旧態依然とした儀式を続けるだけの伝統仏教 | ノートさんのブログ

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高橋卓志(2009)『寺よ、変われ』(岩波新書)

 「大乗仏教は言う『おのれ未だ度(わた)らざる前に一切衆生を度(わた)す』と。大乗仏教は、まさに人々の『苦』と向き合い、それを救済する慈悲行を旨とする」(p6

 「しかし、さまざまな『苦』を抱えるこんにちの日本のどこを見回しても、『苦』に対応する伝統仏教の姿はない。影さえ見えない。旧態依然とした儀式を続けるだけの伝統仏教からは、『苦』へのかかわりは感じられない」(p89



 ほとんどの寺が旧態依然とした儀式を続けている。しかし、そのことが時代の流れから取り残されるとは全く思っていない。最近の調査では、死んだ時、戒名などいらない、と言う人間が増えてきている。国民の半数以上が本名でいい、と考えている。そう気づいている国民もなぜなのか、勉強もしていないし知識も欠如しているため明確な理由が言えない。戒名の意義など学校でも習わなかったし、お寺さんも自分の都合のいいように解釈しているので、ほとんどの人が曖昧模糊としている。まさにフランスの哲学者ベルクソンの指摘した「閉じた宗教」であり、閉じた宗教は社会の役には立たないのである。

 高橋の著書は、まさに日本の伝統宗教のあり方に一石を投じているといえよう。あの阪神淡路大震災の時、被災者を救うどころか、寺の門を堅く閉じてしまった寺院もあったという。嘆かわしい。