思考は自由だと思うのだけどさ。
けど、生き物を殺すような思考はあまり持つなという世の中ではないですか。
そういう思考を持ってると、何となく危険人物だと思われたりして。
まあ、危険でしょうね。可能性がある時点で。
別段、誰を殺そうと思っている訳でもないのだよ。
そうそう、自分を殺そうという思考もやっぱり好ましくはないようで。
人間は他人の思考が読めるような能力も持ってないし、そういう点ではやっぱり思考は自由だと思うのだけれど、断絶されてはいるわな。そういう思考を共有することは難しいだろう。
共有すべきでないのかもしれないしね。
まともな人間かを問うテストとかでよくある質問がありますね。
自殺を考えたことがありますか?とか。あれって、結果にどう影響するんだろう。
ああいう質問、嫌いなんだよなあ。
自殺を考えたことなんて、数え切れないくらいあらぁな。
苦しくなくて、誰にも迷惑掛けない方法があるんだったら、今すぐにでもしてるわ。
そういう人間って、まともではないのかしら。
この世に未練が無い人間って、どっかオカシイのか?
何の偶然で宇宙が生まれちまったのか知らないが。
そんな宇宙の中で地球みたいな星が出来ちまったことを、この世で最大の不運だと思うのはオカシイかな。
初めっから何も無けりゃ良かったのに。
そういう風に、アテも無く途方も無いことに対して悔やむのは変なのかな。
悔やんだって仕方の無いことは判ってるし、もうどうしようもないことだ。
何かのイタズラで宇宙が出来て、最低の偶然で地球が出来て、あまつさえ生物まで誕生しちゃってそれが人間にまで進化しちゃって。
ああ、残念だったね。何とも悪い冗談だ。も、最悪。
…っていう風に捉えるのは、人間としてまともではないのかな。
例えば、今感じているこの世界が全て嘘とか。
夜明けが来る前に世界が終わっているとか。
今すぐに地球が消えるとか。
そういう非現実的なことが起きるのを堪らなく切望しているのは、きっとまともじゃないんだろうな。
非現実だと理解していながら、それが起きるのを期待している。
きっと、自分が生きている間には起こりそうにも無いことを。
これまでに死んだ人達の中にも、そうやって期待しながら死んでいった人は居るのかな。
長い一生を、人類の破滅に想いを馳せながら過ごした人は居るのかな。
そういう人が一人でも居てくれたらいいのにな。
そしたら、自分も少しはまともなんだって思えるような気がするのにな。
まあ、共有出来ない類の思考だから、きっとこの先もそれは叶わないと思うのだ。
どうも、自分はそういう思考をしない人間だと周囲に認識されているらしい。
まあ、非現実が起こることを信じている訳でなし、その通りっちゃそうなんだが。
期待してるだけ。起こればいいなと思う、ただの希望だ。
深く捉える気は無いし、熟考した所で無意味なことも判ってる。
世界がたった一人の妄想で終わったら、それこそ笑える話。
ただ、自分にとっちゃ心外、ってだけで。時々そんなことを考える。
電車の窓から外を見ている時も。
子供が親に甘えている姿を見た時も。
実験をしている時も。
夜空の星を見ながら帰る時も。
……何もかも、終わってしまえばいいのにな。
そう思わない時はあまりないんだけどな。ってことを。
だから偶に訊きたくなる。
会った人々は大抵が自分のことをまともな人間だと言うけれど、それは本当なのか?
まともだと言うなら、あんたもそういう考えをするのかね、と。
どうやら自分は、その思考を誰かと共有したいらしい。
しかし何でかな。共有出来た所で、苦しくなるのが想像出来るんだ。
誰かに受け入れてもらった途端、胸の内の蟠りが破裂するのが判るんだ。
何が嫌なんだろう。
ロボットが欲しいな、早く…。
あ、何かいつにも増して暗い内容ですが。
書いてる人間は大して問題無いので気になさらず。普段通りです。書いてある通り。
こういう思考もナチュラルにしてるってことです。別段驚くことではない。
タイトルはかの有名な歌からですが、自分はついこの間まで「幸せなら手を叩こう、幸せなら手を叩こう、幸せなら態度で示そうや、さあ皆で手を叩こう」と何故か微妙に関西弁風に憶えてました。
これが当たり前だと思って、小さい頃からずっと「や」で歌ってきたんだけどなあ…。