いったん読むことをおぼえれば、
あなたは永遠に自由になれる

ーフレデリック・ダグラス

…読書に勤しむ限り、
実はわれわれの頭は他人の思想の運動場に過ぎない

ーアルトゥール・ショーペンハウアー

tray

その老人と話したのは、2002年の夏の初めだった。

大学院の授業はおしなべて退屈だった。
ショーペンハウアーが言うように、
もし読書というものが、
“他人の思想を頭の中で運動させること”
であるならば、
大学院にいる人間のほとんどは、
偉大なる思想家達に自分の運動場を
植民地化されてしまっていた。

僕は無知に支えられた
知的好奇心に寄り添いながら
なんとか大学までたどりつき、
講義の合間には逃げるように
ファミリーレストランで
チョコレートブラウニーとコーヒーを前に
莫大な時間を読書に費やした。

ファミリーレストランは快適で過ごしやすかった。
エアコンは適度に設定されていて
店内は清潔で幸福感に満ちあふれていた。
気に入らないことは何もなかった。
ただひとつ、不思議なことがあった。

窓側にある4人がけのテーブルに、
いつも一人で座っている老人がいた。
どこにでもいる普通の老人だった。
仕立ての良さそうな濃いグレーか
ブラウンのジャケットを着て、
しっかりネクタイを締め、
真っ白な頭髪を横に分けていた。
コーヒーを飲みながら、
たいていは分厚い本を読んでいた。
エラスムスの『愚神礼賛』とかダンテの『神曲』とか。

それだけならよかった。

問題はその老人が
いつもそのレストランにいることだった。
「いつも」というのは表現として軽すぎる。
「いつでも」いた。僕がそこに行くときにはいつでも。
午前にも午後にも深夜にも明け方にも早朝にも。
春にも夏にも秋にも冬にも。
お盆にもクリスマスにも正月にも。
シュレジンガーの猫についての問いを無視するなら、
その店がオープンして以来、
彼は24時間ファミリーレストランの
窓側の席に座り続けていたはずだ。

「謎」が服を着て座っていた。
住居は?家庭は?家族は?仕事は?
いつその服に着替えている?
入浴はどこで?
朝起きたときか夜寝る前か?
そもそも、いつどうやって寝てるんだ?
そんな本を読んで面白いのか?
質問のリストはA4用紙にして2,3枚はあった。

彼が幻覚や幽霊ではないことは、
ウェイトレスが頻繁にコーヒーを
注ぎに行くことから明らかだった。
僕にとって老人は大いなる興味の対象だったが、
話しかけようとはまったく思わなかった。
トラブルはできるだけ避けるように
教育されてきたのだ。
彼と話をするのは
地球が滅亡する前日だけに決まっていた、
はずだった。

その老人と話したのは、2002年の夏の初めだった。

僕はブラウニーの代わりに
シーフードカレーを食べていた。

彼は窓側の席から
僕の座っている
斜向かいの席まで
ゆっくりと歩いてくると

ーカレーライスのお味はいかがですかな?

と言った。
とても紳士的な口調だったが、
僕は聞こえないふりをした。
余計なトラブルは避けねばならないのだ。
見ず知らずの人間に
食べ物の評価を聞くなんて普通じゃない。
窓の外では雨が降っていた。
気温からすると
夏はもうそこまでやってきていたが、
陰鬱な長雨の季節はまだ続いていていた。

おそるべきことに
老人は僕の向かいの席に座って続けた。

ー人類の死亡原因の第1位が何かご存じですかな?

僕は沈黙を貫いていた。

ー恐怖ですよ

僕は考えあぐねていた。
果たして、この困難な状況をどう打開すべきか。
頭の中で思考するのに
十分な時間が流れないまま、
僕はスチュアート・ホールの一連の著作に向けるべき
知的好奇心をこの老人に向けることにした。

僕は言った。

ーよくお見かけしますね

彼は真っ白なヒゲを触りながら、
2000キロの向こうを
眺めるような眼差しでこう返した。

ーここに住んでいるのですよ

聞きたいことは山ほどあったが、
言うべき言葉なんか一つも見つからなかった。
異常な現実が、正しい状態で目の前に提出されると、
人間はとるべき正当な行動をとることができないのだ。
ナチスだって世界史上まれにみる
民主的な憲法の下で政権を奪取したのだ。
異議を差し挟むのは極めて困難だったはずだ。

老人の態度は、正常な人間そのものだった。
だから僕も聞くに聞けなかった。
いやいやあなた、
なんでこんなことに住んでるんですか、
まともな人間にはまともな家があるはずですよ、と。

やがて彼はその生涯について語り始めた。
劇的な人生だった。
無意味な戦争、大成功を収めた事業、破綻した家庭生活、
このファミリーレストランにたどりついた経緯、
その一つ一つが波瀾に満ち、
教訓と示唆に富んでいた。
陳腐な2時間ドラマにでもなりそうな話だ。
しかも、その話しぶりは至極まっとうだった。

しかし、あのテーブルに座り続けている理由は
まったくもってわからなかった。
それがいちばん重要なのに。

おそらくは他の大勢の人間にも
しているであろう話を終えると、
彼は真っ白な頭髪を掻きながらこう言った。

ーこの前頭葉に小さな手榴弾ほどの
 腫瘍がありましてな。
 あと2ヶ月ほどで爆発するのです。

僕は思い始めていた、
この老人はきっとこのレストランのオーナーだ。
だから、いつもあの席に座っているんだ。

ーいや、しかし

と僕は言った。
僕が口を開いたのは実に久しぶりだった。
質問リストの上位にある項目を口に出してみた。

ーご家族はどうしてらっしゃるんです?

ご心配してらっしゃるはずですよ、
と言いかけた僕をさえぎって、
彼はレジに立っている
小柄なウェイトレスを指さして、こう言った。

ーあれが私の妻でしてな。
 こうして私を見守ってくれておるのです。

ウェイトレスは
20代前半にしか見えなかった。
高校生にだって見えなくもなかった。
あらためて、いろいろな言葉が僕の脳裏をかすめた。
ウソ、いつわり、妄想、ボケ老人、アルツハイマー、
狂気、狂人あるいは狂人と会話する大学院生。

そして恐怖。

僕は伝票をつかむと、
このあと講義があるんです、
とささやかな虚偽を申告して、
普通の人間らしくレジへ向かった。
彼の妻である人にお金を払っているときに、
本当のことを確かめようと何度も思ったが、
もちろんそんな勇気は
どこにも持ち合わせていなかった。
やぁ、狂人と会話する大学院生です、こんにちは。
ところであなたあのお爺さんの奥さんですか?

第二次大戦中、
多くのドイツ人は事実を確かめるための、
いくばくかの方法を知っていたはずだ。
すいません、おまわりさん、
本当のことを言ってください。
近所のユダヤ人はみんなどこに行ったんですか?

人類の抱えるもっとも大きな罪は、
勇気がないということなのだ。
真実を確かめるほど、
恐ろしいことはない。

後ろの方では老人が
大きな声で何かを言っていた。
僕は何も聞こえないように意識を集中させた。
余計なトラブルは避けなければならないのだ。
僕は何かが聞こえたように
曖昧な笑顔を老人に返し出口に向かうと、
後ろを振り返らずに
できるだけ急いでゆっくりと店を出た。

その後、2ヶ月間
その店に近づかなかった。
僕は書くべき論文の構想を
練るために故郷に戻り、
長くて退屈な夏休みを過ごした。
夏休みが終わり、
再びそのレストランを訪れると
老人の姿は消えていた。
彼が座っていた窓側のテーブルの席とともに。

ねぇ くるみ
誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
そんな時はどうしたらいい?

ー桜井和寿

light

僕がまだ小学生だった頃、
担任のヤマモトフクコ先生が
ある日の学級会でこう言った。

ー今日の帰り道、雨に濡れると
 みなさんの髪の毛が
 抜け落ちたりするかもしれません。
 だからきちんと傘をさしたり、
 帽子をかぶったりして
 気をつけてくださいね

1986年4月ウクライナのキエフ州北部
V・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所。

原子炉停止に備えた実験中、
制御不能に陥り、炉心が融解、爆発した。
爆発時、炉心内部の放射性物質は
大気中に放出され、北半球全域に拡散した。

事故の翌日、スウェーデンで
この事故が原因とみられる放射能が検出され、
ソヴィエト連邦は事故を公式に認める声明を発表した。

それから約1週間後、
日本でも雨水中から放射能が確認された。

そんなこと知らない。
ソヴィエト連邦も
発電所の爆発も放射能も
放射能がもたらす影響も。

ただわかること。
雨に濡れたらハゲるらしい。
それだけ。

その日、見事なことに
僕は帽子も傘も持ってきてなかった。

トモダチ達が帽子や傘を奪い合いながら
家路を急ぐのを横目に
僕はなんとか雨に濡れないように
いろんな家の軒下から軒下へ必死に歩いた。

ハゲはイヤだ。
カッコわるいし。
もてないし。

だけど学校から我が家まで
はるか1キロ以上あって、
その道中には軒下のない家がたくさんあった。

僕は精一杯がんばった。
だけど雨はどんどん激しくなって
家に着く頃にはずぶ濡れだった。

家にあるいちばん大きなバスタオルで
頭を乾かしながら僕は泣いた。

ハゲちゃうんだ。
きっと。

その夜、僕は悪夢を見た。

オオカミがやってきて
僕の頭にかぶりつく。
そして僕の頭部を
髪の毛ごと奪っていくのだ。

本当に恐ろしい夢だった。

僕はハゲに恐怖した。
ハゲってなんて恐ろしいんだ。

その後も、夢を思い出すたび何度も何度も恐怖した。

何週間か経って
夏休みに入る前日、
ヤマモト先生は
「夏休みの計画を書きましょう」
と言って紙を配った。

「なつやすみの一日のけいかく」とか
「なつやすみ中のもくひょう」などの項目が並ぶ中
いちばん最後に「あなたのゆめ」
という項目があった。

僕は「夢」という言葉の持つ
2番目の意味をまだ知らなかった。本当に。

だからみんなが
「やきゅう選手になる」とか「ケーキ屋さんになる」
と書いているところに
僕は「オオカミに頭を食われる」とか「ハゲになる」
と書いた。

その日、ヤマモト先生から
母さんに電話がかかってきた。

そばで見ていると
母さんは電話しながら
泣いているようだった。

けど、電話を切るとフフっと笑い
「あんた、アホやね」と言って
横にいた僕の頭を
両手でクシャクシャにした。

僕は気持ち悪かった。
そしてなんか怖かった。

こうして僕は
『夢』という言葉と
『恐怖』という言葉の意味を
同時に憶えることになった。

2005年現在、僕はまだハゲていない。

雨の日に思い出す。
そんなくだらない心温まらない話。

-----------------------------------------------------

ゆめ 【夢】

1.睡眠時に生じる、ある程度の一貫性をもった幻覚体験。
多くの場合、視覚像で現れ、聴覚・触覚を伴うこともある。
非現実的な内容である場合が多いが、
夢を見ている当人には切迫した現実性を帯びている。
「-を見る」「-からさめる」

2.将来実現させたいと心の中に思い描いている願い。
「少年らしい-を抱いている」「-は果てしなく広がる」

3.現実とかけはなれた考え。実現の可能性のない空想。
「宇宙旅行は-ではなくなった」「-のような話」

三省堂『大辞林 第二版』より

今はまだ人生のリハーサルだ。
本番じゃない。
・・・
でも、本番っていつ始まるんだ?

ー穂村弘

tofu

考えてみれば、
いつの間にやら人生の本番は始まっていて。
「あ、ちょい待ち」なんていう瞬間なんか
1回もなかったような気もするわけで、
いつ人生の本番が始まったのかは
どうしてもわからない。

せめて、
いつからが人生の本番の始まりだったのか
それだけでいいから教えて欲しい。

なんて思うのは僕だけなのでしょうか。

いや、特に教えてもらいたくもないような
そんな気持ちもしてきました。

とりあえず穂村さんの気持ちはよくわかる。
あんまりわかりたくないけど。

それにしても本日は七夕様ですね。
織姫と彦星が一年に一回
天の川かどっかで会うわけですか。

けどなんで一年に一回になっちゃったのか
っていうのは完全に忘れてますよね。

つーか七夕伝説って
どんな話やったっけ
とか思う今日この頃。

つまりですね。
経過をすっ飛ばして
結果しか憶えてないわけです。

こういうのって
けっこうあるんすよね。

数学で
アルゴリズムすっ飛ばして
答えだけわかるわー。

とか

いろいろあって
あの子と別れたんだよなー。

とか

なんかよくわからんけど
イスラエルって
第二次世界大戦後に
建国されたんよね。

とか。

プロセスぜんぜん憶えてない。

しかしこれはやっぱり
ダメなわけであって。

結果なんかより
プロセスの方が大事に決まってる。

帰納法とか演繹法とか背理法とか
「何考えてるか全然わからない」
って言われたこととか
ファミレスで
ばしゃーと水かけられたこととか
サイクス・ピコ協定とか
バルフォア宣言とか
フサイン・マクマホン協定とか
がどう絡み合うかの方が
エキサイティングなわけ。

だから
そのへんよく憶えてないといかんよね。

とマジメに思ったりもするけれども。

まーけど。
知りたくないこともありますよね。
どーでもいーつーか。

実家帰ったら
オヤジが女装してたら
それはもうそのプロセスは
知りたくもないですね。
いやもう
結果も知りたくないけども。
後ろを振り返らずに
ガソリンをまいて
火を放つけれども。

いや、そんなこと
ありえないですけど。

だからまぁ
なんでこんな自分に
なっちゃったのか
よく考えてみることも
たいへん重要なんじゃないかと
思いまして。

明日から
我が人生を振り返って
みようかと思ったけれども。

なんかめんどくさいですね。
やめときます。

ちなみに上の写真は
豆腐サラダだそうですが
なにがどうなって
豆腐サラダになったのか。

サラダじゃねーだろ。
しかし。
妄執というものは、
いかに困難であれ、
欲望をかき立てるには
ある程度の達成が
見込めなくてはならない。

ーリチャード・パワーズ

-------------------------------------

eye



なんかねぇ。
ノイですよ。
ノイ。

ノイローゼです。

気がついたら
ケータイが
亡くなってた。

どこにいったんですかね。
誰か拾ったら
どうにかして
連絡してください。

つーかね。
ケータイなくなったら
いろいろと
メンドくさいんですけどね。

まー
いい機会っちゃー
いい機会だよねー。

何のやねん。
何がやねん。

やー
精算ですよ。
精算。

なんだかよくわからない
番号も入ってましたからね。

つーわけで。
これから僕に連絡を
くれる人を
全員トモダチだと
思うことにします。

だって
たとえ新しいケータイを
手に入れたとしても
誰一人連絡先わかんねーわけでして。

あー。
やめ。

自分の書いてることが
たいへんに鬱陶しい。

つーかもう。
お腹が空いたなぁ。

夜中にお腹空いたら
どこにいったらいいんだらう。

つーか。
人生の行き先がやばいなぁ。

どこをどう間違えたんだか。

いや。
それはわかってるな。

あそこをああいう具合に
間違えたのは
いったいどういうことなんだ。

てもう。
過去はいんだって。

やー。
もうホントに鬱陶しいね。
鬱陶っていう漢字が
もう完全に鬱陶しいわけですよ。

いやー。
ダラダラ何を書いてんだ。
だいたいこれを人に見せて
どうしようって
いうわけなんだか。

つーか。
なげーよ。
うぜーよ。
最近は、伝記を書いてんだ。
誰のって、オレのだよ。
もちろん、オレの伝記だ。

—吉野家にいたホームレスのおっちゃんの言葉

-------------------------------------

sofa


小生は。
読書をしたいのですが、
読書をする前に
読書をする環境を
整えたいのです。

それはまぁ。
「静かな空間とソファ」があれば
ことたりるわけですが。

ソファは非常に高価なもので
小生の約一ヶ月分の収入に
匹敵する場合もあり、
かつ設置する場所を
たいへん選ぶ代物であるからして
購入はたいへん困難な道のりなのです。

だからまぁ。
ソファを買うのは
また今度にして
ソファのある
カフェを目指すわけです。

そうして、
ソファのあるカフェを
探すのですが。

せっかくカフェを
見つけたとしても。

ソファの代わりに
痔になりそうな
パイン材のイスしかなかったり。

運良くソファが
あったとしても。

ジャバ・ザ・ハットみたいな
おばちゃんが
ジャバ・ザ・ハットみたいな
おばちゃんと
相撲部屋のぶつかり稽古みたいな音で
複雑にして深刻な教育問題や
奇々怪々なる経済問題について
談話をされていたりして。

結局のところ。
カフェは
とにかく混んでいて
うるさくてケツが痛くて
とても読書には向かないわけです。

そんなわけで
小生はソファを求めて
都内某所を彷徨うわけです。
電車に乗り
何キロも歩き
どこまでも
静かなるソファの幻影を
探し続けるわけです。

最終的には
読書することが
目的ではなく
ソファを探すこと自体が
目的となるわけです。

しかし、もちろん
そんなソファは
何処にもなくて
敗北感を引きずりながら
頭を垂れて
小生のあばら屋へ
帰宅するわけです。

この仕業は
小生の中で
何年も続く
たいへんに大きな問題
であったのですが。

この度、そんな理想通りの
ソファを発見いたしました。

静かであり
余人もおらず
痔になる妄想からも
解放してくれる、
そんな夢のソファ。

そうです。

家具屋のソファ。

座ったら
激怒されるんですけど。

ゲリラ的に。
ゲリラ的に、
読書するのであります。

スリリングなんだわ。
これが。

しかし、
どうでもいいことに
どうでもいいな。
この話。