8月某日。仕事で長期出張のため東京都内に2週間ほど滞在していました。
あらかじめ、滞在先から新宿御苑方面まで歩いていける距離であることに気づいていたので、仕事がオフの日に猛暑の中、大木戸ビルまで行ったほか、岡田有希子ちゃんが数日間だけ暮らしていた南青山ロータリーマンション、有希子ちゃんが救急搬送された北青山病院跡地から再び大木戸ビルまでのルートを散策しながら辿ってきました。
「秘めたあの場所」を実際にこの目で確かめる貴重な機会となりましたので、その様子を3~4回ほどに分けてリポートしたいと考えています。

1回目は大木戸ビル編その1です。

国道20号線を西に向かってひたすら歩いていくと、赤い大きなクリナップの看板が見えてきました。さらに歩いていくと、そのビルの全体が見えてきました。「あれが大木戸ビルか」



そして四谷4丁目の交差点を渡って到着。








まず、有希子ちゃんに哀悼の意を表すためビル前の植え込み花壇のところでスマートフォン内の有希子ちゃんの画像ファイルを表示し、花壇に置いて合掌しました。


お気に入りのこの写真を遺影として

ただ、本当にここが亡くなった現場なのか、あまり実感がわいてきませんでした。大木戸ビルも植え込み花壇の広場も思ったより大きくなく、ごく普通の街角といった印象でした。

大木戸ビルについても、周りのビルがあまりにも大きいためか、とても小さな雑居ビルといった印象です。実際に大木戸ビルの中に入ってみました。



狭い入り口を過ぎてすぐ左側には各テナントの郵便受けが密集しており、配達物が雑然と置かれている状態でした。また、各解ともフロアが非常に狭くて暗く、閉塞感のある寂しい場所、時代に取り残されたしがない雑居ビル、本当にここに芸能プロダクションの事務所があったのだろうか、有希子ちゃんが活動拠点として行き来した場所だったのかと思ったほどです。

サンミュージックがあった6階まではエレベーターで昇り、そこから屋上へ続く7階へと階段を昇ってみましたが、もちろん屋上に出る扉は施錠されていましたし、有希子ちゃんが亡くなったあの日だって施錠されていたと考えるのが自然だと思います。
確かに、6階の部屋を出てすぐ階段があるので、人の目が離れた隙に上の階へ行こうと思えばすぐ行ける距離感だなとは感じましたが、当時の有希子ちゃんにそこまでの気力があったでしょうか。

ビル内には関係者以外の立ち入りはお断りといった旨の貼り紙があったので、そろそろ出ないとと思い、階段を降りていきましたが、各階の中間にトイレがあり、ドアには番号を入力する複雑そうな鍵が備わっていました。どうやらこのビルのトイレは関係者以外使えないようになっているようです。有希子ちゃんの元マネージャー・溝口さんさんはこのトイレ内で亡くなったことからも、こうした安全対策が措置されているもの理解できます。

この場所に来て、怖いといった印象、重苦しいといった印象は特にありませんでした。今後は4月8日の命日に多くのファンと一緒に有希子ちゃんを追悼したいと考えています。

気温がどんどん上がる中、大木戸ビルを後に次の場所・南青山ロータリーマンションに向かって歩いていきました。その様子は後日お伝えします。