数匹の蟲水母が漂っている。多分怒っているのだろう。いつものことだ。

何度空を見上げてみても、そこにあるのは幾層にも重なって分厚く頭上を覆う樹々の枝葉のみだった。僅かな風に揺れることも無く、大樹の群れはそこに鎮座している。

蟲水母のみが、淡い緑の光をその身に纏い、音も無くふうわりと宙を泳いでいた。

確かめることは出来ないが、とうに陽は暮れた頃だろう。手元の時計を見やる。

この森に入ってから、5日と14分が経過していた。



時計を見てから、流石におかしいか、とsigiriは首を僅かに傾げた。

この5日間、彼は一睡もすることなく歩き続けている。周囲の樹々が人間の目には変化しないのと同様に、彼も何らその表情や歩みを変化させることなく、ただひたすら、黙々と歩き続けてきた。

彼は人間の姿をしているが、人間よりもやや丈夫に出来ている。不眠不休でも一週間は問題も無く動ける身体だった。

それだけに、感覚が狂ってしまうこともしばしばあった。

何の考えも無しに歩みを進めていると、自分が迷っていることにも気が付かなくなってしまう―――

…彼は5日後になって漸く気付いた訳だが。


久し振りに足を止めて、sigiriは周囲を見渡した。樹々が驚き、一斉にこちらを向いたような錯覚を覚える。

はて、こいつは止まることの出来るものだったのか、とでも言いたげに。sigiriは軽く肩を竦めた。

灯りを根元に置き、立派な根の上に腰を降ろす。老いた樹の肌はひんやりとしていて心地良い。


目の前を、淡い光の筋を描いて蟲水母が泳いでいく。

簡素なブロックを齧りながら、sigiriはそれを眺めていた。焦りや不安は無かった。

彼自身、honorucoccusに入るのはこれが初めてではない。森の中で迷った経験なら何度かあるが、自力で抜け出るか森の民に遭遇するか、大抵はそのどちらかで切り抜けることが出来た。

5日も歩いて、陽射し一本入る場所すら見付からないというのは珍しいな、というのが今のsigiriの感想だった。


少し休もうか。今日はここで眠るのも悪くない。

そう思って目を閉じかけた所で、不意に物音がした。置いた場所が傾いていたのか、灯りが倒れたのだ。

錠が外れ、そこからするりと一匹の蟲水母が逃げ出した。近くに居た仲間の所へ一目散に泳いでいく。

そのまま、森の奥底に消えていった。


真の暗闇の中で、sigiriは座ったままだ。

手探りで頭に巻いた包帯を外すと、倒れた灯りを元に戻し、錠を掛けておいた。でないと、持ち運ぶ際に煩いのだ。

光が無くなってしまおうと、彼は怯えもしなければ、絶望を感じることも無かった。

包帯の下に隠された彼の右目は特別だったからだ。

逆にこの方が寝付き易かろう、とさえ思っていた。




瞼を閉じてから、どのくらい経ったのだろうか。


子供の声がした。随分離れた場所に居るようだが、不思議と耳元でそっと囁いているかのようにも聞こえる。

夢を見ているのだろう、とsigiriは思った。夢の中では、そういうこともよくある。

子供はどうやら2人居るらしい。しきりに話し掛けてくる。


こっちへおいで、

こっちへおいで、と。


君は何?

どこから来たの。

どこへ行きたいの。


あなたのおなまえは?


(名前…俺の、名前は…)



数字と記号の羅列が頭を埋め尽くしていく所で、sigiriは目を覚ました。

周囲は闇に沈んでいる。右目で見てみても、前に見た風景と変わらなかった。

その時―――


微かに、子供の声がした。笑っているような。

慌てて周りの樹々を見渡すが、押し並べて沈黙している。僅かな音でも立てて、夜の眠りを邪魔するな、と文句のひとつでも返って来そうだった。


(気の所為か?)


Lappの金色の妖精のように、森の精にでも化かされたか。

そういった類を信じるつもりは無いが、経験上否定出来ないのが彼のちょっとした悩みでもある。


(いや)


今度ははっきりと聞こえた。心なしか、夢と似た声のような気がする。

あれは夢では無かったのか?夢でないとすれば、ここは森だ。こんな時間に、森の中に居る童子と言えば、森の民を置いて他にあるまい。

耳を澄ますと、座った樹の裏側から声が聞こえてくるらしい。

宿主を失った灯りを手に持ち、sigiriは立ち上がった。



蟲水母は現れなかった。真っ暗闇の中で、sigiriは声のした方向だけを頼りに歩いた。

あれからすぐに、声は聞こえなくなってしまった。やはり何かに化かされたのかもしれないが、とりあえず今は歩くしかなかった。どの道行く当ても無かったのだ、方向が定まっただけでも彼にとっては少し楽しかった。


この辺りに暮らすのは“北央の森の民”と呼ばれる者達だが、確か今は神国の主要民族に加わるか加わらないか、その抗争の真っ只中ではなかったか、と思い出す。

森の民を蛮族扱いする獏族と、反対に彼等に好意的な態度を見せる紫族。双方強大な一族であるが故に、国が真っ二つに割れて揉めている、という噂は聞いていた。

森の民をこの森で見かけないのも、恐らくそれが原因だろう。


その話を耳にした時、sigiriは何を感ずることも無かった。彼には関係の無いことだ。

ただ、先程聞いた声には多少なりとも興味が湧いた。森の民がまだここに残っているのだろうか?




それから、またどの程度歩いたか。

すう、と風が頬を撫でたのが感じられた。足元に落としていた視線を持ち上げると、少し首が痛んだ。

遠くに光るものがある。蟲水母かと思ったが、目を凝らすと、それは柔らかな暖色系の色を帯びていた。


声が聞こえた。少し前に聞いた、あの声だ。

引き寄せられるように、sigiriはその光に向かっていった。



*****


会話文ゼロだと?!馬鹿めが!!(←セルフツッコミ

文章力も無いのにこういうことすると、ラフにも関わらず悲惨な制作時間になります。


いやー、本当に久し振りにラフ書いたな。何ヶ月振りだ?

今ミイラ医者のターンが来てるらしいので、暫くこいつがメインのお話になるかと。


因みに、蟲水母は「きくらげ」って読みますよ。もののけ姫のコダマみたいなもん。森の豊かさを示す指標。

そして即席の灯りにもなる便利な奴。捕まえると仲間が怒ってついてくるので、更に明るくなって便利(イジメか