『死体は必ず返せ。あいつは、俺だけの犬だ』
―――最期くらい、何か一言あってもええんやないか。
そう言っていたuseの御節介が、どうやら功を奏したらしい。
彼はいつも素直じゃない。そんな彼からあの言葉を引き出せるのは、恐らくこの少年しか居ないだろう。
目の前の少年の顔を見る。
名はwinker。歳は12。経緯はよく知らされていないが、三研所属。
今から数分前に、死亡を確認した。
彼の心臓は二度と拍動せず、呼吸も停止し、瞳孔の収縮も見られない。基準に則った、完全な死だ。
これから、段々と体温が失われていくことだろう。
少年の手に触れてみる。無機質な自分の手は直接温度を感じることは出来ないが、触れた部分を頬に当ててみると、金属が微かな温もりを皮膚に伝えてきた。
羨ましいな、と心の中で呟く。
自分は、誰かの手を握っても、誰かに握って貰っても、その温度を伝えることも感じることも出来ないから。
useは何処かへ行ったまま、一向に戻って来る気配が無かった。彼に気配もクソも無いが、きっと彼は戻って来ないだろう。
案外、彼はこういった湿っぽい空気に弱いのだ。繊細な所があるらしい。
尤も、彼らにとって「死」というのはよく理解出来ないことなのかもしれないが。
他の人間には近付かせないように、marioに人払いを頼んでおいた。
何も最期まで、この少年を悲しませるようなことはしたくなかった。
彼の世界には、飼い主である我儘尊大なあの男の存在があればそれだけで十分なのだから。
『…winker。聞こえるか』
声を聴いた時の、あの彼の嬉しそうな顔。
もう殆ど閉じかけていた瞼から覗く群青の瞳に、俄かに光が灯った様な。そんな気さえした。
その時、思い知ったものだ。この少年の内に占める、あの男の存在の大きさを。
短い会話。全く以て、彼らしい。
聞こえていることだけを自分から伝えたら、向こうは不機嫌そうに『手前はどっか行ってろ』と返してきた。
『 』
彼が次に口にしたであろう言葉を聞いた途端、少年の目尻から涙が溢れた。
声を耳にしただけでも潤んでいた瞳から、堰を切った様に大粒の涙が零れ出す。
最早声も失くしていた、彼の口の動きだけが返事を返した。
それが、彼の最期の「言葉」になった。
* * *
(…ほんの一瞬でも、あの人が僕と同じ時間を、僕の隣で、僕の歩幅に合わせて歩いてくれた。
それだけで、最高に嬉しかったんだ。
他には、何一つ要らないから。
だから、どうか神様。
最後まで、この人の為に死なせて下さいな)
* * *
「…死んだのか?」
「ああ」
いつの間にか、傍に近寄って来ていたmarioが確かめる様に訊いてきた。彼(実際は彼女、であるらしいが)は囚人という身ながらこの少年とは所属先を同じくする、言わば身内の様な存在である。今回の作戦では同じ場所へ派遣され、一緒に居る所も何度か見ていた。少年も、彼(彼女?)にはよく懐いていたらしい。
思う所もあるだろうと、自分は外そうと立ち上がったら、「いい」と手を挙げて遮られた。
「…まだ仕事がある。傍に居てやって欲しい。その子は、淋しがり屋だった」
「…そうか。わかった」
「助かる。…………に、深く感謝と祈りを。そして、御詫びを」
最後の方しか聞こえなかったが、彼(彼女?)の呟いた一言に、おや、と思った。聞き憶えのある文句だ。
「遺体はどうするつもりだ?」
思考と全く別の内容に関する質問がぶつけられたので一瞬戸惑ったが、彼等をここへ集めた状況が状況であっただけに、それも当然の疑問かとすぐに納得した。
「useの奴がrigaに言われたらしい。死体は必ず三研に返せ、と。そうなるだろうな」
「…安心した。その方が、この子も喜ぶ」
そう言うと、marioはそのまま、くるりと背を向けて行ってしまった。
ふう、と溜息を一つ吐いてその場に腰を下ろし、言われた通りに少年の傍に居ることにする。
「感謝と祈りと…そして、御詫びを、か」
いつだったか、何処かで聞いたことのある言葉だった。はてな、と記憶の箱を漁る。
そしてその言葉を口にしていた人物を思い出した途端、彼は愕然とする。
その堪え切れない感情を抑え込む為に、彼は自分で自分の身体を抱き締め、その左目を強く閉じた。
「死体は必ず返せ。…あいつは、俺だけの犬だ」
『…責任あるのはこっちやし、それは構へんけど。お前の所へ返したって、ロクな扱いせえへんのやないか?』
「お前がそれを心配する必要は無いし、応える義務も無い」
『そりゃ抵抗あるで。あの子やて、純やないにしろれっきとした人間や』
「人間である前に、あいつは俺の飼い犬だ。その上約束を破った手前等に文句は言わせねェ」
ペットなら、墓に埋めるまで責任持つのが飼い主の務めだろう?
―――彼らの別れが近付いていた。
* * *
誰でも鬱になれる死にネタ。まあ彼の最期はこんな感じかなと。
こういうのがツンデレなのかしら。