困った困った。


ここには数日にわたって考えたことを載せていたのだが、この数ヶ月はそんな悩み事がないように思う。

ここ数ヶ月、私には大事なものがなかったということ。

良く言えば心が安定している。

悪く言えば、微動だにしないこころ。


ひつまぶしは大成功、ってことでひとつ。
嘘をつくのが苦手です。

経験が少ないからです。

今日はじめて献血しようとしたら、体重50キログラム以上という制限がありました。
99%満たしてないとは思いましたが50と記入して臨みました。

すると熟練そうな看護士さんに、体重を突っ込まれました。

結局体重を量り、私はそそくさと出て行きました。

嘘をつくならできるだけ大きい嘘がいいと言いますが、10キロさばを読むべきだったかなぁ、と思うのでした。


ちなみに前回の記事には少し真実でない部分がございます。
この間の話。



歩いていると、アンケートの名目で声をかけられる。

珍しく立ち止まり応じる。

「現在の所持金はいくらですか?」

一万円くらいかな。

「現在、彼女はいますか?」

ええ。

などなど。


お仕事ごくろうさまです。


ちょっと性悪説について調べた。




言葉ってむずかしい。




同じ漢字の意味が違う。




 




 




さて、私の考えでは今の私はよくない存在なんですが、よくするにはどうしたらいいんでしょうか。




 




自分をいい存在だと思ったら、私は幸せになれるでしょうか。




 




 




うーん。




 




ところで、日本語話者に私の愛情表現は伝わるんでしょうか。




 




愛情表現は難易度が低そうです。




言葉以外でも伝わると言いますし。




 




議論というものも苦手なんですよ。




 




考えていることを言葉にして、相手が言葉を受けて相手の考えに入り込む。




ものすごく損失がありそうです。




 




ライブをDVDにしてyoutubeにアップ。




 




Blu-rayになって、フルHDでアップしたとしても、ライブそのものではないです。




 




…ライブを隣で見てても持つ感覚は違うでしょうが。




 




 




例えのヘタさと議論すら始めないことは自覚しております。




議論されてますね。

私の価値観とは近いかも?


法がどうあれ私が思うままに生きていくのは変わりませんが。
立派な人が死んだ。

ろくでなしである私は死ぬべきだ、とかわいいことを言われた。


これは具体的体験であるが、しばらく考察していく課題ができたようだ。
悩んでいたこと。
今も悩んでいること。


私は人に自分の価値観を認めてもらう活動が嫌いです。

このブログを書いている理由はメモ的な用途だ、と私的に決めております。

とはいえちょっとは見て欲しいのでボイクロのページからリンクしてます。


つまり現在の傾向は自分に閉じこもるということです。

あとはいま在る自分を破壊したいという欲求でしょうか。
その結果何が残ろうがかまわない、くらいの感覚で。

どちらにしても、他からは"おかしな人"と見られて終わりでしょうね。
生きているといろいろなことを感じます。

楽しい、苦しい、おいしい、ざらざら、目にしみる、愛しい、など。


むしろ、言葉で表せないものも含めて何らかの感覚をもっている状態のことを"生"だと思うのです。


感覚には良い悪いがあります。

より大きな苦痛を避けるために、悪い感覚が発達してきたと考えられるケースも多いようです。


私はより良い感覚を求めてさまよっています。
幸せの数値化は可能なんだろうか。


それは無為じゃないかな。
私はいま決定論を支持しています。

なかなか辛いので半分は目を逸らしているんですけれど。


"誰かが語った[現実]という名の物語が答えじゃないぜ"

私の現実という言葉についての理解はこういうものです。
・ある人の意識の中にある世界。 例:_は厳しい。

現実という言葉が私にとっての世界の姿のように感じることは少ないです。

私にとっての現実と人にとってのそれは異なるからでしょう。


現実についてポジティブに話す人が多いといいなあ、と申し上げておきます。