お盆です。
のたぶたです。
ヘッドラインニュース第3弾にしようかどうか悩んでいましたが
実はのたぶたが全身大やけどした日。
現場担当に格下げになったその日。
祖父が亡くなりました。
98歳ですから大往生です。
一応は老衰と言うことになっております。
(つい変換が漏水になってしまう(T-T)
やけどをしたのは仏滅の日曜日の正午。
番頭の入院を聞いたのはその日の午後6時。
祖父の訃報を聞いたのは午後11時過ぎ。
突然ではありましたが、いろいろあった一日だったので
驚きはしたものの、悲しみはそれほど大きくありませんでした。
さすがに次の日、安らかな顔を見たときはさすがに
寂しい思いをしましたが、それでも涙は出ませんでした。
もう一人のおじいちゃんを亡くしたのは15年前。
その時はまだバリバリ働いていた70歳手前だったので
祖父の無念を感じたらとめどなく涙が沸いてきたものですが
今は98歳まで手厚い看護をされての大往生だったこともあり
その安らかなお顔を見て、「よく頑張ったね」と声をかけたくなりました。
父親の実父ですが、私の父は分家であり、祖父は本家の家族と一緒に
過ごしていました。
この幸せそうな顔を見て、本家の家族にさぞ優しくされたのだろうと
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
人の死、それも近い親族の死に立ち会って
こんな気持ちになるとは思ってもいませんでした。
生きている間は「この人の死に立ち会えば悲しくてどうしよう」と
考えるのが恐くなって悲しく切ない気持ちになるのですが
やはり、人間はどうやっても死は避けられません。
その死を迎えた状況でどれだけ幸せだったかは
その人でないと計り得ませんが、
周りの人に「のたぶたは幸せな人生だったな。」
と言われるようになれば、それがカーテンコールの拍手のような
ものなのかなとしみじみ感じます。
ワタシは不謹慎と言われるかも知れませんが
仮にワタシが死んだときのこと、親が死んだときのこと
妻が、子供が・・・ということを何度か想像することがあります。
(そしていたたまれなくなってその想像を必死でかき消すんですが(・・;)
トラは死して皮を残すといいますが
ワタシは何を残すのだろうか。
残すものが悲しみだけだったら、ツライですね。
悲しみさえ残さない方がまだマシだと思いますよ。
祖父の場合、弔問にも、告別式にも葬儀にも多くの人が
参列してくれました。そして、多くの人が「幸せな人生だったね」
と言ってくれました。そう思わせる人徳があったのでしょう。
死して人徳を残したと言えるのかなと思います。
こうやって、ボクに涙を残さないで亡くなった祖父に
改めて感謝します。
ありがとう。そしてしばらくゆっくりしていてくださいね。
奇しくもこれからお盆を迎えます。
見知らぬご先祖とちょっと語ってみようと思います。
アーメン。
注:ワタシは人生に疲れて何かを悟ったわけではありませんので
ご心配なく。
また、これからもブログで皆さんと楽しく交流をしていきます!
もちろん家族も大切にするからね!