先に言っておきますが、今日はちと荒れますよ。
どうぞお気に障る方は見なければよろしい。
今日の新聞記事で見ました。
また新人教師が死んだとね。ああ、またか。また一人死んじまったのか。
そういう記事を見る度に、親父君と交わす会話はいつも同じ。
「また死んだね」
「ああ、また死んだ」
そう言って、親父君はやり切れない顔をする。
同じ教員同士、胸が痛むのは当然だろうといつも思う。
中途半端ながら、教師の道も考えている自分もそうだ。ただ、実感は湧かないけれど。
父は現役教師。母も教師だった。祖父も教師。従兄も教師になった。
教師という職業なら、そこらの人間よりかは断然知っているつもりですよ。これまで、躾をされるように教師の目から見た学校の話を聞いてきたのだからね。
その代わり、一般社会のことについてはまるで無知ですが。
会社員が周囲に居ないのでね。リーマンの苦労とかは一切知らん。教師と比較してどうなのかも。
まあ、ピンからキリまででしょうがね。地位なり身分なりも然り。
あと、世間様から見た教師がどうなんだってことも知らない。
自分は常に教師の身内だったからな。
ただ、ですね。
教師という職業を決して軽んじて欲しくない訳だ。教師自身は勿論、その他の人々にも。
教員がどんなに悩んでいるか、世間の人々は知っているんだろうか?
もっと良い授業をしたい。子供に目をかける時間を増やしたい。
ぼんくらな父でさえ、いつもそれを言ってるんですよ。もっと良い授業が出来たらいい。もっと生徒の相手をしてやれたらいい。
そう望んでる先生は沢山居るよ。勿論アホでどうしようもねー先公も居るけど。
そして、大抵は前者から死んでいく。
立派な志を持って教員になって、子供達の将来を真剣に考えてる先生から死んでくんですよ。
こんな可笑しい話があるかっての。頑張ってる人から自殺するなんてさ。
正直、今の教員には子供に目をかけてる暇なんて無いんですよ。
五月蝿い親は朝も夜も関係無く電話を掛けて来る。或いは御丁寧に学校までやって来る。躾がなってないクソガキの親は、そんなものは学校でやれと言う。クラスの半分近くが不登校、イジメ、知的障害、片親、その他諸々の何らかの事情を抱えてる。家出娘があれば教員も捜しに行く、引き篭もりがあれば授業の合間縫ってお宅訪問する。帰りが遅いので預かってくれと親から連絡があれば学校で御守りする。部活があれば休日も祝日も関係無く仕事に行く。
更に文科省は世論や評論家に流されるまま、訳の分からん仕事を教員に押し付けてくる。やれ道徳教育だやれ仕事体験だ、その先々でまた生徒がトラブルを起こす。それでいちいち挨拶に行く。ゆとり教育を導入したかと思えば学力低下に浮き足立ち、授業時間を増やせと言ってくる。
こんな過労働の中で、一体いつ授業研究をすりゃいいのかね?
ましてや、クラス全体を見渡せるハズが無いんだよ。子供の面倒見るのが教員の仕事だってのに、それすらままならない。これが現実。
だから、理想と現実のギャップが埋まらないままになってしまうんだ。
どんどん溝が深くなって、結局自殺しちまう訳だ。
この上更に子供達からも見放される気持ち、想像もしたくない。死を選んで当然さね。
…これ程に、哀しいことはないだろう?
記事を見る度に。
その人が如何に頑張っていたかを想う度に。
全てに真剣に取り組んだ所為で、精神を磨り減らして死んでいく人達の話を聞く度に。
そう思わずにはいられない。
自分には、自殺した教師がボロクズのように学校から捨てられたとしか思えない。
教員仲間で助け合えたらいい、それも昨今じゃままならない。
教員同士で仕事を押し付け合う。顧問を持つのが面倒だから顧問にならない教員も居る。
そういう仕事の押し付け先が、また頑張ってる先生になる訳だ。
だからどんどん仕事は増えていく。一生懸命な先生はどんどん追い詰められていく。
本当に、可哀想なんだ。
何もかもが狂っちまってるとしか思えない。
だから。
だから、本当に嬉しかったんだ。
自分が教職をここまで続けて来れたのは、一人の友人のお陰なんですよ。
彼女はきっと素晴らしい教員になる。見ていて眩しい程に立派な志を持った人です。
教職の授業の中で、何度絶望を味わったことか。
正直、もう殆ど諦めていたんですけどね。教員という仕事に対して。
けれど、いつも彼女が一緒に居てくれた。
教師という職業をいつも真剣に考えていて、希望に目を輝かせている彼女が居た。
彼女はきっとそんなつもりは無かったと思うけれど、自分にとってこれ程大きな支えは無かった。
有難いな、と思います。素直に頭を下げたい。
それでも。だからこそ不安になる。
彼女は一生懸命だから。
彼女が教師を目指す以上、この不安はどうしても拭えない。
…お願いだから。
もうこれ以上、教師を殺さないで欲しい。
頑張ってる人から死んでいくのを聞くのは、もう嫌なんだ。