昨今、世の中、ひたすらにヒップホップだ。

 アメリカやイギリスなどの現代音楽の本場たちをヒップホップが席巻している。

もちろん世界一のミーハーであり、世界一の文化アレンジ能力を持つ我が国日本もその潮流に抗うことは出来ず、音楽業界に広くヒップホップがそのままの形で流入している。

 ロック業界や、その他、所謂「音楽好き」と呼ばれる人たちが好んで聴く音楽の世界に留まらず、日本の一大文化であるサブカルチャー分野、俗にいう「オタク」の世界においても「ヒプノシスマイク」やらなんやらとヒップホップが流入の兆しを見せている。ヒップホップのエモーショナルでかっこいい雰囲気と、歌唱力などの才能に大きく左右されず、言葉選びや韻などを並並ならぬ努力によって突き詰められた新しい音楽は、それはそれは人気が出る。もちろん、自分も大好きだ。

 

だからこそ、こんな時代こそ、ロックを掻き鳴らし続けるべきなのだ。

 

 僕たちの音楽は十代なんだ。そう叫び続けるべきだ。

 人間にとって、活力と魅力、そして欲と諦観、憧憬、枯渇、これら十代の言葉たちは、必要不可欠な水のようなものだ。十代とは、そんなどうしようもない人間味を極限にまで曝け出し、今日に絶望し、明日を生かすような情操を携えて生きる世代だ。

 この、人間にとって必要な、究極的な情操を一身に背負い、ここまでの歴史と圧巻の影響力を放出してきた存在こそが、ロックなのである。

 ロックを奏でなくなった音楽は、十代の手から滑り落ちていく。ヒップホップの甘い甘い誘惑に居場所を蝕まれながら、静かに十代から音楽は消える。必要不可欠な水を失った十代たちは何を思うのだろうか。

 

 「悟り世代」

 

 昨今、そんな言葉を耳にする。どうやら諦観的に、そして厭世的に生きている若者の総称らしい。その若者を否定する気もないし、むしろ自分自身にもぴったりなのかもしれない言葉であるので、何一つ異論を唱えることが出来ない。

 しかしながら、そんな悟り世代は、いつしか十代のギラギラした眼光と陰鬱綯い交ぜの黒い目を失い、人と世の中を撫でる乾いた視線を送る灰色の目を持ち合わせるようになった。どこか気だるげなその目はヒップホップの持つかっこいい気だるさと、遺伝子レベルの似通いを感じる。

 「悟り世代」とヒップホップは切っても切り離せないのだろう。

 

 兎にも角にも、十代が十代であり、そして20歳を超えてもなお十代でいられることは人間的な存在を証明してくれるように感じる。

 ライブハウスの不釣り合いなほどに大きなスピーカーから放出されるロックの数々がいつの日か姿を消したならば、この社会から十代は消え失せ、灰色の目をした大人たちが灰色の自分たちを正当化しながら生まれて生きて死んでいく、そんな世界にすらなり得るのではないだろうか。

 

ロックは、十代に水として供給され、生として今日も排出されている。

 

嬉しい限りだ。