喉を通り過ぎて胸の辺りまで行くと、ぽかぽかとした温かさが全身に広がっていくような気がした。
もう一口飲んで、ほっと一息吐く。美味しい。
美味いと有名なNashikの葉だろうか。飲んだことは無いけれど。
「美味いね」
「ありがとうございます」
vermillion、と名乗った人形(らしい)は心底嬉しそうに、ふわりとその顔に笑みを広げた。
親に褒められた子供の様な素朴な笑顔に、何故かどぎまぎしてしまう。悟られない様に、慌ててカップに口を付け、琥珀色の液体を啜った。
うん、やっぱり美味い。ほんのちょっぴり甘さがある。好きな味だ。
「…これ、自分で淹れたの?」
「はい」
機械なら、寸分の狂いも無く茶葉とか湯の量とか計って淹れるんだろうか。温度とかも気にするのかな?
彼が紅茶を淹れている姿をぼんやり想像していると、彼の視線に気が付いた。反射か、警戒心が頭を過ぎる。
しかし、ちらりと窺った彼の表情は柔らかい。…イヤ、外見だけで判断するのは単純にも程がある。
そこで初めて、今手にしているカップの危険性に気が付いた。
「あ!!!!」
思わず、といった様子で大口を開け、恐る恐るカップの中身に視線を移す。
とはいえ、まじまじと見た所でそこに何が入っているかなど、分かる筈も無く。
頭の中に、口から赤い液体を吐き出す不吉な映像がリアルに映し出された。
…毒、入ってないよな。
内心、まさかと乾いた笑いをしつつ、一方で脳内のスクリーンに映るのは悲惨なビジョン。
イヤ待てよ、それなら毒を入れるチャンスはこれまでに幾らでもあった訳で、そしてその数だけその可能性を見事にすっきりすっかりすっぽり忘れていた訳で、その馬鹿さ加減に自分でも呆れるというか、そこまで行ったら寧ろここであっさり死んどいた方が良いんじゃないか。ああ、俺は何て馬鹿なんだ。
でも、機械が毒を入れるなんつー陰湿なマネするなんて、聞いたことねーぞ。うん、そうだ。
ポジティブに考えとこう。今の所、身体に何の変調も無いし。
「ど、どうかされました?」
「何でもない」
何かあったと考える方が普通だが、力の限り緑青はそれを否定しておいた。
…そう考えると本当に変な奴、と彼はベッド脇の椅子に腰掛けた人形(?)の様子を盗み見る。
俺を殺せる機会は幾らでもあったのに。否、今でもやろうと思えば出来る筈だ。
だけど、vermillionには俺を殺すような素振りは見られない。飽く迄も、今の所は、だが。
何故なんだろう?俺が憎くないのか?
「緑青さん、と仰るんでしたよね」
「え?あ、ああ」
身体の奥に沈めていた思考を急に浮上させられて、緑青はまた少し慌てた。何も考えずにvermillionの方を向いたので目と目がばっちり合ってしまい、そこでもまた心臓が揺さぶられる。
落ち着け、自分。緑青は息を整え、一度ゆっくりと瞬きした。
「何?」
「緑青さんは、どちらからいらしたんですか?」
「へ?どちらからって……出身のこと?」
「はい。もしよろしければ、お話など聞かせて頂けないでしょうか」
「おはなし…?」
相手の意図が読み取れず、緑青は眉を寄せて小首を傾げた。
しかしそんな表情はお構い無しに、vermillionはどこか嬉しそうだ。明るい橙の瞳の輝きがそれを語っている。大方、話す内容を考えるのに四苦八苦していると判断したのだろう。
緑青は再び頭をひねる。元々頭脳戦は得手と言うより不得手、と言うか自分には向いていないと考えている。あらゆる予測をした所で、彼の(なけなしの)それが役に立つのは(辛うじて)戦場でのみ。女子との駆け引きも苦手、普段の生活の中では仲間はおろか、他隊の上司にも笑われる程。自分の脳味噌は人一倍皺が少ないのではと思ってしまう。
彼は何が欲しいのだろう。義勇軍の情報か?しかし、彼は軍の存在すら知らない様子だった。ひょっとして、それすらも演技だったということか?確かに、色々と怪しい所はある。
となれば、下手なことを話す訳にはいかない。
話のネタとして無難そうな故郷のことから聞き出し、そこを端緒として軍のことを…
…うん、大いにありそうだ。特に俺は、故郷と軍に入ったきっかけとの繋がりが深い。
しかしここであからさまに断るのも、相手に不信感を与えるだろう。上手く立ち回らなければ。
おお、何だか今回は随分冴えてるんじゃないかと自分で満足しつつ、とりあえず故郷の話だけならば繋がりを隠しておけば済むだろうか、と緑青は判断した。
おまけに、今となってはとうに捨てた故郷だ。
「じゃあ、そうだな。“森の民”って、知ってる?」
「いいえ」
そこからですか。緑青は何だか、思いっ切り拍子抜けした。
「そうか…うーん、まぁ、そのまんま森に暮らしてる人間なんだけど。一応、俺はそこの出身ね。神国Shisen-beiraは知ってるよな?」
「はい。大陸を分割する三大国の一つですね」
「そうそう。で、俺の故郷は、その神国の南にあるehidora大樹林って所。世界最大の山脈・peaceoakleの周囲300km以上に渡って広がるどデカイ森だ。俺の居た村はその中の東の端っこにあったから、“東の風の民”って呼ばれてた」
忘れたことは無い、村のことを。
自分が東の民であることを誇りに思わなかった日は無い。
村が、今や最も遠い存在となってしまったことは悲しくもあり、一方で嬉しくもある。
もう、昔の様にただ嘆くだけの子供じゃない。村から離れた分だけ、自分は成長した。そう思える。
「緑青さんも、森の中で暮らしていらっしゃったんですね?私と同じように」
「え、あぁ……まぁ、そうなる、かな」
人形などと同じにされたくはない、と反発を抱いた緑青だったが、ここはぐっと抑えておいた。
「peaceoakleは俺達の母なる霊峰。森の民は、森の祝福と共にこの世に生を受ける。そりゃ暮らしは質素だけど、森の恩恵にあやかって静かに生きる、温和な“人間”達だよ」
最後の部分を若干強調させて言ったが、さして効果は無かったらしい。vermillionは、まるで遊び仲間を見つけた砂場の子供のように明るい表情をしている。
…まぁ、いいけど。
燃え残った真っ黒な木片の様な腑に落ちない気分を胸に残しつつ、気が付けば、緑青は手の中にあるカップの紅茶がすっかり冷めてしまう頃まで、飽かず森の話をvermillionに語り聞かせていた。
* * *
どうでもいい間のsceneその1(?)。
数ヶ月前に下書き保存しておいて、ずっと放置してたものを発掘。