絶叫を聞いて一番に駆けつけてきたのは、例の1階の部屋に居たらしいvermillionだった。
ノックと「失礼します」の一言とドアを開けるのと部屋に入って来たのがほぼ同時だったので、緑青からすればいきなり扉が開いてまた驚かされた訳であるが。
「どうされました!?」
「ぁあ、バ、バ・ババ、バ・バババvermi、vermilli…」
緑青が目を真ん丸にして、突然現れたその男を指差しながら金魚みたいに口をぱくぱくさせていると、廊下の方からどたどたどた、と荒々しく階段を降りてくる音がして、vermillionの後ろにやたら大きな人影が立った。
「どうした、何があった!?」
『おう、***。帰って来てたんやな』
緑青が返事をするよりも先に、その男が片手を上げて応えた。方向はそのままだったが。
益々唖然とするのは間に挟まれた緑青だ(一瞬、もの凄い速度で首が90度旋回した)。開いた口が塞がらないまま、男の顔を見、そして壊れた秒針のような動きで***の顔を見た。
逆に***はそんな緑青の顔を見、そして(壁に向かって)満面の笑顔を見せている男の顔を見る。
それで理解したらしい***は、呆れ果てた様子で溜息を吐いた。
「…お前の仕業か、use」
useと呼ばれたその男は、けらけらと歯を見せて笑った。…相変わらず妙な方向を向きながら。
『ほな、初めましてやなぁ、緑青。敬語とか使わんでええから』
「あ、ああ…よ、よろしく、use」
正確には「初めまして」ではないが、緑青の都合に合わせてくれているらしい。そこだけは緑青もホッとして胸を撫で下ろした。
(アホやなぁ、何でそない驚いたん?)
(あんな風にいきなり出て来られたら誰だって驚くだろ!)
(朝だってそうやったやないか)
「…何だ、お前達コソコソと何話してるんだ?」
***の鋭い言葉に、緑青は耳打ちしてきたuseと仲良く揃って硬直した。緑青は「別に」と曖昧な笑みを浮かべ、useはまたあさっての方向を向いて『何でもあらへんよ』とぎこちなく笑う。
…下手クソ、と緑青は心の中で悪態を吐いた。大体、さっきからどっち向いてんだお前。
***は「怪しい」とでも言わんばかりの訝しげな視線をこちらに向けていたが、一旦目を閉じて持っていたコーヒーカップに口を寄せた。
「…use、位置ズレてるぞ。ポイント0502へ修正……あぁ、カメラ無いんだっけな」
『おろ?変やな。この場所でええ筈なんやけど』
「vermillionがベッドを移動させたんだ」
『あちゃー、やられたわ。カメラが無いから変やなァとは思ってたんやけど。カメラは何処やったん?』
「…俺が壊した」
あ、多分あの時だ。緑青は昨晩の出来事を思い出した。
2人の会話が全く理解出来ない方向へと進んでしまっているので、さっきから食べかけだった料理を少しずつ口に運んでいる。とりあえず自分達への疑惑から話は逸れたようだ。緑青は悟られぬよう、緊張を解いた。
『壊した?また何で??』
「…訊くな。いいから、俺の右目に入れ」
『ぅヒョォ!どういう風の吹き回しや、***?ホンマにええの?』
「他の所に入ったら即追い出すからな」
『りょーかい』
直後、2人が沈黙した。あまり関わらない方が無難だと判断して(この家は首を突っ込むとロクなことがない)顔を背けていた緑青も、何かと様子を窺ってみる。
***が右目の包帯を解いた。useは完全に停止したような状態でその場に立ち尽していたが、ややあってから***の方を振り返り『サンキュな』と一言礼を言って、今度はこちらを向いた。
『これでええやろ。改めてよろしゅうな、緑青』
緑青の視線をしっかりと捉えてすぐ脇まで近付いてから、彼は右手を差し出した。握手を求めているらしい。
何処か妙な違和感を感じつつ、しかし習慣からか緑青も自然と右手を出す。
幸か不幸か、***が小さな溜息を吐いたことには気が付いていない。
丁度手のひらが重なり合う辺りで、緑青は軽く指を曲げた。
ん?
もう一度、指を軽く曲げてみる。続けて2・3度、くいくいと曲げてみた。
……感触が無い。
指どころか、手のひらの肉に触れているという感触すら無い。その代わりに、当然触れるとばかり思っていた所為か、とてつもなく気持ち悪い感覚が指先から伝わってきた。
そこに確かに見えているのに、触れない。
何度か瞬きしてから、今度は思い切って掴もうとした。握り拳ができた。
「……」
『……』
「………」
これは、これは、これはこれはこれはもしかしてもしかしてもしかするともしかしなくても。
口元を歪めて上目遣いにそろそろとuseを見上げると―――哀れな子羊を追い詰め、至福の時を感ずる殺人鬼の如き薄ら笑いがそこにあった。
……絶叫。
* * *
「どうされました!?」
…あの後、叫び声を聞いたvermillionが再び駆けつけ(その前に部屋中useのバカ笑いが木霊していたが)、***が事情を説明して再び部屋へ戻し、useを黙らせ、とりあえず半泣き状態になっている緑青を落ち着かせる為にベッド脇についてやり、ひょっとして吃驚し過ぎて傷口が開いたんやないかというuseの発言により傷口の具合を確かめて今に至る。
「…大丈夫だとは思うが。痛みはあるか?」
「………ない」
『あっはっはっはっはっは!ホンマに情けない奴っちゃなー。大の男が、幽霊なんぞ信じとるんか?』
「use。…好い加減に、そのバカ笑いを止めろ。五月蝿いぞ」
***が些か力を込めてゆっくりと彼の名を呼ぶと、useはまた可笑しそうに『はいはい』と笑った。
そんな彼を恨めしそうに睨み付ける緑青。それが唯一の抵抗であるかのように、口をへの字に曲げて仏頂面を作っている。さっきから若干壁際に身を寄せているのも「近寄るな」という意思の表れなのだろう。
そういう幼稚な行動が、逆に悪戯好きなuseの好奇心を煽っていることに気が付かないのだろうか。
『なァ、***。森の民って皆こんななんか?』
「…こいつは特別だ。森の民であるにしろないにしろ、未だ嘗てこの歳でこれ程無知な奴を俺は知らない」
「……!」
無言の気迫を感じてそちらを見やると、色の違う潤んだ双眸が何かを必死に訴えていた。
その瞳を一瞥して、***が一言。
「言っておくが、ホログラムくらい幼稚園児でも知ってるぞ」
「……!!」
情を求める相手を間違うたな、と笑いを堪えるuse。一方で、緑青はがっくりと肩を落として項垂れた。
それを見てまた何か言いかけたuseを目で制して、***はベッド脇の小テーブルによけておいた皿を手に取り、緑青の方へと差し出した。
「…ほら、これくらいの量はちゃんと食べておけ。温め直すか?」
「………いい」
緑青は疲れ切った様子で皿を受け取ると、ゆっくりとスプーンを口へ運び出した。
漸く落ち着いたか、と***も飲みかけのコーヒーカップを手に取って息をつく。useは物足りなさそうだ。
「…………俺だって」
「ん?」
ややあってからぽつりと呟いた緑青の言葉に、2人が耳を欹てた。
「俺だって知ってるよ、ホログラムぐらい。…でも、俺が見たのはuseみたくヒトの形じゃなかったし、こんな風に動いたり喋ったりしなかったし」
『それはそやろなァ。俺のこの“身体”は特別製や。自信作やで?』
言葉の通り、自信たっぷりにuseは言った。そう言われても訳がわからない緑青は無言のままだ。どうリアクションを返せばいいのか、それすらわからない。
そんなズレまくりの2人の様子を見かねたらしい***が、コーヒーを一口飲んでから口を開いた。
「…お前が驚くのも無理はない。useの持つスキルは常軌を逸してる。お前のように、実体だと間違える人間は少なくない。あまりにリアル過ぎてな」
「……ホログラム、なのか?useは。そこに居るのは単なる映像なのか?」
『そや。俺の映像をこの部屋に飛ばしとるだけ。実体はちゃんと別の場所にあるんよ』
「さっき、妙な方向を向いていただろう?映像を特定の座標に飛ばすのはいいが、そこで動き回るとなると飛ばした“自身の映像”を見る為の目が必要になる。そうでないと、さっきみたいなおかしな方向を向いてる状態になるんだ。useは天才的なハッカーだ。回線が繋がってさえいれば何処にでも侵入できる。だから、いつもはこの部屋にあるカメラに侵入してここに映る“自分”を見ていたんだが…」
『カメラは壊れてしもてるし、それでもこれまでに飛ばしたログからベッド脇の座標はわかっとったんやけど、それもvermillionが移動させてしもうたみたいやし』
…何か、少し前にそんな会話をしていたような気もする。
話の大半は理解に程遠かったが、緑青は曖昧に頷いて先を促した。
「だから、さっきは俺の右目に入れたんだ。今のuseは、俺の目から“自身の映像”を見ている。…何も映像とわかっていれば、こんなことをする必要は無いんだがな」
『そこは俺の、ハッカーとしての意地や』
動かへん映像体なんぞつまらんもん、と言ってにかっと子供っぽく笑ったuseに、「ここまで拘るのもどうかと思うけどな」と***は小さく苦笑を返した。
(…そもそも、何でそんなことする必要があるんだ?)
緑青の疑問は、今暫く尽きそうにない。
* * *
映像体をそこに映す装置については何も考えてない。魔法のようなものかな?てきとーー
カメラは***がuseにせがまれて仕方なくつけたもの。家中についている。
useのミス、忘れそうだからここに書いとこう。