それは、長く続いた<BLUE>の精査が漸く終わる日のことだった。

<VIOLET>がその話を聞いたのは、<GREEN>が一研へ行くのを見送ってから半日も経つ頃だった。前回と同じように、<GREEN>は<BLUE>を迎えに行ったのだ。


そしてそのまま、<GREEN>は帰って来なかった。

少なくとも、<VIOLET>の前に姿を現すことは二度と無かった。


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『第一研究所施設内に旧Kronnmell製と見られるhumanoid数体が侵入。所内の関係者及び一般の人間は直ちに避難、周囲の自律型robotは付近の人間の保護と避難補助を第一級最優先事項に設定。繰り返す…』


喧しく鳴り響く警報と緊急事態を告げるアナウンスに、<RED>は心底げんなりした。

何事かと狼狽える付添いの人間に許可を求め、建前として一応避難することを勧めてから、<RED>は人々の波に逆らって進み出した。

確信はあった。試しに送ろうとした通信は切れていた。


そして、<BLUE>が今日戻って来ることも知っていた。

あの妙に優しい亡霊のことだ、迎えに来ているに決まっている。それを思うと更に気が滅入った。



混乱と悲鳴の最中を<GREEN>は軽快に駆けて行く。

亡霊が現れたのはF棟。ここからそう遠くない。一研の、それもF棟に現れたとなれば、<GREEN>と故郷を同じくする彼等の狙いは明白だった。

耳障りな警報とアナウンスに時折顔を顰めながら、<GREEN>はひたすらに駆けた。


「そういえば、俺も侵入者に数えられるのかね」


面白くもなさそうに呟いて、脳内で現在地を確認する。F棟との連絡通路を渡り切ってそのまま直進、吹き抜けの空間へ出た所で、その勢いのまま低い壁を跳び越え、垂直落下。平然と1Fの床に着地し、一度辺りを見回す。

流石に人目は無い。既に避難したようだ。正面入口付近に硝子の破片が散らばっているのが見えた。

その周辺の床一面に、血溜まりが出来ていた。


「…相変わらず派手にやってンな」


目を細めて呟いてから、<GREEN>はすぐに地下へと足を向けた。

通路の突き当たりの奥に、四角く切り取られた暗闇がぽっかりと口を開けている。壊された扉を横目に躊躇無く飛び込むと、途端に視界が暗闇に沈んだ。メインの光源が落されている所為だ。

足元灯の青い光だけが、不気味に空間を浮き立たせていた。


青色。その色が連想させるもの。

一瞬だけ、<GREEN>は<BLUE>のことを考えた。折角迎えに来たのにな、とちらりと後悔する。

<BLUE>も避難しただろうか。彼のことだ、律儀に検査していた技師を抱えて避難させているかもしれない。

そして俺のことを考えるかもしれない。


<GREEN>の思考は、突如頭上から降ってきた影に遮られた。

すんでの所で飛び退くと、直後に衝撃が床を伝わってきた。<GREEN>は一度手をつき、反動で身軽に体勢を整えた。見ると、<GREEN>の立っていた場所の床が砕け、大きく陥没していた。


その凹みの中心に、一体の“亡霊”がしゃがみ込んでいた。

獲物を逃がした獣のように歯を軋ませ、巨大な手で悔しそうに床を引っ掻いている。その指の隙間に<GREEN>の帽子があった。

亡霊は今にも飛び掛かって来そうな気配だったが、その時、別の声が響いた。


「止せ、azlulu」


ぴたり、と亡霊の低い唸り声が喉の奥に引っ込んだ。<GREEN>は暗闇に目を向ける。

輪郭の朧な人影がこちらに歩いてくるのが見える。足音が近付くにつれ、だんだん鮮明になってくる。見覚えのある顔も、癖っ気の強い髪の色も、自分と似たような背恰好も、その身に纏わりつく血の匂いも。


「…久し振りだァ、greggdoll。死んだんじゃなかったのか?」

「お前等はこんな所で呑気に爆弾テロか?揃いも揃って暇人だな、grenuts」


すると、その亡霊は「なに」と心底可笑しそうに言った。


「お前等2人が帝国側に捕まったなんて笑える話をあの双子が持って来たから、せめてお前の遺志を汲んで、お前の大事な大事なお姫さんを助けに来てやったトコさ」

「そうか、そりゃ残念だったな、俺が死んでなくて。無駄足御苦労、さっさと帰れ」

「つれねえなァ。ちっとは再会を喜べよ」


くつくつと喉を鳴らして笑う亡霊に、<GREEN>は顔を顰める。


「すぐに帝国の犬が来る。死にたくなけりゃさっさと逃げろ」

「放っとけ、来たら殺しゃいい話だ。…なァ、greggdoll」


煩わしげに振り返った時、<GREEN>は瞠目した。目と鼻の先に亡霊の顔があったからだ。

そいつの耳元で揺れるKronnmellの国章が刻まれた耳飾りが、やけに目についた。


「お前、何でそっちから来た?お姫さんはこの奥に居んだろ」


亡霊の口元は笑っている、しかし目は笑っていない。

彼は暗に責めているのだ。<GREEN>が義務を果たしていないことを。

Ionの傍に居ないことを。

<GREEN>が何も言わずにいると、亡霊は低い声で囁いた。


「…あんまし俺等を失望させんなよ。次は無ぇぞ」

「そりゃこっちの台詞だ」

「あ?」

「二度とIonに近付いてみろよ。俺が手前等一匹残らず成仏させてやるぜ?」


<GREEN>が亡霊を見据えて言うと、亡霊はまたくつくつと笑声を洩らした。


「そうこなくちゃなァ、頼れる騎士様?…んじゃ、帰るかazlulu。全く、とんだ無駄足だ」

「直接地上に出れる通用口があるから、そっちから帰れよ。塞がれてるだろうが、数は少ない筈だ」

「御忠告どーも。おい、行くぞ、laroux」


それは幻聴だったのかもしれない。イヤ、幻覚か。

<GREEN>の横を、青色の闇に紛れて小さい人影が駆けて行った。ような、気がした。


「greggdoll。…ああ、そういや今はgreen、だっけか」


ま、俺も今はnutsだけど。そう独りごちる亡霊の方を振り向くと、彼は入口の所に立ってこちらを見ていた。こちらからは白く見える四角く切り取られた光の中に、黒いシルエットを浮かび上がらせていた。

他に人影は見えない。やはり幻覚だったのだろう。


「何だ」

「お前も一緒に来たらどうだ?お姫さんと一緒に逃げる絶好のチャンスだろ」


<GREEN>は言葉を失ってしまった。何とはなしに表情が緩んだ。

ほんの一瞬だけ、遠い昔の記憶が胸の内を過ぎった。懐かしくて温かくて、古臭い記憶だ。


「お前の口からそんな言葉を聞くと、有り難過ぎて涙が出るわ。…だけどな、遠慮しとく」

「そうかい。…そんじゃ、お前が死んだらまた姫さん迎えに来るとするか」

「ああ、そうしてくれ。おい、grenuts」

「ん?」


<GREEN>の耳元で、亡霊と同じKronnmellの耳飾りが鈍く光った。


「…誇れよ。祖国を想う心あってこその、“Kronnmellの亡霊達”なんだからな」


亡霊は何も言わなかった。逆光でその表情は見えない。

そのまま、亡霊の影が白い光の中に消えていくのを、<GREEN>は黙って見つめていた。


そして暫くその場に立ち尽くしてから、<GREEN>は静かに、闇の奥へと歩き出した。


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壊された扉の入口まで来て、<RED>は足を止めた。


「…green。そこに居るな?」


声を掛けると、「はいはい」といつもの軽い調子の返事が返ってきた。


「そっか、今日はリーダーも一研に来る日だったっけ。流石に仕事が早いねぇ」

「…通信を切ったな。命令違反だ。大人しく投降しろ」

「言われずとも」


姿を現した<GREEN>は、特に何も変わった様子は無かった。いつもの飄々とした態度で<RED>の前まで歩いてきた。


「侵入者は?」

「後から来る連中には逃げた、って言っておくよ。俺の為に一番乗りで来てくれたリーダーには本当のことを話しておこう。…逃がしたよ。わざとね」

「理由は?」

「簡単さ。俺等は故郷を同じくする仲間だから」


そう、たとえ歩む道は違っていても。亡霊達に裏切り者と罵られても。

結局、俺達の根っこは一緒なんだ。


<RED>が沈黙したので<GREEN>が何か軽口を言おうと口を開いた時、騒々しい音を立てて武装した人間と戦闘用機械がやって来た。<RED>は気だるそうにそちらへ身体を向け、<GREEN>はそっぽを向いた。

中に亡霊が残っていないことを確認すると、彼等はすぐさま<GREEN>を拘束した。

<RED>も<GREEN>も驚きはしなかった。行動制限の無視、通信遮断、立入り禁止区域への侵入、逃亡扶助容疑。おまけに、<GREEN>自身も“亡霊”ときた。言い逃れの余地などありはしない。


「…お前だけは妙な行動を起こしてくれるなと、そう言った筈だが」

「ゴメンね、リーダー。…でも、Ionだけは譲れなかったんだ」


相変わらず軽い調子で応える<GREEN>に、<RED>は俯き、深々と溜息を吐いた。


「あのさ、俺達、また会えるかな?」


その時、一人の男性が<RED>を呼んだ。2人同時に顔を向けると、相手は少し怯えたようだった。

<RED>は微かに頷いてから、何も言わずにそちらへ歩き出した。

そこで初めて<GREEN>は気が付く。


<RED>の首に、見慣れないタグが付いていることに。


「…リーダー?何処行くのさ」


嫌な予感がした。

<RED>は無言で歩いていく。距離が離れていく。<GREEN>は声を上げた。


「リーダー、何処行くんだよ!リーダーっ…」


身を乗り出す<GREEN>を、近くのhumanoidが制する。

それでも振り解こうとする<GREEN>の身体が床に叩き付けられ、完全に押さえられた。武装した人間から汚い罵声と怒号が浴びせられる。

しかし、<GREEN>はそれを気にも留めずに叫んだ。


「リーダー!!まだcyanとtataが残ってるんだ、あの2人を置いて何処行く気だよ!?」

「さっきの質問だが、答えはNOだ。もう二度と会うことは無い。…俺が死んでる」


振り返った<RED>は、いつもの感情の無い顔をしていた。


「だから、お前さえ居れば良いと思った」


<GREEN>が目を見開く。

抑揚の無い声で<RED>は続けた。


「お前が居ればあの2人も大丈夫だと思った。……残念だ」



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ながいながいながいながいながいながいながいながいながいながいながい


足りない部分は後書きで補足するしかない。もう限界だ。