数回ノックしてみたが、中からの反応は無かった。眠っているのだろうかと、緑青はそっと扉を開けた。
部屋の灯りは点いておらず、カーテンから洩れる月光のみが部屋全体をぼうっと照らし出していた。
(……あ)
予想通り、***は壁際にあった机に突っ伏して眠っていた。
雑然としていた書類の山は、いかにも「邪魔だったからどけた」といった感じで適当に脇に追い遣られていた。ソファに置いてあった包帯を見て初めて、緑青は彼が機械の腕を晒していることに気が付いた。
窓は少し開けられていて、時折カーテンが夜風に揺れる。
***の背中は呼吸に合わせて微かに上下している。緩く組んだ腕に埋められた頭には、いつも巻いている包帯が見当たらない。多分右目も出しているのだろう。
月明かりを受けて仄かに光る、白い髪と銀色の腕。それは、一種の神々しささえ感じられる程の奇妙な異質さを孕んでいるような気がする。
さて、どうするか。緑青は彼が見ていないのを良いことに、遠慮無く眉根を寄せた。
(起こしたらやっぱマズイよな…。でも、こっそり入ったら入ったで殺されそうだし)
useは居ないようだ。流石にこんな夜遅くまでは出て来ないのだろうか。
use、と囁いてみたが、返事は無かった。
(あいつだったら上手いこと繋いでくれると思ったんだけどな)
仕方ない。腹括れ、俺。
「……***?」
呼び掛けた途端、***の肩が跳ね上がり、がばっと頭が持ち上げられた。
反応の大きさに、緑青も思わず身を扉の後ろへ引っ込めた。
二度三度、彼の首が辺りを見回す。やがて緑青の姿を認めると、彼は少し驚いた顔をしてから、不機嫌そうに顔を顰めた。
「………?…お前か、……何の用だ」
ああ、やっぱり怒った。
一体どーすりゃ良かったんですか、俺。
「ああ、あのさ…。これ、落ちてたんだけど」
早い所用件を言わないと睨み殺されそうな気がしたので、緑青は慌てて持っていた写真を取り出した。暗がりで向こうからはよく見えない筈なのだが、***はすぐに写真に目をやると、その左目を大きく見開いた。
「……!」
思わず、という風に腰を浮かせてから一度ソファに置いてある荷物を振り返った後で、***は大股で緑青の所へやって来た。その顔は何とも言い難い表情をしている。
…怒っているようにも、見える。
(え、何!?俺、また何かヤバイことしましたか!??)
硬直した緑青の手から引っ手繰るように写真を取ると、彼はそれをすぐさまポケットに押し込んだ。
「何処に落ちていた?」
「あ、イヤその、…俺の居る部屋の、扉の前辺りに」
しどろもどろに答えると、***は目を閉じて小さく溜息を漏らした。
「…助かった。すまない」
意外にも謝礼の言葉が返って来たので、緑青は拍子抜けした気分になった。
「ど、どーいたしまして。良かったよ、その…大切な写真なんだろ?」
「……ああ」
「ひょっとしてさ、昔の彼女、とか?」
ちょっとした冗談のつもりだった。けれどその瞬間、***は―――…
目の前で勢い良く閉まった扉にも、緑青は反応出来なかった。
…彼はさっき、何と言った?
*****
写真の彼女、奥さんです。
実は既婚者だったのヨ的な彼。