久々の更新&ホームページリニューアル!!
本業しっかり頑張ります(^o^)
他人の成功を素直に祝福できない。
自分が幸せであるなら、他人の幸せもよろこんであげられるはずなのに。
自分を傷つけた人を許せない。
人を恨んでも、心がすさむばかりで、何の益もないことは分かっているのに。
「頭では分かっているのに、できない」ということがある。
しかし、それは本当にできないことなのかなって思うこともある。
自分の判断で「やらない」だけなのではないだろうか。
特殊な能力を要求されること、たとえば、
「百メートルを十秒台で走る」
「歌手になって、レコード大賞をとる」
などは、どんなにがんばったって、到底できるわけがない。
しかし、「人の幸せをよろこぶ」「人の過ちを許す」というのは、そういうたぐいのものとは違って、現実的に不可能なことではない。
本気でやろうと思えば、できることだと思う。
「できない」のではなく、「やらない」ってだけなのかも。
まず、「頭では分かっているのに」などと、思考と感情が分離しているような言い訳をするのをやめなきゃいけないのかな。
本当に分かっているなら、やっているはずだしね。
やらないのは、つまり、「分かっていない」ということ。
妬みたいから、妬んでいるのだ。
怒りたいから、怒っているのだ。
自分の心に潜むみにくさを認めることからはじめなければいいのに。
自分が努力するよりも、他人をこきおろしたほうが、姑息な優越感がえられる。
自分で楽なほう、得だと思うほうを選んでいる。それが自分の価値観ということ。
「自分で選んでいる」という自覚をもってはじめて、ほかの選択もできるようになる。
自分が心の底から「他人の幸せを祝福したほうが、自分にとっても幸せなことだ」と思えば、できる。
本気で「他人の過ちを許したほうが、自分の心も安らかになれる」と思えば、できる。
今は分かっていないが、きっと分かるときがくる。
未熟な自分を受け入れつつ、少しでも理想に近づけるよう努力しなきゃな。。
陰口を言われたら陰口を言われたからといって、
気にすることはないって昔言われたのをふと思い出した。
嫌われるのは、自分ではなくて、陰口を言ったほうだって。
もっとまわりの人を信用しようと思う。
生きていくということは、そもそも面倒なものなんだと思う。
友人や親戚との付き合いも、恋愛も、勉強も、仕事も、結婚も、子育ても、何もかも面倒くさい。
それがつまり、生きがいであり、張り合いなんじゃないかな。
「面倒くさいのが当たり前」と思えば、思い通りにならないからといっていら立ったり気を落としたり
することはないと思うし。
何もかもがとんとん拍子に運べば、それがはたして幸せなんだろうか。
面倒くさいのが当たり前ってことなんじゃないのかな?
そこから一つでも二つでも喜びや充足をえられれば儲けもの。
「ないもの」ばかりを数えて嘆いてばかりいる人には、
神さまは、さらに大切なものを奪うという試練を与える。
「いま、あるもの」に感謝する心を芽生えさせるために。
「ないもの」ばかりを数えてもきりがないが、同じように
「あるもの」だっていくらでも数え上げられる。
あれもある。これもある。失ってはじめて気づ くのではなく、
あるうちにそのありがたみをかみしめよう。
失うことに怯えるのではなく、一度でも与えられた幸運に
手を合わせよう。幸せとは、そういうものなんだと思うよ。
今日の俺に言い聞かせる独り言を許してください。
「○○さえ手に入れたら、幸せになれるのに」
それは幻想だ。
たとえ手に入れたとしても、幸せにはなれない。
せいぜい、つかの間の虚栄心がえられるだけ。
そして、またぞろ新たな不満と欲求が生まれるだろう。
いま幸せだと思えなければ、何を手に入れても満足はできない。
幸せとは、空虚な心の穴を埋めるためのものではない。
いまの自分を土台として、少しずつ積み上げていくものだと思う。
ブログ連投になりました。書き溜めですがお許しを。
「どうせ」は禁句
「どうせ私は社会的地位が低いから、皆からバカにされているのだ」と言ってはいけない。
社会の底辺を支えるような仕事をしている人でも、人の役に立ち、立派な生き方をしている人はたくさんいる。
「どうせ私は貧しいから、幸せにはなれないのだ」と言ってはいけない。
貧しくても、清く明るく生き、誰からも慕われている人はたくさんいる。
そういう人たちと自分との違いをどう説明する。
さらに自分を卑下して、「不幸である理由」を探すのか。
自分を情けないと思うこと自体が情けないんだ。
「どうせ私は○○だから」と自分を卑下するのは、同じ立場の人々を侮辱することになる。
とても失礼な発言だ。どのような境遇にあっても、幸せな人は幸せだし、不幸な人は不幸。
自分の境遇をどのように受け入れるかという問題なんだ。
不幸な人が不幸である理由は、「どうせ自分は不幸だとひがんでいるから」この一言につきる。
「あのとき、ああすればよかった」と後悔しても、そのときは気づかなかったのだから仕方がない。
以前は分からなかったことが、いまは分かる。
進歩したことをよろこぶべきなんだって今になって思う。
はじめから何もかも分かっている人はいないんだよなぁ。
後悔したことは、二度と繰り返さない。それでいい。
そうやって人は成長していくんじゃないかな。