とかも知らないな。

自分が住んでる所は昔は村で、そこの村長の息子で、学校の校長をやっていた。美術の先生でもあった。

絵を描くのが好きで、あと酒が好きで、結局それが元で肝臓を悪くして死んだ。

小さい頃に聞いた話は、それくらい。


じいちゃんの記憶は無いけれども、自分はとてもじいちゃんっ子だった。


いつも見てたのは仏壇の写真だけど、当然いつも変わらず優しい顔をしてるから好きだった。

クソガキの頃は線香をあげるのが楽しくて、隣のばあちゃんの家によく行っては面白半分に線香をあげていた。物珍しいお経を読んでみたりした。

その間に、じいちゃんの話をばあちゃんから聞いたりした。


皆から尊敬される、立派な人。

校長先生なんだから当たり前だ。すごいひとだったんだな、と自分はじいちゃんを尊敬してた。

こんな立派な人が自分のじいちゃんだなんて、とじいちゃんを誇りに思ってた。

じいちゃんと自分の写真があまりなくて、兄貴や年上の従兄姉ばっかり一緒に写ってるのが気に入らなかったもんだ。

まあ、それは今でも大して変わってないが。


「じいちゃんは頭が良くて、優しくて、偉くて、誰からも尊敬されてる人なんだ」


っていう、所詮は自分の中で勝手に理想のじいちゃんをつくっているに過ぎない。

そのことに気付いたのは、多分高校辺りだろうな。

自分はじいちゃんを知らないんだから。


でも、自分がじいちゃんっ子なことには疑いようがない。

自分の名前はじいちゃんがつけたもので、

じいちゃんの最期の言葉は自分の名前で、

じいちゃんの買ったピアノで練習して、

じいちゃんの描いた絵を部屋に飾って。

こんなにも、じいちゃんが好きだ。


きっと、じいちゃんが死ぬ時も自分は母さんに抱っこされて何かやってたんだろう。

目の前で人が死んでいくことなんか、0歳のガキんちょに解る筈もない。

名前を呼ばれたことだって判らなかっただろうな。


娘に生まれた孫の自分と兄貴を殊更に可愛がってくれたらしい。

自分が0歳の時に死んだもんだから、自分が歳をとる毎にじいちゃんが生きていた時間から離れていく。

自分の歳と同じ数の回忌を重ねるんだ。(あ、歳がばれた

じいちゃんの50回忌を迎える年、自分は50歳になる。


そう思うと、じいちゃんと一緒に生きてるような心地になる。

まあ、生きてたとしてもあの世での話だが。


ガキの頃に辛いことがあった時なんか、よくじいちゃんのことを考えた。

じいちゃんが最期に自分の名前を呼んでくれたこと。

それだけで、自分は愛されてたんだと思った。


誰からも愛されなくたって、この世にたった一人ぼっちになったって、自分を愛してくれた人がいた。

それだけで救われた。他に何も要らなかった。

他の誰に捨てられたって、自分にはじいちゃんがいる。


都合の良い話だとよくよく思う。もうじいちゃんは死んじまってる訳だから、訂正する術も無い。

じいちゃんが愛してくれた事実は覆らない。それが何よりも安心した。

じいちゃんだけは、自分を愛してくれた。これからもずっと愛してくれる。

所詮は自分の勝手な考えに過ぎないけれども。


だから、その言葉だけで。

自分はこれまでも、これからも、生きていけるんですよ。




あ、もう夜明けじゃん。原稿〆切だー(設定は土曜の朝日が昇る迄)メールチェックせな。

Yラボに行き、印刷所に行きと忙しないが頑張るか。

その前に原稿印刷して、紙を買いに行って、と。