早いもので6月ですね。 

みなさんいかがお過ごしでしょうか。

能勢は新緑シーズンですが、春らしいぽかぽかな陽気で過ごしやすい日、雨風の肌寒い天候の落差がありますね。

体調管理には気をつけたいところです。


5月26日には無事に八大龍王祭が執り行われ修法師1

0名の方にご参加頂き読経の祈りを捧げました






八大龍王祭の前日、

檀家さんが亡くなりました。

3月に法事をしようと打ち合わせに参られ、
準備も万端整えた矢先、
2月末に倒れてしまいました。

お身内の方から伺う予断を許さぬ大変な状況に、
どうか無事でありますように、
できるだけの回復を祈らずにはいられませんでした。

それでも、聴くところによれば言葉のやり取りは出来るようになった
少しずつリハビリへ向けて準備している、、など

奇跡的ともいえる回復を耳にはしていたのです。


そんな容態を頭の片隅に置きながらも3月、4月と私も春の御彼岸、鬼子母神大祭、法事などどことなく多忙な日々を過ごしていました。


5月の末、行われる八大龍王祭の準備の只中


「主人が退院をしました。3月に出来ず延び延びになっている年忌法要をしたいとおもいます。」


私も心から戻ってこられて良かったなと思いました。


八大龍王祭の2日前、退院された御本人が自ら軽トラを運転して、祈祷札の申込みと法事の日取りに来られました。




目の前に拡がる長谷の棚田の前で私達は久々に言葉を交わしました。

病気に倒れたこと

病院で意識を回復してからのこと

少しずつ少しずつ良い方向へ治療が進んだこと

そして生きて、自宅へ戻れたこと


春の暖かい晴天の下

「信弘上人に直接どうしてもお会いしてお話したくて」

と笑顔で色々と話されて

とても嬉しかった。


心から温まる想いでお話を聴きながら時を過ごしました。


「これからは、出来る事をしながらゆっくり大切に過ごしたいと思ってるんですよ」


そう言って帰宅して行った檀家さん


それなのに、突然の別れのお知らせ。


久しぶりに会いに来てくれたあの穏やかな笑顔

帰っていくときの、あの穏やかな表情


信じられない思いではありました。


祈祷や祈りで人の命の生き死にをどうこうする事なんて

もしかしたら、

おこがましいのかも知れません。


でも出来うることならば

やはり助けてあげたかった。


死が本当の別れではない、

魂は生き、今今共にあると信じることは出来て

解っていても


やはり手を触れたり、

言葉を交わしてないと存在を実感できない。


法華経には

世間の皆、牢固ならざる事

水沫砲泡の如し

と教えられていますが


この言葉を引用して日蓮聖人は


生涯は幾ばくならず

思えば仮の宿を忘れて

幾ばくの名利をか得ん

得たりとも夢の中の栄え

珍しからぬ楽しみなり

世間の無常を悟らん事は眼(まなこ)にさえぎり

耳に満てり


と仰っておられます。


いつかは変わりゆくこの身、物事、時代

今日を大切に、丁寧に生きていけるように

時として心の歩みを止めて

じっくりと自分や周りと向き合う事も大切ですね


自分は生涯を通して

次の世代に、ささやかながらも

何を残せるのだろうと

ふと思う、この頃でもあります。


梅雨を過ぎればお盆が来ますね。

早い早い時の流れ


皆様もお元気で


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