もうどうにもこうにも。
痛くてならんわけですよ、子宮内膜症。
元々、その気配はあったんですが。かれこれ14、15年前。
旦那さんと出会い、この人となら子供出来ても良かろうということで結婚の意思も決め、念のために行った婦人科で子宮内膜症の数値がちょっと高めだから早めに赤ちゃんできた方がいいよと。
数値高いってなんですのん?と思いつつ、人見知りだから突っ込んで聞くことも出来ずスゴスゴと帰ってきて、まぁすぐに出来るだろうと高を括ってたら意外とこれが出来なくて。
20代だし他に病気もなかったらしいしおかしくなーい?おかしくなくなくなーい?って若干不安になった頃にありがたくも授かりまして。
意気揚々と産婦人科に診察に行き4週目で胎嚢が見えたときは嬉しかったなー。検査したときはまさかのまだ3週目だったんですけど。アレですね、授かってたら5週目とか言わずにわかるもんです。検査薬有能っす。
しかし、
そこからが地獄だった。
きっちり5週目から激しい悪阻。
そしてなぜかそれに伴い出血。即入院。
切迫流産と診断されて絶対安静の日々。
ちょっと治ったと思って家に帰ってちょっと家事をするだけでまた出血。即入院。
それが戌の日まで続いて。
戌の日に先生が『よくここまで保ったね。お母さんは弱いけど赤ちゃんが強いんだ。』と喜んで良いんだか悪いんだかわからない檄をもらうものの、それからも予断を許さず張り止めの薬を飲み続け診断は切迫流産から切迫早産に。
ほとんどを病院のベッドと家のベッドで過ごす妊娠生活。マタニティヨガとか出来る妊婦さんとは出来が違うんだ。こんな弱々しいママなのに赤ちゃんは独自に逆子のままスクスク育ってくれてどうにかこうにか2000グラムを超えて。
あー、これでいつ産まれても大丈夫だ。なんてありがたいことだ。と思ったあの気持ちは忘れないよね。逆子だけどね。切るくらい気にもしないよね。赤ちゃんにさえ負担なく産まれるなら帝王切開万歳よね。ウエルカム帝王切開!どんとこい帝王切開!
てな具合で移動距離、車で2時間でさえビビりながら里帰り出産をし無事に帝王切開にて女の子を出産。ちょっと小さいけど健康であることにこんなに感謝するなんて、ほんとに宝物を授かったなと実感したよね。
そんな話は追い追いするとして。
そんな感動もつかの間。
帝王切開の傷は後から痛い。
ハラキリなのに看護婦さんは動けという。血栓出来るぞ、さぁ動け。
マジでナチの司令官かと思ったよね。
その上。
さぁ、赤ちゃんが待ってる。乳をやれとな。
うそーん。
うそ、うそーん。
私昨日ハラキリましてーん。
がっさりいきましてーん。無理ですやーん。歩いて赤ちゃんのとことか無理ですやーん。
とか、ぐるんぐるん頭を走馬灯ばりに駆け巡るんだけど人見知りだから一言も発せず。。
廊下の手すりに寄りかかりながら新生児室へ。
こんなに長い道のり今までにあっただろうか?いやない。←反語
とにかく遠い。グリーンマイルかしら?くらい遠い。足取り重い。
途中で倒れたよね。素
痛みで気が遠くなるってあるんだなと。
看護婦さんたちは普通分娩はもっと痛いのよっ!ってプンスカ怒ってたけどそう言われましても。。
まぁでも血圧も下がり、その後は激しく発熱して結構ヤバかったらしいのですがあまり覚えてません。
旦那さんは覚悟したそうな。
まぁ、なんとか旦那さんをシングルファーザーにせずに済み、わちゃわちゃありながらも1カ月が過ぎた頃普通に生理が。
は?
授乳中は生理来ないんじゃないんかい?
そんなセオリーはことごとく無視する私の産前産後の身体。
その後も普通に何処吹く風の如く生理はやってきて。
しかしその後、避妊をしたこともないのに一度も妊娠することなく10年ほどが過ぎたある冬の日。
それは突然やってきた。
長くなったので続きます。