薬を飲み、カウンセリングも始まったが、まるで回復の兆しはなかった。


 私はもう、どうやって声を出していたのかまるでわからなくなっていた。


 どうして人は、そう簡単に声を出し話が出来るのだろう?


 どうやったら、声は出るのだろう?


 私はあんなにあんなに発声練習を重ねて、肺活量も腹筋も普通の人よりあったはず。


 カラオケで沢山歌えば、声はどんどん出た。


 歌えば歌うほど、声は伸びやかに出た。


 なのに、今はどうだろう。


 嬉しくても、「ありがとう」と伝える事も、大好きな子供達に「大好き」と伝える事も出来ない。


 確かに言葉だけが全てではない。目を見つめて抱きしめてやれば、気持ちは伝わる。


「だ・い・す・き」


 声にならなくても、一語一語ゆっくりと言えば唇の動きでわかってくれる。


「お母さん、早く良くなってね。歌を一緒に歌いたいよ。絵本を読んでもらいたいよ」


 長女の言葉に胸が熱くなる。


 ごめんね、ごめんね。


『びょういんに いっているから、 きっと よくなるから まっててね』


 そう紙に書いた。



 失声前夜の主人との争いは、主人に言われた事で部分的な記憶が蘇った。


「何とか言えよ!!」


 その言葉だけがやけに鮮明に思い出された。


 その度に、私の喉は詰まり声はもう二度と出ない様な気がした。


 主人の前でメソメソすることは出来ない。


 悲しくても辛くても、また泣いて、


「泣いても何も解決しない」


と言われるのが怖かった。


 私は深夜によく一人で家の屋上に上がった。

夜景や星のない空を眺めながら、昔そうしたように、


「あーーーーーーーーー」


っと、声を出してみる。


 出ない。


 歌が歌いたい。


 屋上で泣きながら、出ない声で歌を歌った。何曲も何曲も歌った。


私の泣ける場所は屋上しかなかった。



 主人は私をせかしたりはしない。


原因の一端が自分にあるという事もあり、申し訳なくも思っているようだった。


 主人は元々好きだったゲームばかりしていた。


 まるで現実から逃避するかのように。


 声が出ないので、当然会話はない。最初のうちは筆談で伝えていたが、段々それもしなくなった。


 夫婦なのに、泣きたい時に泣けないなんて。弱い所を見せてはいけないのだろうか?

一番辛い時に、支えてくれるはずの主人なのに、私は頼る事が出来なかった。

 私達は、子供もいる。


 主人が原因の一端だからと、簡単に離れる事はできない。
主人の事が嫌いなわけでもない。ただ、怒ると怖い、それだけだった。





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