「master、御客人です」


吐き出しかけた息を飲んだ、そのままぴたりと動きを止めた。気が付けば身体が小さく震えていた。

―――それは、僅かな間であったけれども。自分が動揺しているのだと自覚するには十分過ぎる位だった。


悪い予感が的中した。予感があっただけに、余計に頭を抱えたくなった。

そのまま金属の指で皮膚を破って血を流して、その痛みの中で全て消えてしまったらいい―――


そうすることも出来ずに、自分はただ立ち尽くしていた。何かに縛られているみたいに身動きが取れなかった。

ややあって、階上から足音が響いてきた。とん、とん、とん、と滑らかに階段を降りて来る。

そして現れた、その男と目の前の男(恐らく、もう自分の知る男ではあるまいが)の立ち姿を見比べて、また自分は絶望した。


現れた男は僅かに微笑んで、親しげに声を掛けてきた。「やあ」


「お前だと思ったよ。…久し振りだな、***」

「…これは、どういうことだ、三月?」


拳を握り締めて、声が震えるのを必死に抑えて漸くそれだけ言った。

相手の眼鏡の奥に見えるブルーの双眸が、うっすらと憂いの色を帯びたのが分かった。

そんな細かい変化も見逃さない、自分と彼の過ごした年月の長さが、今は何故かやけに癇に障った。

相手もこちらの感情には気付いている筈だ。だのに、どうしてその笑みを引っ込めない?


「どういうことって?」

「ふざけるな!!」


大股で勢い良く男の所まで詰め寄ると、怒りに任せてその肩を強く揺さぶった。


「こいつは、ここに居るこのhumanoidは何者だ?!誰が造った、葉月は何処だ!あいつを何処へやった!!」


大声で叫んでいる自分が、妙に空しかった。

怒りをぶつけた筈のその言葉、ひとつひとつが音も無く床に落ちて粉々に砕けていく気がした。


分かりきっていることを、何故わざわざ問うのか。

そうすれば、この想いが癒えるとでも思ったのか。

それとも、否定の言葉を欲するが故、淡い期待を抱いていた所為だったのか。




そんなもの、もう何処にも(勿論、彼の心の中にさえ)存在しないのに?




「…、………は、づきを…どこへ、やって、しまったんだ、……」


声が震えるのを止めることは出来なかった。



ああ、やはり。

自分が、この役をすべきでは無かったのだ。

酷く打ちのめされたような気分だった。所詮、人間の父親になど―――自分には、なれないのだ。



「……ごめんなさい、***」



*          *          *



『シケた面しよって。…ちゃんと寝とんのか?昨日は?』


出て来るなり、useは思い切り顔を顰めた。

***が何も答えずに居ると、彼はじれったそうに身動ぎしたらしかった。


『コラ、聞いとんのか』

「…その気になれば一週間だって眠らずに活動出来るんだ。大した問題じゃない」

『精神的な問題があれば、話は別やろが。お前はロボットとちゃうんやぞ』

「そんなことはどうだっていいんだ。余計に突っ込んで来るな」

『眠らんでも、休息は必要や。休めへんのなら睡眠薬でも飲め。手持ちはあるんか?』

「ある。…use、頼むから一人にしてくれないか。考えたいことがあるんだ」

『それを止せ言うとんねん。いいから休め。後でいくらでも考える時間はあるやろが』


そう言うと、***は恨めしそうな目を向けた。“use”にではない、カメラ(つまり、彼の“目”だ)に向かって。

それがuseにとって最も嫌悪する行為であるということを、彼は知っている筈だった。

(何故自分はこんなことをしているのだろう?)


『…何や』

「……、何でもない。分かった、薬を飲んで大人しく寝る」


喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。何を感情的になっているんだ、と自分に言い聞かせる。

彼に当たった所で何が解決する訳でもない。いたずらに関係を悪くするだけだ。


『そんならええ。…あんまし、心配させんなや』


それは彼に、ということだろうか。それとも、vermillionにか?

何にせよ、彼は本当に自分のことを心配してくれている。それを思うと、申し訳無い気持ちで一杯になった。



*          *          *


…うちも書き直そうかな(ぼそ)