僕は最近「ヒトカラ」というものを覚えた。
ヒトカラ、というのは略語であって、正式名称を「ひとりカラオケ」という。
要するに、一人でカラオケスタジオに入店し、一人で次々に歌を消化していく行為だ。
僕がまだこの行為をしらなかったとき、カラオケというのは、大勢で小さい部屋にすし詰め状態になるのが常識だと思っていた。
  ヒトカラをモトキから習った時、それはとても新鮮なことに思えた。
「ストレスなんて逃げちゃうよ。ヒトカラって。」
彼は、とてもきもちの良い笑顔で僕をその気にさせるのが得意だ。
今日学校の帰りに行ってみるよ。無意識にそう口にしていた。僕の目は輝いていたに違いない。
その日から、僕のヒトカラライフは確立した。

 欠伸をひとつ。
黒板に整然とならんだ数式がユラユラと霞んだ。数学の吉田先生は、面白みの無い授業を行う人だった。淡々と教科書を一人でこなしている。つまり、前にでて問題を解けと言われる心配も無い。
だからクラスの大半の人間は、黒板コピーマシーンとなって、ひたすらノートを数式で埋めているだけだった。
制服の袖で涙をぬぐい目を開けると、まだぼやける視界の向こうに、慌しく動く物をみた。腕を組んで、こちらを見るモトキのさわやかな顔がそこにあった。綺麗にととのえた眉、筋の通った鼻、薄い唇に微笑みをのせている。彼は体を90度ひねって、僕に話しかけようとするところだった。先日の席変えで、僕は彼のすぐ後ろの席を獲得していた。加えて窓際であった。
「今日一緒にヒトカラいかないか?」
「ヒトカラってのは、一人で行くからヒトカラなんじゃないのか。」
 僕はすっかりヒトカラ熟練者気取りであったので、少しえらそうに言った。
「二人で行って、違う部屋を借りればいいよ。」
 僕が納得してコクコクと頷くのを見ると、彼は満足そうな顔をして、数秒後にはコピーマシーンに戻っていた。
 モトキはいつも僕の一歩先を歩く友人だと思う。小学生の時から、高校生の現在に至るまで、それは変わっていない。しかし、身長に関しては中学三年生の頃に僕が一センチだけリードすることになった。当時、モトキは牛乳を飲まないからだ、と僕が勝ち誇っていると、
牛乳は骨を太くするだけだ。身長とは関係ない。むしろ睡眠時間が大きく関係している。キミは受験勉強もそこそこにすぐ寝てしまってるだろうから。
という意味の事を言われた。それにも納得してしまった覚えがあった。
 時計を確認すると、本日最後の授業が残すところ後十分という事がわかった。
空を見上げた。黒みを帯びた雲がちらほら見える。家に帰るころまでは持ちこたえて欲しい。今日は傘が無い。
のびをすると、さっきよりも大きな欠伸が喉から鼻を抜けた。
 授業が終わると、机にかけていたバックを手に席を立った。

 カラオケボックスは相変わらず混んでいた。二人で二部屋を使用できるほど余裕があるのか疑問に思うほどだ。
僕たちの通っている高校から、半径八キロメートル以内でカラオケを楽しむには、ここしか行くあてがない。この付近が田舎であるという事を否定する人は一人もいない。しかし、田舎だと言いたい場合に、その単語の一番最初に‘ド‘という一文字を付け加える人はたくさんいた。
 受付所には、二十台前半だろうと推測できる女性の店員が一人。こちらに背を向けて、なにやら書類に目を通している。
 モトキが会員証を手にそこに近づいていった。僕もそれにならってモトキの後ろにならぶ。
 いいですか。とモトキが声をかけた。
「本日は何時間のご利用になされますか。」
 事務的な声が聞こえた。このカラオケ店は部屋の使用時間によって料金が決まる。他の店は行ったことが無いのでわからない。
三時間で。というモトキの返答が聞こえたあと、ほどなくして彼はマイクとリモコンの入ったカゴを片手に、受付をあとにした。こちらに手を振りつつ部屋に向かう彼をみながら、僕は受付に迫った。会員証を差し出す。本日は何時間のご利用になされますか。
「三時間でおねがいします。」
 言い終えてから、あることを思いだした。いえ、二時間でお願いします。そう言って前言を撤回する。

 今朝の事だった。
僕がニュース番組を適当に目で流していると、母が帰ってきた。母は介護福祉関係の仕事に就いており、夜勤のあった日の帰宅時間が、僕の朝食を摂っている時間とだいたい重なった。父親は、僕が物心ついた時にはすでに家にいなかった。理由はしらない。
「ただいま。疲れちゃった。私このまま寝るから、学校遅刻しないようにしなさいよ。」
 彼女は靴下を脱ぐと、寝室へと向かっていった。
ニュース番組は、占いを放送する所だった。画面左上に目をやると、7:00と表示されていた。そのすぐ隣に、傘を模したマークがあり、すぐ下に午後:十パーセントという文字が見える。今日は降らないな、とその時思った。
 占いは星座占いの部類にはいるもので、その日、最も運勢の良い一位から、その反対である十二位までを順番に紹介していくという内容だった。僕自身がそうである、おうし座は最下位だった。特に落胆したということもなかった。もとより、その占いという文化に対して、僕は否定的な態度をとっていた。あたったことがないからだ。
「そんなあなたもこれがあれば大丈夫!ラッキーアイテムは、コルク!ちょっぴり残念な出来事も、ラッキーアイテムが助けてくれるでしょう!」
 アナウンサーがとても爽やかにそう言っていた。ラッキーアイテムというのは突飛な物のことが多い。それが占いへの不信感を煽る一つの原因だと思う。
 コルクをもってして解決する‘ちょっぴり残念な出来事‘とは何だろうか。冗談半分に考えながらお茶をコップに注ぐと、寝たはずの母がリピングに顔を出した。
「忘れてたわ。」
 学校の帰りにお使いを頼まれた。六時半にお店は閉まるからね。と言い残し、母は寝室へと戻っていった。それがカラオケの制限時間を縮める原因となった。
 アナウンサーは先ほどと一変して、神妙な面持ちでニュースを伝えていた。三日前県内で起こった連続殺人事件に関するものだ。被害者の遺体の眼球が、なにか細長いものでえぐられている、という猟奇的な事件である。それがなお、マスコミの目を引いていた。犯人はまだ捕まっていない。最近、このような異常犯罪が多い気がする。一ヶ月前にも、バラバラ事件が報道されていた。それは遠いところで起きた事だったため、今一リアルに欠けた部分があった。しかし、今回起きた連続殺人事件も、県内での出来事であるにもかかわらず、同様にリアルに欠けている気がする。あまりにも《殺人》という事が、日常とかけ離れている事柄だからだろうか。
耳に入る情報は昨日と変わらなかったので、食器を持つと台所へ向かった。

 カラオケボックスの部屋に入ると、まず室内の照明をできるだけ落とす。僕はいつもそうする。
大人数でカラオケに来た時、歌っているときに顔を見られるのが嫌で大抵そうしていた。それが習慣となり、ひとカラの時でもそれが普通となっていた。
 何気なく部屋を見回す。こじんまりとした空間で、両脇には4人ほどが座れるようなソファーが一つずつ。中央にはそのソファー相応のテーブルがあり、奥には液晶画面が見て取れる。曲の歌詞を映し出すためのものだ。
最後にこのカラオケ店にやって来たのは、ちょうど一週間前であったが、その時にはなかった大きなロッカーが二つある。
上着を中に収納しておくものだろう。ハンガーの絵柄が扉にプリントされている。羽織り物を着ていなかったので、そこを開ける必要はなかった。
 片方のロッカーは、ソファーによって扉を開けるための範囲を失っていた。ソファーは人の力で簡単に動くものであったので、おそらく何かの拍子にクローゼットの扉の前によりすぎたのだろうと思った。
肩からかけていたバックをソファーの上におろした。
 そこで靴紐が解けているのに気づく。結び直すためにしゃがむと、テーブルの下に何か白い物を見た。暗くてよく見えない。手に取ってみると、どこにでもありそうな傘だった。
靴紐を結び直してからそれをとると、ソファーに立てかけた。


 三十分ほど歌ったところで、部屋を出る。
喉が渇いたので飲み物を取りにいくことにした。ドリンクバーが設置されている所は受付のすぐそばにあった。
受付の若い女性がこちらを見ている。何か言いたげである。
「店員さんの言っていた‘先客‘は、やっぱり逃げたのではないかと思いますよ。傘を忘れるほど慌てていたみたいです。サイフを確認して、会計に足りないことに気づいたとかそんなとこじゃないでしょうか。」
 僕は憶測でそう言う。
店員は残念そうに頷いた。

 受付をする時、希望のカラオケ機種を選択する事ができる。カラオケ店の各部屋は、その機種によって分けられる。だから、希望の機種を扱っている部屋が満室なんてことがたまにある。そういう場合はしぶしぶ他の機種で妥協することになる。
 今回は特殊なケースであった。僕が希望する機種を伝えたとき、若い女性店員は眉間に皺をよせた。
「空いていることは空いているのですが・・・。」
「何か躊躇するようなことがあるのですか?」
 不思議に思った。まさか霊が出る、という事でもないだろう。そんなのは夏の心霊特番でしかお目にかかった事が無い。
「いえ、実はですね。その部屋を借りられていたお客様がいなくなってしまったのです。」
「客が消えた?」
 心霊特番でも聞いたことのない、予想外の答えが返ってくる。
「はい。約束のお時間が近づいていましたので部屋に電話をかけたのですが、反応がありませんでした。」
「トイレに行っていたのではないですか?」
 考えられる事をあげた。
「そう考えて10分後にもう一度電話をかけてみたのです。今度もお客様は電話にでられませんでした。不信に思って部屋に行ってみました。お客様は初老の男性お一人様でした。もしかしたら意識に障害がある状態なのではないかと思ったのです。しかし、そこには誰もいませんでした。空っぽです。」
 そんな世代の方にまで、ひとカラは浸透しているのか、などと考えながら、彼女の考えを続けて聞く。
「逃げた以外に考えられません。男子便所にまで入って調べたのです。生まれて初めてですよ。」
 彼女の表情は羞恥と後悔が入り混じったような、複雑なものになった。一瞬で5才は老けたように見える。さらにこう続けた。
「私、一度トイレに行くためにここを離れました。きっとその時に・・・。」
 彼女は今にも泣き出しそうであった。おそらく上司からのお咎めを恐れているのだろう。しかし、こちらにはあまり関係は無い。実質上部屋に空きがあるのなら、そこに通して欲しかった。ただでさえお使いのために時間を縮めたのに、さらに時間を消費したくなかったのだ。
「それで、その部屋を使うことは可能なんでしょうか?」
 イライラを表にださないように、なるべく丁寧に話した。
「部屋は片付いております。」
 彼女は自分が取り乱していることに気づいたのだろう。幾分もとの事務的な声を取り戻した。
 僕の部屋はそうやって決定していた。

 ドリンクバーのすぐ後ろの窓から外をうかがうことができた。すぐそばの木が、雨に濡れている。
歌い逃げ犯は、ちょうどいい時に傘を置いていってくれたものだ。
「その先客が忘れていった傘ですが、貰ってもいいですか?どうせ歌い逃げ犯は戻ってこないと思います。初老で お金ちょろまかすなんて恥ずかしいでしょうし。」
 傘を持っていないんです。と続けた。
「どうぞ。」
 店員は半ば投げやりな態度で許可をだした。
 コップを手にとり、それをオレンジジュースで満たした。注いでいる最中にモトキがやってきた。彼もコップを手に取る。
「お前オレンジジュース好きだよな。」
「うん。柑橘系好きだ。モトキは何飲むの?」
 彼は、これ、と言っていちごオレをコップに注いだ。
「牛乳はいってるのこれだけだからさ。」
 僕はちょっと昔のことを思い出して違和感を覚えた。自分の顔が少しほころぶのがわかった。
「牛乳は身長に関係ないんじゃないの?」
 彼は僕の質問には答えず、こちらに手を振りつつ部屋に向かって歩きだした。すこし行くと踵を返してこちらを向く。
「お前のバック。サイドポケット見て見ろよ。」 
 それだけ言うと、ニヤっと笑って足早に部屋にもどろうとした。「何があるんだ?」と背中に問いかける。
「ちょっぴり残念な出来事も、それがあれば大丈夫~!」
 と、間の抜けた声を出して、それから笑いながら歩いていった。
彼は僕が占いを全く信じないのを知っている。
吉田先生の数学の時間の事を思い出した。おそらく、僕が欠伸のあと目をこすっている隙に、机にかけておいたバックにこっそり忍ばせたのだろう。急に腕を組んでいたのを思い出した。
彼もあの占いコーナーを見ていたのだ。それにしても、わざわざコルクを用意するとは豆な奴だと関心した。
 彼なりのイタズラなんだろう、と少し微笑んでみた。

 微笑みを残したまま部屋に戻ると、ソファーに腰を落とし、オレンジジュースを一口飲んだ。
「あのぉ、すいません。」
 どこからともなく聞こえた声に背筋をゾクりと撫でられた。ノドを通過している最中だったオレンジジュースが、すべて吐き出された。床が汚れる。
「あのぉ。」
 声の主を探した。咄嗟に、暗闇に死角があるのかもしれないと思い、照明のボリュームを捻り全て最大にする。部屋に闇の行き場は無くなり、その全貌がさらけ出された。しかし、そこには僕以外に人間の姿は見当たらない。脳裏に、消えた先客の話が浮かび上がる。もしかすると初老のその人は、この声の主である人ではない‘何か‘に、襲われたのではないのだろうか。そしてここでは無い別の次元、たとえばあの世と呼ばれるその世界に、体ごと引きずりこまれたのではないか。声の主を探すために部屋を見回す、たった数秒のその間に、さまざまな考えが頭上に浮かんでは消える。僕は戦慄していた。
 しかし、自らの考えに一つ間違いがあることに気づく。まだ、全てが眼前にさらけ出されているわけではない。ロッカーの中。
「・・・ロッカーの中ですか?」
 声が裏返りそうだった。
しばらくの沈黙が続いた後、情けない声色で、うん。と返事が返ってきた。
 もう一つ、間違えに気づいた。このロッカーの中の‘何か‘が初老の人物をさらったのでない。おそらくその‘何か‘こそが、初老の人物その人だ。いかにも歳を重ねている、といった印象の声により、推測する。
 その声はソファーで塞がれていない方のロッカーから聞こえてくるようだ。そこに向かって、質問を投げかける。
「あなたは、僕がこの部屋に来る前にここを使用していた先客の方ですね?」
「・・・そうだぁ。」
 語尾が伸びる癖があるようだ。滑らかな球体をイメージさせる声だ。
 なぜそのような場所にいるのです?。次々に気になったことを聞いてみる。先ほどまでただの家具だったクローゼットは、いまや圧倒的な存在感を放っている。
お金が。そこで一旦言葉を切って、話始めた。
「サイフの中を確認した時に、お金が無いことに気づいたんだ。恥ずかしかったんだよぅ。逃げようと思ったけど、そんな事できねぇんだ。気が小いせぇんだぁ。」 
 僕が先ほど店員に話した推理は大体正しかった。しかし、てっきり逃げたと思っていたこの人物は、小心者だったようだ。動けずにずっと声を潜めていたのだろう。
ではなぜ今僕に声をかけてきたのだろう。それが気になった。
「どうしようもねぇことにやっと気づいたんだぁ。こんなとこにいてもよぉ。あんたぁ、俺を逃がしてくれねぇかぁ?店員さんを引き付けてくれよぉ。」
「冗談じゃないです。見つかったら僕も捕まっちゃいますよ。こちら側へのメリットが見当たりません。」
 小心者は、だよなぁ。と声を漏らす。その後には、嫌だなぁ。とか、捕まるのかなぁ。といったような、弱音が吐き出された。
 僕は少しだけ彼の事を哀れに思った。続いてロッカーから聞こえる弱音に、彼を助けてあげようか、という気持ちが生まれる。‘球体の声‘には、愛嬌を垣間見ることができた。
「受付に素直に言えば大丈夫じゃないでしょうか。ひとまず僕が料金を払います。それで一件落着にはならないでしょうが、少なくとも警察沙汰になる事は避けられると思いますよ。」
 支払った代金は、後に貰いにいけばいい。お使いのための余分なお金があるので、懐には余裕がある。
すぐに返答が返ってくる。迷いを含めて。
「ほんとうかぁ。大丈夫かなぁ。」
「大丈夫ですよ。全部終わったら、僕をあなたの家まで連れて行ってください。そこで代金を受け取りましょう。」
 走って逃げようとしても、僕のほうが足腰は強いと思う。その時は、警察を呼べばいい。この歌い逃げ犯が、カツアゲされた、というような虚言を吐いても、店員に証言してもらえば僕の訴えは信じてもらえるはずだ。
 ロッカーは、うん、うんと納得している。
しかし、タダでというわけにはいかない。一つ条件を加えた。彼の心を刺激しないように、なるべくやわらかな物腰で伝える。
「僕へのお礼は、傘でいいですよ。これ、あなたのものですよね。テーブルの下に置き忘れてました。隠れるなら、傘も一緒にもってそこに入るべきでしたね。よほど慌てていたんですね。」
 僕の予定では、彼の照れ笑いをここで聞けるはずだった。しかし、ロッカーは黙ったままだ。
ロッカーの中から、なにやらどす黒いものが溢れ出るようなイメージを感じる。それはやがて周辺の床にたまった。 それは僕の足元を目指している。そう思った瞬間、ロッカーが沈黙を破った。
「傘が、傘がそこにあるんだな!」
 声はさきほどまでの滑らかなイメージをまとってはいなかった。剣山。まさにそれのような刺々しさを感じる。その声に圧倒されながら、おどおどと傘を手に取る。
「えぇ、こ、ここにありますよ。すいません。まさかこの傘がそんなに大切なものとは思いませんでした。なにせこのような傘はどこにで・・・」
 思わず息をのんだ。手に取った傘を見ていた僕の目が、妙なものをとらえていた。部屋に入ってすぐに照明を落としたため、先ほどは気づかなかった。しかし、今、部屋は光源に囲まれている。傘の先端。普通は地面をついているその位置に、赤いものがべったりと着いている。
 血・・・?
 脳裏に三日前の記憶が蘇る。ニュース番組。
県内で非常に猟奇的な殺人事件が発生しました。被害者の遺体はの状態は凄惨さを極めており、その眼球は‘細長いもの‘で抉られていた、ということです。犯人は今だトウソウチュウノモヨウ・・・・・・。
 細長いもの?傘?血。逃走中。
 ロッカーはどす黒い気配を吐き続けながら、不気味な沈黙を保っている。それは、殺気なのかもしれない。
 僕の憶測はまだ確信を得ていない。しかし、身を守れ!という本能は僕を行動へと移す。それからの‘準備‘は迅速に行われた。
まず、バッグのサイドポケットを開ける。そこにあったコルクを耳に押し込んだ。いささか大きいが、無理に詰め込む。外部からの音を遮断することによって、自分の鼓動がやけに大きく唸る。それはだんだんと速度をましている。次にリモコンを手に取る。マイクの音量を最大にあげる。マイクを手にとり、スイッチを入れた。
 その瞬間、ロッカーから勢い良く、男が飛び出してきた。その威力に、ロッカーの蝶番が弾けとぶ。その音は僕の耳には届かない。コルクに防音効果があることを、僕は知っている。
男は予想より大きかった。ロッカーの中では窮屈だっただろう。肩幅が広く、首は太い。腕の先の拳は、自らの指を折りそうなほどに、硬く握り締められている。僕を標的としてとらえている目は、赤く充血し、大きく見開かれていた。
 しかし、身長が高いほうが、こちらには好都合だった。スピーカーは天井からつりさがっている。
暗闇から真っ白な世界に、突然飛び出したため、怯んでいるようだ。しかし、もう5秒後には、こちらに飛び掛ってきそうだ。
 そのわずかな時間を使って最終確認をする。まだ、この人物が猟奇的殺人の犯人である、という確証は無い。
 男が入っていたロッカーではない、もう片方のロッカーを見る。このロッカーの扉を塞いでいるソファーは、やはり、偶然こうなったのだろうか。
 いや、違う。
扉の前に置かれていたソファーをどかす。
扉は勝手に開いた。ゴトッという鈍い音とともに‘それ‘が倒れ出る。おそらく、内側から、扉に体重をまかせて寄りかかっていたのだろう。
 足をまだロッカーの中に入れたまま、倒れている初老の男性は、中身のないその眼窟で、虚空を見ていた。
それを見て吐きそうになるのをこらえながら、マイクを握り直した。
男はこちらに向かって今まさに走り出そうとしている。
 大きく息を吸い込み、マイクに向かって力の限りの大声を・・・打ち出した。
コルクごしにでもその音の大きさは十分にわかった。体がピリピリと振動する。
スピーカーからでる増幅されたその音は、無防備な男の鼓膜を攻撃した。
 うずくまる男を確認し、部屋を飛び出す。
ふらつく足をなんとか動かし、受付に着いた。若い女性店員はまだ落ち込んでいるようだった。
「警察をお願いします!人が死んでるんです!」
 僕がそう叫ぶと、目を倍ほどの大きさに見開き、
「どういうこと?」
 と口が動く。困惑の顔を見せた。
いいから早く!と言い残すと、そのままモトキのいる部屋に向かった。
 扉の扉を勢い良く開けると、モトキは歌うのをやめ、僕の顔を見た。彼は眉間に皺をよせた。
僕は、耳からコルクを抜くのを忘れていた。急いでそれをはずす。モトキが笑いながら言う。
「俺が歌っているのを聴くのが、‘ちょっぴり残念な出来事‘なのかな?」
 コルクをポケットにしまいこむと、真剣な顔で訴えた。
「この部屋にあるソファーを運んでくれ。今すぐバリケードが必要なんだ。殺人犯が、俺の部屋にいる。」
 話のわかる友人は笑うのをやめ、すばやく行動を起こしてくれた。

 警察が到着すると、男は手錠をかけられた。
部屋で、のた打ち回っていたところを取り押さえられた。
後にわかったことだが、犯人の鼓膜は破壊されていたらしい。
「事情を聴きたいから、少しまっていてくれるかな。友達も一緒にね。」
 制服がそういうと、俺もかよ、と隣から聞こえる。
なぁ、と前おきして、モトキは言った。
「お前今度から占い信じることにしなよ。」
 今回の事件は、占いの信頼性を高めるには、十分すぎた。
「そうする。でも、天気予報は信じないぞ。」
 お母さんごめん。おつかいはいけそうにない。



コメント
SSの量じゃなくなりましたあせる
ですから、短編ってカテゴリを増設することにしました。
ロッカーロッカー書いてたらロッカーがゲシュタルト崩壊してきた・・・。